第52話 港町の夜
「ほほほ。我らグロッシには
翌日、昼餐の場に戻って来られたジゼッラ様を見て、一瞬誰だか分からなかった。
「おお、ジゼッラ。
そしてジェラルド様も。二人とも上機嫌で、家族や家人がいる前で平気でブッチューしている。ラテンだ。
「あぁら、お父様もお母様もお熱いこと。さ、お昼にしましょうか」
ギルベルタ様は一見淡々としているようで、微妙にご機嫌な感じだ。そしてその後ろで、お爺様が頬を染めてもじもじしている。どうした、お爺様。乙女か。
「それでねぇッ、彼ったらこう
ランチの場はジゼッラ様の独壇場だ。昨晩ホストクラ…紳士淑女の社交の場(淑女バージョン)でどんな楽しい社交が繰り広げられたのか、それはもう微に入り細に入りご報告下さる。そこにジェラルド様が「嫉妬してしまうね」なんて言いながら合いの手を打ち、時折ジゼッラ様の頬にブッチューしている。しかしこれも処世術というか、恒例行事なんだろう。彼だって昨日よりずっと活き活きしているから、紳士淑女の社交の場(紳士バージョン)で存分にはっちゃけたに違いない。
それを涼しい顔をして見守る娘のギルベルタ様、ギルベルタ様にチラッチラッと視線を送るディートヘルム様。こっちはこっちで上手い具合に行ったみたいだ。詳しい話を聞く空気でもないし、聞く気にもならないけど。
しかしそれらとは対照的に、アルブレヒト夫妻の顔色がかんばしくない。
「———どうしたんだね、アレクシス君」
ジゼッラ様のご機嫌トークが一息ついたところで、ジェラルド様が水を向ける。するとアレクシス様は、
「ちょっと厄介なことになりまして…」
そして前日、何が起こったのかを話し始めた。
ここウダールの街周辺を治めているのは、イルマシェ侯爵。ユボー王国の有力貴族だ。そこの三男イアサント様が発明オタクの変わり者で、アレクシス様・ディートリント様とはご学友に当たる。彼は未だ独身で、ここウダールの大学で教鞭を執っている———というより、教員籍を保持して好き勝手に研究開発に明け暮れているといったところ。
コルネリウスで数々の功績を挙げたアレクシス様には、度々ウダールへの招待状が届いていたらしい。一応学友でもあるし、外国の有力貴族の子弟ゆえに無視するわけにもいかない。そもそもアレクシス様とイアサント様は変わり者同士、元々仲が良かったのだ。身の安全を確保するために飛び級を繰り返して早々に宮廷魔術師団に就職してしまったアレクシス様は、イアサント様との旧交を温めたかったのもある。しかし。
「しつっこいんですのよ、あの男」
ディートリント様が眉間に皺を寄せてため息をついていらっしゃる。
なんでもイアサント様は知的好奇心旺盛かつ貪欲、ちょっとでも分からないことがあれば「何それ何それ」「どうしてどうして」と激しいツッコミ。そして律儀に回答したところで、質問の数が二倍三倍に増えて厄介この上ないんだそうだ。学生時代は、それが教師に向かっていたからよかった。
確かにそういう子供、いるな。三歳から五歳くらいだろうか、「あれなに」「どうして」と質問魔になる利発なお子様ってどこにでもいる。しかし周りの保護者とか大変だろうな〜って思うんだ。そして大人になっても未だにそのノリなんて…
———いるじゃないか、ディートリント様。おたくのご主人ですよ。
「もう、困っちゃうよねぇ☆」
他人事のように肩をすくめるアレクシス様に、ディートリント様の冷たい視線が向けられている。誰しも自分自身のことはよく分からないものだ。
魔法研究が主体のコルネリウスと違い、ユボー王国は交易国家。帝国のジナステラ領と性格が似ている。研究内容もどちらかというと実業的だ。そして、コルネリウスで魔法学を学び、ユボーに帰国したイアサント様がまさに研究を進めていたこと。それが、アレクシス様の名前で発表された魔法陣なのだ。
彼らは最初、イアサント様の研究室に赴き、それから学内や研究施設を見て回る予定だった。しかし研究室に通されるやディートリント様が発狂され(?)、即座に談話室に場所を変えて質問に次ぐ質問。結局アレクシス様は開放されることなく、そのまま侯爵邸まで連行されて尋問に遭っていたそうだ。自白強要の手口のようだ。そして昨日アレクシス様が言い淀んだところは激しく突っ込まれて言い逃れを許されず、今日もこの後呼ばれてるらしい。
なおディートリント様とアロイス様は、その間時間を潰すのが大変だったみたいで、今日はご遠慮申し上げるということらしい。気晴らしにショッピングでもしないとやってられない、とのことだ。
まあ、元々そんなに急ぎの旅ではない。ジェラルド様とジゼッラ様が加わっている以上、旅程には余裕を持たせなければならない。醤油や味噌は早く手に入れたいが、在庫はまだある。
「それで今日は、クラウスにも来て欲しいんだけど…」
俺を連れて行くことは、全会一致で否決された。しかし、じゃあ誰がストッパーとして付き添うかというと、誰も挙手しない。ジェラルド様とジゼッラ様は、ニェッキの別邸の使用人に怪しまれないように一度帰らなければならない。付き添いとしてニェッキに戻っているはずのギルベルタ様もだ。一方研究室にディートヘルム様を連れて行くと、事態が
というわけで、成り行きではあるが、俺とアレクシス様の二人でイアサント様の研究室にお邪魔することが決まってしまった。
港町ウダールは坂が多い。山の手の高級住宅地の更に上、山地との境界にウダール王立大学がある。コルネリウス貴族学院の大学院と位置付けはほぼ同じ。古めかしい佇まいの堅牢な建物だが、元は旧ウダール城。しばらく前までは海軍司令が置かれていたらしい。
学生や教師で賑わう学内を、縫うように進む。そして学園ものなら「旧校舎」とも言うべき、一際ボロ…趣きのある建物の最奥。そこがイアサント・イルマシェ教授の研究室だった。
「ようこそアレクシス、今朝ぶりだね!」
オーバーアクションで出迎えるのは、モジャモジャの鳥の巣頭の人物。かつてのアレクシス様と同じくらいのヒョロさ加減だ。しかしアレクシス様と大きく異なる点は、その生活能力というか、何と言うか。ヨレヨレの白衣、ボロボロのスリッパ。デスク回りが雑多なもので溢れているのはアレクシス様も変わらないが、いくつも転がっているカップには正体不明の液体が。そしてテイクアウトの包みと思われる大量の紙屑に、謎の染み。
はっきり言おう。不潔だ。ディートリント様が発狂したのも分かる。昨日は彼女が研究室に我慢ならず、急遽談話室を借りての会談になったらしい。しかし談話室もイルマシェ侯爵家も、どこに
アレクシス様は宮廷魔術師、すなわち軍人だ。軍人ならば自分の身の回りのことくらい自分でこなせなければならない。そもそもご実家が不穏だった。幼少期からしっかりせざるを得なかったろうし、またお付きのベルント様もしっかりした人物である(元は)。同じ高位貴族の子息、そして同窓生とはいえ、イアサント様に比べてアレクシス様がシゴデキスパダリなのは否めない。
しかし一方で、この研究室———一見雑多で不潔だが、鑑定を通すと全く違う表情を見せる。あちこちにそれとなく魔道具が仕込まれていて、まるで魔道要塞だ。そしてへらへらとだらしない笑みを浮かべるイアサント様も、薄汚れた白衣の下は魔法陣でビッシリ。ここが依然、ユボーの海軍要塞であることを思い知らされる。
そう。魔法陣。俺が偽書とされる「魔法陣大全」を読み解いて、実用に漕ぎ着けたはずのそれ。それが、既にイアサント様の白衣の下に仕込まれている。なぜか。
その答えとなる人物が、既に研究室に控えていた。
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