オマージュ

西尾 諒

第1話 プロローグ 


 「日曜日の午後は人生で最悪な時間だ」、といえばあなたも共感してくれる・・・だろうか?

 すまない、うなづいてくれたかもしれないのに。でも、僕にとっては、必ずしも「いつも」というわけではないのだ。ただ、第一週の月曜日には営業会議がある。そして明日は六月第一週である。だから今、僕は最悪の時間の中へとうずもれつつある。

 僕の営業成績がとりわけ酷いというわけではない。だが、会議では、よほどのことがない限り僕ら営業部員はめられることはない。営業部長以上の幹部は部員のあらを探して「叱咤激励する事が自分の仕事」だと考えている。つまり・・・彼らは「僕らが怠け者だが、怒られるのが嫌だからこそ仕方なく」仕事をする、と思っているのだ。つまりその会議は怠け者を幹部様が叱咤激励しったげきれいするために設定されているというゆがんだ設定に基づいて成立している。

 世の中には「怒られるのが嫌だから仕事をする人間」が一定数いることは事実だ。そう考えている人たちとそれを叱る上司だけが組み合わさって仕事をすれば、世の中は少し幸福になるのかも知れない。

 ネジとナットはみ合ってこそ機能する。だが、世の中は噛み合わないネジとナットに溢れている。とにかく、問答無用、年率15%の成長が「必要」というのが会社幹部の考えだった。昔はそんなことはないどちらかというと平凡な中小企業だったのだけど、投資会社が経営にのりこんできてから様相は激変した。「年率15%」の成長を前提として経営は構築されており、その成長を支えるリソースは全て整っている、というのが彼らの全ての「前提であり、主張」なのだ。それでなくては彼らにとって「企業」を買った価値がない、と。

 顧客のリピート率、顧客同士の紹介によるネットワーク化、流通在庫の把握、過剰在庫の際にどうやって掃いていくのか販売店と知恵を出し合うこと、そうした地道な活動が営業を支えているというのが僕の持論だ。

 それでも予算消化進捗がうまく行っている間、彼らは表面上、おとなしく僕の言い分を聞いている。だが心の奥底では「そんなの関係ねぇ」と考えているに違いない。なぜなら結果が15%を割り込むなり、プロセスやその状況に関係なく「叱咤激励」が始まるのだ。こっちはこっちで年率15%の成長が前提のビジネスモデルなんて、「そんなの関係ねぇ」と想っている。そもそも僕らの業界は年率15%で永遠に成長し続けるような業界ではない。それとなく僕がそう示唆しても、彼らは「他社のシェアを奪うことで成長は可能」と言い続け僕が言い訳をしようとたくらんでいると邪推じゃすいする。だが僕には彼らが「可能」と「現実」を混同しているとしか思えない。

 彼らのM3口径のネジと僕のM4口径のナットはここ一年、ずっと噛み合わないまま空転し続けている。噛み合わない主張はいつか破綻するに違いない。そうなればどうしてもこっちの方が不利だ。幹部が株主によって全員揃ってクビにでもされれば別だけど、そんな可能性は限りなく全くない。今年は・・・年率10%までは見込みがついているのだけど・・・。そろそろ転職先を考えなければならない時が来ているようだ。

 ちなみに僕の勤めている会社は「ネジ」の製造販売会社である。


 梅雨のど真ん中。湿った部屋の中で僕は3度目のため息をついた。ため息をつくと幸福が逃げていくという説は正しいように思っていた。でも・・・そうでないときだって・・・たまにはある。


 午後四時、いよいよ抜き差しならない億劫おっくうさに押し潰されて、椅子に座った姿勢がよじれそうになった時、携帯電話が鳴った。名前は表示されず、電話番号の数字は見慣れない物だったけど、よじれ掛った姿勢のまま僕は受信のボタンを押していた。誰かから助けの電話かも知れない・・・。そんな虚しい期待を抱きつつ僕は受話ボタンを押して送話器に話しかけた。

「もしもし」

 少し間を置いて、僕は首を傾げた。返事がない。悪戯いたずら

「もしもし」

 もう一度言って、応答がないなら切ろうと思ったその時、

「あ、つながっているんか・・・。西尾、俺だよ。おれ」

 微かに聞き覚えがあるような男の声が受話器から流れてきた。でも、誰か、までは分らない。分ったのはこちらの名前を知っている以上、悪戯電話ではないという事だけだった。

「どちらさまでしょう」

 探るような声で訊ねた僕の耳にがさつな笑い声が響いた。

「様、というほどのものじゃないよ。俺だよ、岡野。高校のときの」

 岡野・・・高校。一瞬の間の後に、声と映像が頭の中で繋がった。眠たげな二重瞼ふたえまぶたと薄い眉、面皰にきびの跡が残った薄茶けた丸顔、アンバランスに長い手足がどこか昆虫を思わせるような体型。

「ああ・・・岡野か、久しぶりだなぁ」

 久しぶりにもほどがある。高校を出てから三年ほどして、一度だけ実家近くの駅で鉢合わせをして以来のことだ。もうかれこれ二十年にもなろうか。

「どうした、突然?」

 僕の問いに岡野は憤然ふんぜんとした口調になった。

「突然じゃないだろ。同窓会の葉書、届いているだろうが」

「ああ・・・」

 忘れていた。二年か三年に一度、思い出したように同窓会の通知葉書が来るようになったのは高校を卒業してから十年ほど経った頃からだ。

 僕が岡野の居る高校に移ったのは親の転勤の関係でどうしても転校しなければならなかったからで、僕自身が望んだことではない。望んでない転校で、割を食うのは子供の方である。まさか高校生にもなって転校先で嫌がらせを受ける羽目になるとは考えてもみなかったが、その子どもじみた嫌がらせの張本人は、当初から同窓会の幹事役をやっていたこの岡野という男であった。

 岡野は地元で実家の不動産屋を引き継いでいて、そんなことから地縁を大切にしようと考え同窓会の企画を思いついたらしい。だが僕のように地元を離れた人間には余り興味がないらしく、返事を書いても書かなくても一向に構われなかった。

 そんなこともあってクラス会には一度も顔を出さなかったし、今まで一度もそのことで電話が掛ってきたことはなかったのだが・・・。懐かしさより、高校の苦い思い出が心をよぎったのだが、岡野はそんなことを全然覚えていないのか、

「返事くらいよこすのが社会人としての常識だろう」

 と嫌な正論を喰らわせてきた。世の中にはいつも正論とかけ離れたことをやっているくせに他人には正論を平気でくらわせてくる奴がいる。

「ああ、悪かったな。後で返事を送るよ」

 電話が・・・誰かの助けかもしれないなどと思った自分の愚かさを呪いながら僕は答えた。

「いや、返事は送らなくてもいい。出席するよな」

「え?」

 岡野の思いがけない強引さに、僕は

「・・・いつだっけ」

 とたずね返すのが精一杯だった。まさか、無理矢理勧誘するほどの事柄だとは思ってもみなかったのだ。

「七月七日、七夕たなばたの日だよ。土曜だから大丈夫だろ?」

「えーっと、その日は、お客さんと一緒にゴルフがあるんだよ」

 そう答えると、受話器の向こう側は暫く沈黙した。

「そんなこと言って良いのか?」

 何故か強気に出てきた岡野の意図が分らず、僕は受話器を握り直した。

「カマタが来るんだよ」

「カマタ?」

 「覚えていないのか、蒲田佐知だよ。あの歌手になった・・・」


 覚えていないわけがない。そして・・・彼女の本名を聞いたのは久しぶりだった。


 蒲田佐知。クラス替えのなかった高校で、彼女は3年間を僕らと一緒に過ごし卒業したあと、県内の短期大学に入った。卒業して暫くの間平凡なOLとして働いていると聞いていたのだけど、彼女がそこをやめて芸能界に入ったという話を聞いて僕はびっくりした。20歳を過ぎてから芸能界に入って成功するなんて、聞いたことが無い。

 僕の懸念は半分あたり、半分外れた。あたりは小さく、外れは大きかった。最初の内彼女は苦労したらしい。モデルやレースクィーンなどの仕事が主で、ちょっと際どいセミヌードの写真集なども出したらしいと聞いて僕は少し心が揺れた。写真集は買わなかった。買えば彼女にそれだけ印税が入るのかも知れないけど・・・。

 蒲田佐知。僕が高校生の時に転校してきたばかりの一年生の時のクラス委員長。

「分らないことがあったら何でも聞いてね」

って、最初の日に言った彼女の笑顔は今でも目に焼き付いたままだ。切れ長の目、整った鼻、柔らかそうな唇。

 蒲田佐知。そして彼女はある日、突然、変貌へんぼうを遂げた。その時、彼女はもはや蒲田佐知でさえなかった。Voxというグループの作詞家、そしてメインヴォーカル、奥田早紀という名前で紹介された彼女をテレビで初めて見たとき、僕は一瞬でそれが彼女だと直観したにもかかわらず、何かの間違えだと思っていた。こんなに蒲田佐知に似た容姿、雰囲気、声の人間が世の中にいるのだ、と。

 けれど、歌い終えて彼女が司会者に話しかけられたとき、一瞬見せた癖、緊張した時前髪を掻き上げる仕草を見た時、僕の誤解はお湯を掛けられた氷のように一気に溶けた。彼女は「間違えなく」蒲田佐知、その人だった。

「あの、蒲田が来るんだぞ、お前も、当然来るだろう?」

「あ・・・」

 岡野の性急せっかちな問いに答えが詰まった。

「じゃあ、いいな。会費は6000円だから、つりのないように用意しておけよ。開始は5時。学校の近くの『海竜園』で。待って居るぞ」

 そう言うと岡野は問答無用で電話を切った。

 ゴルフというのは欠席の言い訳ではなく、本当のことだったが幸いにしてプレーの開始は朝の九時、場所は相模原のコースだった。学校のある秦野はだのまではそれほど遠くはない。行こう、と思えば十分に行ける距離だったし、時間だった。

 蒲田佐知・・・彼女に会えるのならば無理をしてでも行きたい。高校生活では一度も感謝したことのない岡野だったけど、その強引さに今日は感謝したいくらいだった。蒲田佐知の写真集は買わなかったけれど、奥田早紀のCDは・・・買って何枚も持っている。そして何かに行き詰まった時に聴いたものだ。そのことを思い出して僕は書棚から彼女が最初にリリースしたCDを手に取った。

 確かに・・・日曜日の午後、聞くのにこれほど相応ふさわしい曲はなかった。その意味で岡野からの電話はまさに禍時まがときの助けだったのかも知れない。

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