第45話 港町ギルランダ

 ジェラルド様から連絡を受けた現侯爵ジョルジョ様からは、老齢のジェラルド様が航海に出るなんてとんでもないとの書状が届いた。彼はジェラルド様のお孫さん、比較的晩婚のアレクシス様やディートリント様よりもお若い。しかし、ジェラルド様の気質をよくご存知の前侯爵グスターヴォ様からは、港町ギルランダで船を用意しておくとの返事があった。


 ジェラルド様もジゼッラ様も、子供には厳しく教育を施した。名門ガルヴァーニ侯爵家の看板を背負うのに、教養はどれだけ身につけても身につけすぎることはない。一方、孫にはどこまでも寛容だった。教育は親の役目、そして息抜きの逃げ場になってやるのは祖父母の役目だからだ。


 ジョルジョ様は、かつて自分を深く慈しんでくれた先々代夫妻が、足腰も覚束なくなった姿に非常に心を痛めていた。出来れば残り少ない余生を穏やかに過ごして欲しい。今から航海なんて無謀だ、何としても止めなくてはというスタンス。一方、海千山千の交易相手や海賊たち、そして内外の油断ならない貴族たちと堂々と渡り合う苛烈な父を知っているグスターヴォ様は、どうやら親父たちが元気を取り戻したようだと喜んでいらっしゃるご様子。彼は孫の中でも一番自分に似ているディートリント様を、ことのほか可愛がっていらっしゃった。久々に彼女が訪れたのだ、自慢の船を見せてやりたいのだろうと。


 しかし。


「ほっほ、グスターヴォ。元気でやっとるようだな!」


 久しぶりにギルランダに顔を出したジェラルド様は、背筋をピンと伸ばして矍鑠かくしゃくとした姿で現れた。それどころか、記憶もあやふやだったジゼッラ様まで。あんぐりと口を開いたまま固まるグスターヴォ様に、ギルベルタ様を合わせた三人はニンマリと笑った。




 港町を見下ろす高台に構えた、瀟洒しょうしゃな邸宅。温暖な気候に映えるテラコッタと白い漆喰。


「ようこそギルランダへ!———と言いたいところだが…」


 両腕を広げて芝居がかったジェスチャーの後、前侯爵グスターヴォ様が真顔に戻る。彼が顎を外したのは最初だけ。伊達に大貴族の当主なんかやってなかったわけだ。


「うふふ、兄上の驚いた顔。してやったりですわ」


 ギルベルタ様はちょっとじゃじゃ馬のがあるようだ。そしてアレクシス様とディートリント様、お子さんのアロイス様におまけの三名を紹介した。


「そうか、噂には聞いていたが、光属性のマッサージって奴ァそんなにヤベぇんだな」


 応接間で昼間っから強い酒をちびちびやりながら、グスターヴォ様がつぶやく。その強い酒というのも、デルブリュックでドワーフの親方たちがせっせと生産している火酒だ。あっちの世界のウイスキーとか焼酎とか、何年も樽で熟成させたり原料を燻して香りをつけたりという上品なものじゃなく、とにかく強い酒精を求めて作られた荒削りなものであるが、これが海の男たちにバカ売れしているそうだ。積み荷は軽いに越したことはないし、医者にかかることのできない海の上では高濃度アルコールが消毒液にもなる。デルブリュックには本国からもドワーフが集結し、急ピッチで蒸留所の増設が進められているが、未だ満足のいく生産量には至らない。なぜならドワーフたちが、出来たそばから飲んでしまうからだ。しかし、ガルヴァーニは大枚をはたいてでも買い求める。


 まあ、蒸留なんて仕組みは単純だし、いずれ他国にも広まるだろう。蒸留所の規模はそれなりだし、常時諜報を防ぐほどのセキュリティを張り巡らせることは不可能だ。現にドワーフの一部は製法を本国に持ち帰り、あちらでも生産を始めたらしい。ドワーフの国は火山地域にあって穀物の生産には向かないから、大量生産には穀倉地帯に拠点を構えた方がいいかも知れないが。彼らの飽くなき酒への渇望と高い工業技術が、より洗練された醸造・蒸留プラントを開発することだろう。


 既にガルヴァーニでも、名産の葡萄から葡萄酒の火酒の生産を試みているらしい。グスターヴォ様から供されたのは、ブランデーの原型らしきものだ。そのうち搾りかすからグラッパが作られそうだな。そうぽろりと漏らすと、「詳しく」と詰められた。ヤバい、グラッパはまだ早過ぎたか。


 しかしこの、前侯爵の893感。マフィアっぽいというべきか。


「海の男たァこんなもんだろ。てか、親父の方がよっぽどアレだったぜ」


「ほっほ、クラウス。ガルヴァーニはこうでなければ、荒くれの船乗り共を束ねることは出来んよ」


 俺たちの前では好々爺こうこうやにしか見えないジェラルド様だが、なるほど単なる温厚なお祖父様ではないということだ。そもそも娘をデルブリュックに嫁にやるほどである。娘の胆力もさることながら、それを彼女に授けたのはジェラルド様とジゼッラ様だということだ。つまり。


あねさん、よくぞお帰りになりやした」


 さっきまで粛々と俺たちを迎え入れた家令が、独特の所作でジゼッラ様の前に跪く。


「おいおよし。お客人の前だよ」


「しかし姐さん、俺ァ姐さんの元気な姿ァ見せられて、黙っちゃぁ…!」


 後ろに控える使用人の一部、特に年嵩としかさの家人たちがぐすぐすと鼻をすすっている。鷹揚に見つめるガルヴァーニファミリー。なんだか独特な世界だ。ディートリント様とアレクシス様は複雑な表情をしている。しかしベルント様はキラキラお目目だ。次はドラゴンが如くとか、仁義なきワールドなんかにハマりそうだな。そして、ディートヘルム様は「うむ、うむ」と腕組みをして彼らを見守っている。所詮デルブリュックも同類か。




 その後は、流れるように宴会へとなだれ込んだ。ジェラルド様とグスターヴォ様が無礼講なんて言うもんだから、おやしきの家人も揃ってどんちゃん騒ぎに。ディートリント様はアロイス様を抱いて途方に暮れ、アレクシス様はあちこちに呼ばれてお酌に回る。ベルント様はしれっと宴会に溶け込んで、ガルヴァーニ家の海の男たちと肩を組んでワインをラッパ飲みしている。一方ディートヘルム様は、ギルベルタ様に捕まって延々と説教だ。ギルベルタ様の目が据わっている。絡み酒ヤバいな。


 俺は、会場の片隅で使用人の皆さんと下働きだ。いくら無礼講と言われても、下っ端や若手の人が一緒になって飲むわけにはいかない。古今東西、無礼講とは建前に過ぎない。俺は魔法陣を使って次々とスパークリングワインや炭酸水を生成し、また下げられた食器をクリーンの魔法陣で洗浄した。そしてこれらの魔法陣は全てアレクシス様の研究の賜物だと功績をなすり…偉業を喧伝した。いつも「またやらかしたのか」と白い目で見られる俺、今回は上手く立ち回ったと思う。


 しかし、下っ端の俺たちがいくら働いたところで、おやしきの中はカオス。みんな飲み散らかして死屍累々となり、ほとんどザルのような女性陣はさっさと身支度して就寝。酔い潰れた男性陣はダイニングで放置。そして翌朝、領都ジュストから様子見に駆けつけたグスターヴォ様の奥方グリゼルダ様が到着し、この惨状をご覧になって雷を落とした。


 ガルヴァーニは女性の方が圧倒的に強い。間違いない。

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