クリスティ『春にして君を離れ』を読んで

ラブムー Itsuki Horiuchi

クリスティ「春にして君を離れ」を読んで

 一気呵成に読み終えて、深いため息をついた。

 クリスティーを読む時は、たいていそうだ。一気に読んで、ため息をつく。でも、本作でのため息は、これまでと少しばかり違った。

 

 確かに傑作だと思った。

「確かに」というのは、本作がクリスティーの中でも指折りの作品であることは、ミステリファンの友人や、ネットで時おり目にするクリスティーファンの熱い語り口から知っていたから。アンチ・クリスティーの小説好き知人も「あれだけはいいよね、まあ推理小説じゃないけど…」と口幅ったく言ってたっけ。


 それでも、なかなか本腰を入れて読む気になれなかった。授業中、教科書の裏に隠してクリスティーばかり読んでた中学生の頃は「なんか地味だし、ハーレクインみたいなやつかな」(決してハーレクインを軽視しているわけではありません)と思って手を出さなかったし、5、6年前に買った時も、数ページ読んで、「いや、やっぱまだいいかな…」と本棚にそっと戻したのだった。

 というのも、「七面倒な女性の愚痴が延々と続きそう」というような偏見と、「犯罪事件は起きっこない」という決めつけと「対訳が微妙そう…」という思いこみが邪魔をしていたから。


 しかし今回、手元に未読のミステリ小説が他なかったからというのもあって、意をけっして読んでみたところ…。

 

 当方、まだ読後の興奮冷めやらぬ、といった状態で本稿を書いているので、本作を傑作と感じた論拠はもちろん、素朴な読書感想も書ける気がしないのだが、今後「クリスティー・オールタイムベスト」を挙げるなら、確実に入ってくるだろうし、本作で描かれた主題にはこれからもたびたび立ち戻ることになるだろう。


 ただ、どのように傑作だったか? それを言語化しようとすると、どうもキーボードを叩く手が止まってしまう(頑張ってみよう)。


 一見、地味な作品だ。予想した通り、序盤から中盤にかけては裕福で魅力のない中年女性・ジョーン・スカダモアさんの愚痴と回想が延々続く。場所は列車の交通が途絶えたトルコのぱっとしないホテル。風光明媚もなければ、食事は判で押したように同じ。謎めいた宿泊客なし、事件もなし。その意味では最初の懸念は外れてはいなかった。

 でも、だからこそ、と言うべきか。本作は素晴らしい。 

 ミニマム、かつ融通無碍な構成と主人公キャラクターの造詣。

この2点において、本作は重要なアクロバシーを為し得ている。前衛的だったり、難解な話ではない、まったく(むしろ、推理小説が苦手な読者にとっては取っつきやすいくらいだろう)。

 ただ、これまでクリスティー作品を少なからず読んできた読者としては、この構成でエンターテインメントとして最後まで読ませると同時に、クリスティー作品に通奏低音として伏流していた「或るテーマ」を見事に浮かび上がらせた、という意味で深く驚かされたのだった。


 読み始めこそ、主人公・ジョーンさんの一人語りに読者は辟易、あるいは油断するかもしれない。このキャラ、クリスティお馴染みのやつ…と感じるかもしれない。


 しかし本作の中盤になって、読者は気づく。


 ひょっとして、ここでクリスティーは、とんでもないことをやろうとしているのではあるまいか?と。


 そして、本作は或るポイントを越えると、たわむことなく、ラストまで突き進む。まるで強力なドリルで厚い木板を一気に貫通させるように。


 その構成はミニマムかつ、とことん内省的である。何しろ、本作における骨子は、主人公ジョーンさんの偏った感情的かつ狭量な視点のみで、自分と周囲の者たちの過去をひたすら振り返るだけなのだ。それは検証でもなければ、独白でもない。愚かしい女のリアルな行きつ戻りつする「騙り」だ。


 おまけに本作の主人公は、所謂推理小説/ミステリにおいては、まずスポットライトを浴びることのないような女性である。

 もし、本作がクリスティー通常運転の(と言うべきか)殺人事件ものだったら、彼女は犯罪を為すだろうか? 間違いなく為さない。否、為せない(むしろまっ先に被害者になるようなタイプだ)。

 彼女は世俗的な成功、物質的安定のみを自らの信条とし、周囲の人間たちにもそれを強引に課してきた、誰からも愛されない、しかし自分では夫や子供たちから愛されている、必要とされている…と思いこんできた可哀想な女(プアー・ジョーン)だ。


 そんな彼女が、ひょんなことから、長旅の足止めを食い、予期せぬ(そしてこれまで避けてきた)内省の時間を強いられる。彼女はそこで真実らしきものの光をほんの僅かな時間、垣間見る。

 彼女は自分がその深層心理においては「真実」を知っていたのだが、これまでの生涯において、見てみぬ振りをしてきたことを識る。その認識は生まれたての陽光のように強力で、彼女の外殻を貫通し……彼女は変質する。


 だが本作のエンディングでは、やはりというべきか——クリスティーらしい暗いウィットが炸裂する。主人公が得た一瞬の光は、彼女のこれまでの慣習と、自らが作り出した檻に再び彼女を閉じこめてしまう。

 しかし、長年その檻に彼女を閉じこめてきたのは、主人公女性とは対照的に、家族や町の住民たちに愛され、自らと妻・ジョーンさんを皮相的に嘲笑してきた夫でもあった。本作は「悲惨な人生」を生み出した夫婦の共犯の記録でもあったのだ。


 ほんの一瞬射し込んだ陽光が、長いことお互いを「見る」ことを避けてきた(それを自覚することをも避けてきた)夫婦の人生を刷新することは叶わない。

 本作は読者に内省の機会と隠された「視点」を与えてくれるという意味で、画期的なミステリであると同時に、じつに得難い「通俗小説」である。「自己と他者」を隔てる強固な牢獄を暴き立てる、「怖い」作品だ。だが、そこにはクリスティーにしか書けない「優しさ」が仄見える。

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