第5話 シュッとしてファー

 春になると、徴税官がやって来た。


 春には徴税の手続きなどないので、何の用事かと思ったら、どうも生活魔法が領都で話題になり、大変なことになったそうだ。冬の間は国に納める税などの計算の仕事があるのだが、それらは全て同僚に振り直され、本人は王宮に呼び出され、宮廷魔術師に捕まって、根掘り葉掘り話を聞き出され、実験に付き合わされ、散々な目に遭っていたらしい。


 というわけで、雪解けを待って、徴税官と宮廷魔術師が乗り込んできた。


「それで、本当に村人全員クリーンが使えるという話は」


 着いた早々、挨拶もなく魔術師が話し始めた。研究熱心な若手のホープらしい。


「ええまあ、こう、シュッとして、ファッとして、サーっとするんでさぁ」


 村長は得意な顔をして説明をするが、要領を得ない。


「アンタ、シュッとしてファッとじゃ分かんないよ、こう、シュッとして、ファーっと飛ばすんだよ、そんでさあ」


 村長の奥さんが助け舟を出すが、更に要領を得ない。


「それで、これを最初に発見した者はどちらに」


 魔術師が話を向けると、なんと今年4歳の子供がこれを見つけたという。


「なんかね、シュッとしてファッとしたら、できたんだよ」


 鼻を垂らしてエヘヘと笑う子供に、どこも不審なところは見当たらないと思っていた。だが、この村で流行している木の板と石を使ったゲーム、投擲の練習をして狩の練度が劇的に上がったことなど、全てこの子供が発端であるらしい。


 更に、冬の間にツボを使った農業に成功したと言うではないか。にわかには信じがたかったが、もてなしに出されたトマトとキュウリを見て、確信した。この子供は、王都に連れ帰らなければ。魔術師は、満面の笑みで語りかけた。


「ボク、王都に行く気はないかい?人がいっぱいいて賑やかで、いろんなお店があって、美味しいものがたくさんあるよ」




 マズいことになった。派手にやりすぎたか。だが、快適な暮らしのためには、背に腹は代えられなかったしな。


 麦は秋に蒔き、夏に収穫する。せっかく土壌改良のスキルが得られたのだから、春からは野菜の畑で実験し、秋からは麦畑の収穫量増大を試してみようと思っていたのに。王都も面白そうだが、モルモットにされてはたまらないし。


「うーんとね、お母さんと一緒がいいから、行かない」


 エヘヘ、と笑ってみた。ここは4歳児パワーで押して行こう。


「なら、お兄ちゃん、しばらくこの村にいるから、一緒に遊んでくれるかい?」


 お、この魔術師キレ者だ。情にほだしていずれ連れ出す作戦か、それとも情報収集して一度持ち帰るつもりか。まあいい、こちらもこの世界の魔法について知ることができるかも知れないし、味方につけておくのも悪くないかもしれない。なんせ一介の平民が、国家権力に逆らう術などないのだから。


「村長、しばらくこの村に世話になりたいのだが、いいかな。あ、君は王都に帰っていいよ」


 村長は急な申し出に驚きながらも、「大したおもてなしもできやせんが」と了承した。徴税官は、領都ではなく王都に送還ということで、魔術師と側近の一人を残し、泣きそうな顔で帰って行った。




 魔術師が村に滞在するということで、しばらくは村全体が落ち着かない雰囲気だったが、やがて日常が帰ってきた。雪が溶けたら、春蒔きの野菜の栽培を始めないといけない。


 だが今年は少し様子が違う。皆、冬の間に土魔法と植物魔法に熟練して、春になれば実際の畑でどれだけ野菜が栽培できるのか、楽しみにしていたのだ。家々の周りの野菜畑は、村民の魔法で次々に土壌改良され、種を蒔いたかと思ったら、小さな子供までが魔法で楽々と水を撒き、植物魔法を使って、信じられない速度で育成していく。


(土魔法を広範囲で、しかも水魔法や植物魔法を軽々と…しかも誰も魔力が枯渇している気配がないとは…)


 魔術師は顎が外れそうになっていた。何なのだ、このスーパーエリートたちは。通常、宮廷魔術師でさえ、水球を何度か放ったら、魔力切れになって後方に引っ込むものだ。それでも、戦時中は清浄な水が貴重だから、重宝されて丁重に扱われる。ところがこの村人たちは、延々土を操り、貴重な水魔法で延々水やりをし、そして森の奥に住むエルフ族しか使えないと言われる植物魔法を自在に使いこなしている。


 しかも!無詠唱で!


 シュッとかファッとかシャーッとか、全く要領を得ない理解で、見よう見まねで。こんなことがあっていいのだろうか。我々が過去数百年に渡って研究してきた、理論とは、研鑽とは、一体。


 ガクリと膝をつく魔術師の隣で、例の子供が手から水を出して、虹を作って遊んでいる。


「お兄ちゃんもやるぅ?」


 お兄ちゃんは、力無い笑顔で、うなずくしかなかった。こうなったら、これまでの常識を捨てて、ここで吸収できる限りのことを吸収して帰ろう。ここで起こったことを論文にまとめたら、魔術界が震撼するに違いない。俄然やる気に燃えてきた。


「お兄ちゃんにも、この畑の魔法、教えてくれるかな?」




 魔術師の常識によれば、通常、魔力量は子供の頃に決まり、魔術師は自らの魔力の残量に気をつけながら、枯渇しないように大事に使う。魔力が枯渇したら、強烈な倦怠感に見舞われ、戦場であれば命取りになるからだ。


 人は過去から学ぶ。過去の記録を真摯に学び、同じ過ちを繰り返さないことこそ、進歩であり、研鑽けんさんである。魔法の行使においては、理論をしっかりと学び理解しておくことと、詠唱の正確さが大切である。


 そう思っていた時期が、魔術師にもありました。


「ダルくなったら寝るでよ、するとよう、だんだんダルくならんくなるんだぁ」


「こう、ファッとやってシャーッと、この勢いが大事なのよ、勢いが」


「なんべんも使ってっと、こう、強〜くなんだよ。ドバーッと」


 要は、魔力を遠慮なく枯渇させて、休めば魔力量が増えると。理論が分からなくても、勢いや感覚が大事であると。単純な繰り返しの実践で、より強化されると。


 身の回りの世話をする側近とともに、日々驚くばかりの村人の様子を観察しては書きつける。単純だが、奥が深い。これは研究しても研究しても終わらないかもしれない。魔術師は興奮して、来る日も来る日も書き物に勤しんだ。




 一方、毎日根を詰めて書き物に没頭する魔術師に、村人は心配していた。なんせ、農村には農作業をしない村人などいない。冬の間は家から出られなくて、あれだけ退屈なのだ。ずっと屋内にこもっていたら、体を壊すだろうとの配慮だった。


「おう、兄ちゃんもやってみ」


 さる高貴な身分にも関わらず、平民にも気さくな魔術師は、村人に「兄ちゃん」と呼ばれて親しまれるようになっていた。いや僕は遠慮するから、と断る魔術師を、屈強な村の男が何の悪気もなく外に引っ張り出す。やっぱ男は狩だよな、などと言いながら、この的に石を投げろと勧められた。


 驚くべきことに、村人の投擲技術は、正確無比であった。老若男女、笑いながら、結構な距離に配置してある木の的に、的確に的中させていく。小さな子供までが、驚くほどの剛腕であった。


「いやあ、みんな最初はこんなじゃなかったのよ。だけどほら、あそこん家の子が」


 またあの子供だ。あの子供が、的に石を投げる遊びを繰り返していて、驚くべき投擲術を身につけていたと。それを大人が真似てみたら、狩猟の腕前が飛躍的に上昇したと。


 まさか、投擲術まで、魔法と同じだというのか。


 単純な反復作業で、魔法のみならず、身体能力や、その他の技術まで飛躍的に向上するというのか。


 魔術師は、ゴクリと息を飲んで、それから的に石を投げた。近い距離から投げたというのに、運動というものをまるでしたことのない彼の投擲では、石は的に当たるどころか、手前で落下した。


 本当に、反復すれば、当たるようになるのか。彼はそれから、しばらく石を投げ続けた。これが一体何になるのか。エリート魔術師である彼が、狩猟に出ることなど、これから一生無いであろう。だが、どうしても試してみたかった。本当にこれで、自分にも投擲術が身につくのかと。


 筋肉痛で、腕も上がらないと思われた3日目、初めて的に石が当たった。コツン、という音が響いたのと同時に、自分の内側で、これまで経験したことのない、何か不思議な力が湧き上がるのを感じた。それから、何度石を投げても、コツン、コツンと、的に石が当たるようになった。


 魔術師は、石投げを日課とするようになった。毎日朝起きると石を投げ、村人の観察をした後は石を投げ、食事を終えると石を投げ、書き物をし、眠る。そうしているうちに、的から相当距離を置いても石が当たるようになり、やがて村人と遜色そんしょくのない投擲技術を身につけるようになった。


 この世界の常識が塗り変わるのは、魔法だけではないと、彼は思い知った。




 一方で、新しい魔法の習得は、困難を極めた。


 徴税官が言っていた通り、村人の魔法を習得するのは、何の学問も修めていない馬丁や荷役人の方が早かった。下手に魔法についての知識がある分、本来自分が持っていない土属性の魔法が、どうしても使えない。村人の説明も要領を得ない。土魔法の習得が、植物魔法習得の足がかりだと言うのだから、完全に詰んでいた。


 村に滞在して、既に3ヶ月。研究のためとはいえ、これ以上王都を空けるわけにもいかない。若くして責任ある立場にある彼には、あまり時間がなかった。




 だんだんと元気が無くなっていく彼が、ちょっと心配になってきた。


 気持ちは分かる。今まで魔法の魔の字も知らない、文字も読めない村人が、自分の使えない属性の魔法を、楽々と使いこなしているのだから。


 彼は仕立ての良い服を着て、きっと高級品であろう羊皮紙を大量に持ち込んで、惜しげもなく書き物をしている。多分相当な身分のエリートなのだろう。だが、村人に尊大に接するわけでもない、時には師と仰いで謙虚に教えを乞うところも見かける。村人は最初、お貴族様に話しかけられて、恐れ多くて尻込みしていたが、最近は「おう、兄ちゃん!」などと声をかけて、すっかり村に馴染んでいる。


 うん、良い人っぽい。彼なら、知識を共有してもいいかもしれない。


「お兄ちゃんこんにちは!」


 俺は、いつもの無邪気な子供を装って、彼に近づいていった。




「あのね、お兄ちゃんって、まほうつかいなんでしょう?」


「ああ、うん、そうだね」


「ボクにもまほうをおしえてほしいんだけど、いいかな?」


「あはは、魔法だね。でも、村のみんなの方が上手に使えていると思うよ?」


 ごめん、なんかトラウマをえぐったみたい。ちょっと自虐的になっている。


「まほうって、ほんとうは『じゅもん』っていうむずかしいことばをとなえるんでしょう?ボク、そういうのわかんないんだぁ。なんか、おなかのなかに、ぽかぽかしたものがあって、それを手からえいって出すしかできないの。」


「お腹からぽかぽか…まさか君、魔力循環を…」


「まりょくじゅんかんってなぁに?むずかしいことばはわかんないけど、こう、手から出す時に、土になれ、えいって。そしたらパラパラって」


 ソイルを見せてみた。


「で、水になれ、えいって。そしたらジャーって」


 ウォーターを披露してみた。




 魔術師は、俺の手と自分の手を見比べながら、ワナワナしていた。そして、意を決して


「ソイル」


 と唱えて、手を地面にかざすと、土がポロポロとこぼれ落ちていった。


「まさか、こんな簡単なことで…」


「くりかえしてたら、土がいっぱい出るようになったんだよ。でも、かっこいいじゅもんとかわかんないの。これ、どういうじゅもんをとなえたらいいのかな?」


 無知を装って、ニコニコと聞いてみた。そうだろうそうだろう、びっくりだろう。こんなに簡単に属性魔法が手に入るんだよ、チミ。


「…呪文なんて必要ないんだよ。こうして魔法が使えたら、呪文なんて。」


 呆けたように、手を見つめながら、ぶつぶつと何やらつぶやいていた魔術師が、動きを止めて、ゆっくりとこちらを向き直った。


「…ところで君、呪文なんて難しい言葉、どこで知ったの?」




 魔術師が、満面の笑みでこちらに向き直った。


「よく考えてみたら、おかしな話だよね。属性魔法の習得方法も、他のスキルの習得方法も、珍しいボードゲームも、みんな君が発端なんだよね。」


 ねえ、君は一体何者なの?と、迫力の笑顔で迫ってくる魔術師に、俺は愛想笑いしながら後ずさった。


「君の生育に関して、不審な情報は得られなかったし、こうして見ていても普通の男児にしか見えない。だけど、そんなことはどうでもいい。君は特異な存在だ。しばらくしたら、一緒に王都に行こう。いいよね?」


 有無を言わせない笑顔だった。無論、平民に国家権力にあらがう力などない。俺は焦ってうなずきながら、あはは、王都って楽しみだな〜、と愛想笑いしておいた。しまった、助け舟を出しすぎた。




 その夜、魔術師は両親に向かって、俺を王都に連れていくことを告げた。彼の人となりは、数ヶ月の滞在で、村民には伝わっていたので、両親も快く受け入れた。母親だけは涙ぐんでいたが、この魔術師なら悪いようにはしないと信頼したのだろう。兄たちには「ズルい」と言われた。


 魔術師の出立は急だった。魔術師にとって、村の生活は何かと不便に違いない。早く王都の生活に戻りたかったろう。二日のうちに準備が終わり、俺は魔術師と一緒に馬車の上の旅人となった。農民のせがれが馬車に乗るのはふさわしくないと断ったのだが、魔術師は「いいからいいから」と聞き入れず、それからずっと馬車の中で質問責めに遭うのだった。

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