セルフイメージ・ネガキャン・ソーシャルイメージ

夢美瑠瑠

第1話

 ふつうまあ、「自分は現代日本人で、こういう人物で、こういう外見で、こういう個性を持っていて、こういう歴史があって、両親や友人はこれこれのこういう人で…」

 そうした一定のゲシュタルト、アイデンティティを持ち、そういうセルフイメージが、自他にはっきり理解、認識、是認されることで、健全に生活できる…


 岸田秀ぽい導入だが、これは影響が濃い故で、わざとではない。「すべからく…」という言葉は誤用らしいが、岸田氏の書きスタイルは考えつつ論理を進めていくのに好適な感じします…


 精神や心理、哲学、人間科学とかには、まあ無数の切り口があって、もちろん学殖も浅い僕などは、読みかじった知識と中途半端な人生経験しかないので、まだ、勉強中で、何かの本の一節に触れるだけで、発想がすぐひっくり返ったりする。動画投稿サイトでランダムに流れてくるいろんな雑多な情報の断片に触れているだけでも同種の「革命」?がしばしば生じる。


 TPOというのがあるし、人格のバイアスもあるし、コンディションもめまぐるしく移り変わりうる。いろんな人物の精神生活というのを、わけがわからなくなると想起して、で、レギュレーションしようとしたりする。


 で、だいたいが作家やエッセイを書く誰それ、の精神の支柱は、宗教である場合が多い。宗教があって、不幸や艱難辛苦に対抗する”強さ”、自我の根拠、を得て、それは人間というものの”生まれいずる悩み”、人間なるが故の宿痾?のための解毒剤のようなものかもしれない…


 例えばコアラ、が”残念な生き物”なのは、主食のユーカリの葉っぱには毒性があって、その「解毒」に一日の大半の時間を費やしている…そういう運命的な、冷笑的な皮肉である。


 ホモサピエンス、は端的な定義で、”叡智人”、つまり知性が人間たる特徴の最たるもの…それが諸刃の剣であるが故の、”残念さ”が種の特徴だろうか。


 動物には「歴史」が存在しない。時間はのんべんだらりと過ぎていくのみで、発展とか進歩や変化?実質的には時間の経過とともにさまざまに千変万化していく「歴史」は人間にしかありえない。


 で、一回性のこの「歴史」の中で人間の運命はどういうちっぽけなボクとかにおいても、激動して、日々更新や変転を繰り返していて、…


 しばしばえらい哲学者でも、「存在と時間」という著書あったり、純粋持続などという観念を作ったり、「投企」と言ったり、こういう観念というか発想は、哲学的な洞察とか、「自分」を突き詰めていくとぶち当たる”壁”なのだろうか?


<続く>

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