正しい生き方

小狸

短編

 こんなことを言う人がいた。


「積極的に無理をしろ。そうすることが世の中を上手く生き抜く一番の術だ」と。


 それを言ったのは、私の両親であった。


 私はそれを信じた。


 必死に勉強して、良い高校、良い大学に入った。


 良い企業に就職することができたのもあり、両親は私に期待をしていたのである。


 だから――などと、人の所為にする発言は、極力控えたい。


 言葉は、言葉なのだ。


 行動に直結していない――それをそうしようとするのは、あくまで本人なのである。


 私は、言葉通りに行動した。


 無理をした。


 無茶をした。


 頑張った。


 ひたすら努力を積み重ね、精進あるのみと思ってがむしゃらに努めた。


 結果、私は壊れた。


 仕事に、行くことができなくなった。


 メンタルクリニックに、親に連れていかれた。


 適応障害だの、鬱病だの、家庭環境の不和による抑圧だの、機能不全家族で育った弊害だの、色々と専門用語を言われた。


 私には、何も分からなかった。


 どうして、私が病気になるのだろう。


 世の中は、誰かの無理と無茶で回っているのではないか。


 ホワイト企業なんて表面だけで、いつか無理を強要される瞬間があるのではないか。


 その時のために、無理と無茶を継続していた。


 そうすることが、正しい生き方だと思っていたから。


 クリニックの通院の際に、私は言った。


「努力も、精進も、頑張りも、結局無理と無茶に収束しますよね。一定量を越えて頑張らなければ、頑張れなければ、次に進むことができない。ずっとそう思って生きてきたし、これからもそう思って生きるつもりです」


 私の問いに対し、先生は言った。


「すぐに分かってもらおうという気はないし、今すぐに考えを改めろという気はないのだけれどね」


 一呼吸おいて、先生は続けた。


「頑張らなければ、頑張れなければ、次に進むことができない。それは確かにそうね。でも、その言葉の裏には、誰かから評価されたいという欲求が見え隠れしているように思うのよね。次に進む――要は、仕事なら役職が上になる、ということよね。そのためには、上司か誰かから評価されることが必須。『世の中は』とか『ホワイト企業は』とか、そういう話は建前でしかないと思うの。少し厳しい事を言うけれど、あなたが別に頑張らなくとも、世の中は普通に回る。そういう風に、できている」


 頑張らなくとも。


 その言葉は、私の人生の否定でもあった。


 私は、狼狽した。


「でも――誰かが怠惰になるということは、誰かがその分を背負うということになりますよね、不平等、ですよね。不公平ですよね。それは、是正しなければならない。そのために私は、頑張るんです。人に迷惑を掛けたくないから」


「人に迷惑を掛けたくない――ね。それは見上げた心掛けだけれど、周りを見て御覧なさい。生きている人は、仕事をしている人は――勿論最低限の迷惑はかけないようにするけれど――そこまで他人軸で生きている訳ではないと思うのよね」


「他人、軸」


「そう、他人軸。あなたは根底のところで、他人軸なのよね。頑張るとか、努力するだとか、精進するだとか、そういうものは飾りでしかない。ならばどうしてそんな風に自責の努力思考で凝り固まってしまったのか。考えてみると、が、あなたをそうしたのだと、私は思っているわ。ご両親、厳しかったんでしょう」


「私は――」


 泣きそうになるのを、何とか堪えた。


 それはずっと抑圧してきた、ずっと見て見ぬ振りをしてきた感情だった。


 それを言ってしまうと、もう駄目になってしまうと思っていたから。


 それを口にしてしまうと、もう今までの頑張りが続かなくなってしまうと言われていたから。


 顔がゆがんだ。


 さぞ私は、変な顔をしているだろう。


 せっかく化粧で整えて、ちゃんとして、ちゃんとして、ちゃんとしようとした顔が、台無しである。


 そうか――でも。

 

 その呪いは、もう、解いて良いのか。


 私は、言った。


「私は、辛かった」




(「正しい生き方」――了)

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