第19話 神の使い

皆が黙っていた。レベッカはきっと自分と同じことを考えていると思った。バートのいう女性もレベッカと同じように湖で正気を失ったのだろう。

何も言い出せずにいると、バートは続けた。


「普通に考えれば教会の教えを信じる所だったんじゃろう。だが私は逆に疑うようになった。そして彼女と調べていたことを調べ続けた」


「彼女の事件を対処した事で、私の教会での地位は向上した。そうして読めるようになった文献で、皮肉にも更に多くの事がわかった。神の持つ複数の能力と、それらの発現条件じゃ。その1つに心を操る術があった。操られたものは正気を失い猟奇的な衝動に駆られる。まさに彼女の状態じゃよ」


バートの声が少し震えている気がした。


「私は神を憎んだ。それでもどうすることも出来なかった。神の能力はほとんどが、他の人の協力がないと何も出来ない。だが世界を構築し直す能力だけは我々がどうにも干渉するのが難しい。それがある限り何をしようが奴の掌の上じゃ」


「触媒を破壊すれば新世界を構築するエネルギーを集める前に、この世界を終息させられるかもしれないと考えたが、肝心の触媒は見つからない。最後の希望は神自身を降臨させ、自分の手で殺めることだった」


「そんなことを丁度考えていた頃、教会に敵対する集団との抗争が激化してある事件が起きた。正確には私も事件を起こした1人だがの。当時の大司教はこのままでは教会が危ういと判断し、ある魔術を行った。それが神の使いの召喚だった」


「その儀式は、3人の信徒を、我々幹部5人が囲み、長い呪文を詠唱するものじゃった。正直何も起きないと、たかを括っていた。異変が起き始めたのは、詠唱を初めて10分ほどだろうか。空が段々と暗くなり空気が凍るように冷たくなった。そして黒いもやが空から蛇のようにゆっくり降りてくる。囲まれていた3人の信徒の元に靄は降り注いだ。すると固まったあぶらが火で溶けるように、信徒達の体があっという間に溶け、1つのドロっとした塊のようになった。うごめくその塊から、4足歩行の化け物が這い出てきたんじゃ」


恐ろしい話ではあったがピンと来ていた。これは日記の男も書いていた犬の悪魔とやらに違いない。バートは続けた。


「世にも恐ろしい光景じゃったよ。その使い魔は、血にも泥にも見える液体を垂れ流しながら、敵対する者たちの集落の方へ向かっていった。人間の足では到底追いつけない速さでな。我々が集落へ着いた時、目を疑った。辺り一面、まるで沼のようにドロドロになっており、元々生えていた草木は焼かれた様に枯れていたんじゃ」


「使い魔は鋭利な尻尾で家々を叩き切り、逃げ惑う人々をそのまま食っていた。まるで地獄じゃよ。ものの数分で集落が1つ無くなってしまった」


「使い魔はそのまま何処かへ走り去った。話によると、湖の上を駆けていく大きな馬を見かけたという目撃談があったそうだ」


「そんなものを目の当たりにしてしまってな。神には到底力が及ばんと悟ったんじゃ。目の前に召喚出来たところで、飲み込まれ奴の糧になるだけだとな」


バートの顔色が悪く、疲労が見てとれる。少しの沈黙の後、休憩をしようと、バートは席を立ちキッチンに向かった。

ハムのような薄い肉と、切った果物を持って戻ってくる。薄い色の飲み物が注がれたグラスと合わせて、それぞれの前に並べられた。


「腹が減ったろう。東の丘で取れたオレンジだ。肉は私が燻製したものだよ」


「こちらの飲み物は何ですか」


「ワインさ」


3人でワインと軽食を取った。バートの血色も次第に良くなり、表情も柔らかくなったように感じる。

少しの団欒の後、レベッカは意を決した様に話し始めた。


「バート。湖でのことなんだけど、心当たりがあるの。10日くらい前、湖を舟で渡ってた時、私、正気を失ってるの。もっと言えば彼を殺しかけたわ」


「何だと。それは本当か」


バートは驚き、レベッカと私に交互に目線を向けた。向けられた目線に黙って頷く。


「それでどうやって回復したんじゃ」


「はっきりしたことはわかりませんが、紐で縛り湖から遠ざけました」


「それだけか」


バートの声は大きく怒鳴り声に近かった。しかしすぐに青ざめた表情に移ろいゆく。


「それじゃあ、私は、私は」


「聞いてバート。あんたがやったことは間違っていないわ。あの時、私でさえ殺して欲しいと思った。もし彼女が正気を取り戻せていたとしても、人を殺し食べていたことを知ったら、生きていられなかったと思うわ。慰めるわけじゃないけど、あんたは彼女を救ったのよ」


バートはすがるような目でレベッカを見つめていた。やがて整理がついたのか、深呼吸をしてレベッカに感謝を告げた。


「君たちは想像以上の苦難を乗り越えていたんだね。もしかすると君たちなら何かを変えられるかもしれないね」


「バート、私たちと一緒に来てもらえませんか」


何故そんな発言をしたのか自分でもわからない。きっと本心でそうあって欲しいと思ったからだろう。

バートは意表を突かれた表情をしたが、すぐににっこりと微笑み答えた。


「ありがとう。誘ってくれて嬉しいよ。すまないが、君の期待には答えられない」

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