京都 八坂神社

 その日、私は京都に来ていた。

 京都河原町駅である。

 これは特に仕事で、とかではない。いわゆる観光目的だ。

 当日は2月。

 寒い冬空。曇り空ではあるが、どこか冬らしい趣があって好ましい。

 映画や小説の舞台として有名になった阪急線を使い、混雑した車内を這い出て到着。

降り立った京都の賑わいは変わらず盛況。

 コロナ禍の影響もあっただろうが、それでもなおガヤガヤとしたこの感じは、どこか安心感さえ覚えた。

 せっかくなので、まずは腹ごしらえ。

 京都河原町駅から少し離れたおばんざいのお店の暖簾をくぐる。

 洋風感漂う、ちょっとお洒落な雰囲気のお店でお昼ご飯。

 それでもメインはおばんざいなのだから、京都らしい和風が売りのお店だ。

 とても丁寧にお出汁の効いたお茶漬けとともに、おばんざいを舌鼓。

 高級感あふれる和のテイストが、素敵なお店だった。

 あまりにお洒落なお店だったため、私の場違い感が凄かったのだが。

 お昼を堪能した後は、いよいよ八坂神社へ向けて出発。

 いろんな言語が飛び交う京都の通りを歩く。

 お土産物のお店を通り過ぎ、やっと八坂神社へ到着。

 この日、実は節分真っ只中。

 出店も軒を連ね、観光客もおそらく普段以上に多いのだろう。

 人混みが苦手な人には、とても辛い状況だ。

 そう、私のような、人混み苦手族の人間には。

 完全に、時期を見誤っていた。

 キャッチフレーズで見たことのある「そうだ、京都へ行こう」のノリで来てしまったことを、僅かに後悔さえした。

 それでも、ここで引き返しても仕方ないし、という謎の使命感にも似たものに引き止められてしまった。

そして、何より、この言葉に後押しされてしまったのもある。

『これも、経験資料』。

もはや、私を止めるものは何もなかった。

 和洋折衷入り乱れた人混みへ、いざ突貫。

 お参りする本堂まで一直線。

 神社の境内は案の定の賑わい。東西南北様々な言語が飛び交う、まさにカオスな様相だった。

 神楽舞台では、すでに終わったのか豆まきの撤収アナウンスが響く。

 それでも引く気配が見えない観光客の荒波をかき分け、なんとか無事に本堂へ。

 二礼二拝手。

 最後に一礼。

 これをするために、ここまで来たのだ。

 妙な達成感を感じながら、せっかくなのでと出店を回る。

 いか焼きとベビーカステラを抱えて、トイレ近くのベンチへ。

 一人座って、戦利品を舌鼓。

 こういう屋台のご飯は、なぜこうも美味いと感じるのだろう。

 なぜ、自分が作ってもこんな味にならないのだろう。

 こういう屋台の食べ物を食べる度に、不思議に思う。

 休憩を終えて、神社を後にする。

 人混みで疲れたのもあるが、何より曇天から雫が降ってきたような気がして、傘を持たない私は早めに切り上げたのだ。

 行きと同じ道を、逆走して帰る。

 古き良き日本の京は、昔から変わらずこんなに賑やかなのだろうか。

 ふと、そう思った。

 

 

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