【小話】とある日の雑談

「リクさんは、ここで働いてどれくらいになるんですか?」


  今日も来ないだろうお客さんを受付席で待っていたときだった。視線を上げれば、勉強に来ていたジェイバーくんは本からじっとこちらを見ていた。興味津々な瞳が見つめる。


「もう5年かな。魔力鑑定してもらって、すぐだったし」


 懐かしい。どん底だった俺を拾ってもらって、それからルーカスと軽く一悶着があって。月日の経つのは早いものだ。旅立ったルーカスは元気にしているだろうか。出かけてからというもの、まだ顔を見せに帰ったことはない。怪我や病気なんてしていないといいのだけれど──遠くをぼんやり見つめて思案に耽っていると、ジェイバーくんの声が現実へと引き戻した。


「へぇ……ポーション屋さんが昔からの夢だったんですか?」


「……いや、絶対ポーション屋になる! みたいな感じではなかったな」


 魔法を扱う仕事で、自分を雇ってくれるなら──と飛びついていったわけだし。……そういえば、自分は特段この仕事がしたい、という願望は抱いていなかったような気がする。あまり、人生設計は得意ではない質だ。今になって自覚した。


「……じゃあ、なんでですか?」


 不思議そうに首を傾げる。店の奥へ、軽く顎をしゃくった。


「あの人に拾ってもらったんだよ」


「フォールハイトさんに……リクさんが?」


 疑問が隠しきれない声色。首肯する。


「うん。俺、なんの仕事も向いてなかったからさ。落ち込んでたところを拾ってもらったんだ。あんま役に立ててないけど」


 自虐交じりに笑ってそう言えば、慌てて否定するように彼は唇を開いた。


「で、でも……ポーションを作れるし、立派にお仕事なさってるじゃないですか。すごいです!」


「いや? 俺だけじゃポーションは作れないよ」


 言葉の意味を理解できないように、大きな瞳が瞬いた。


「だって俺、魔力無いし」


「……へ」


 ぽかんと口を開いている。言葉を失っているようだった。こういう表情は、なんだか久しぶりに見る気がする。

 ……あれ。


「言ってなかったっけ?」


「言ってないです!?」


 ああ、言ってなかったか。上擦った声が返される。幾分か慣れはしたのだが、なんだか一周まわってこういう反応も面白く思えてきた。……良いことか悪いことかは置いておいて、悲しむよりはまあいいだろう。


 驚愕したジェイバーくんの百面相を見つめていると──突然はっと、なにかに気づいたように目を丸くして。顔色は青くなる。どうか、したのだろうか。


「……すみません」


 ぽつりと謝罪を口にして、視線を伏せる。なんだか、酷く辛そうな顔をしていた。


「……リクさんは、魔法を使えないのに。僕の悩みを聞いてもらってしまって……」


 僅かに震えたその声は、罪悪感に満ちていた。ああ、この子は──人のことを思いやれる子だ。そんなこと、気にしなくていいのに。

 下がった眉。申し訳なさそうに結ばれた唇。いつもより小さく見えるその姿に、「顔を上げて」と口を開いた。


「だからってジェイバーくんの悩みが小さいってことにはならないよ」


 魔力がある人には、魔力がある人なりの悩みがある。それは、ハイトさんを見ていればわかることだった。だから彼が罪悪感を覚えるなどお門違いだ。結局俺たちは、ないものねだりをする生き物なのだから。


「悩みを聞けて、俺はむしろ嬉しかったよ。これからも、そうやって相談してくれたら嬉しいから」


 微笑んでそう言えば。「……じゃあ、聞きたいことがあって」と、おずおず告げる。


「……将来のこと、ちょっと考えてるんです。おふたりに、いろいろ考えてもらったから……」


 開いていた植物学の本に、彼が視線を落とした。


 学者になっても、そうでなくとも。俺よりもよっぽど素敵な大人になっているだろう。弛まぬ努力を続ける彼の未来には、無限大の可能性があるのだから。


「今、僕は、学者を目指してますけど……自分には才がないといつかわかるかもしれない。最初からやろうと決めてた仕事に、就けないかもしれないですよね」


 不安を滲ませて、ぽつりぽつりと言葉を繋げる。訥々と吐かれる言葉は、彼の将来への憂慮を表しているようだ。「すみません、まとまらなくて。……何が聞きたいかと、いうと……」そう口にして、彼は俺の目を真っ直ぐに見つめた。


「リクさんは、拾われたと仰っていましたが──ここに来て良かったと、思いますか?」


 ここに来て、良かったか。それは──


「……そう、だね。うーん……もし、の話だけど。夢を一度諦めても、出会った誰かに別の夢を与えてもらえることだってある。……俺はそうだったから」


 真剣な色を浮かべた瞳に言葉を紡いでいく。店の奥に一瞬だけ視線をやってから、微笑んだ。


「ハイトさんもいい人だし。ポーションのことを学ぶのは楽しいし、魔法を使っているのを見るのも楽しいし──」


 空を見つめ、指折って言葉を紡ぎ──ジェイバーくんへ視線を向ける。なんだろう、というように不思議そうな顔で言葉の続きを待つ彼に、口角を緩く上げた。


「ジェイバーくんにも会えたし。ここに来て良かったと、俺は思ってる」


 大きな瞳は、面食らったように瞬いて。へにゃり、と眦が下がった。


「……っ僕も、リクさんに会えて良かったです。えへへ……」


 はにかんでから、立ち上がった彼に飛びつかれる。ぎゅうと強く抱きしめられた。なんだか、弟ができたような気分だ。なんともいじらしく、愛嬌がある。思わず柔らかい薄緑の髪を撫でれば、また破顔するから。しばらくの間、俺たちはハイトさんが来るまで抱き合っていたのだった。


 余談になるが──ハイトさんの纏う雰囲気は、不思議といつもより浮かれている、ように見えた。

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