第3話

 少しウトウトとしていた時だった。

 急に馬車が止まった。


「た、大変だ!」

 御者の声だった。


「どうしたのですか!」


「魔物です! 魔物が現れました!」


 私たちの住む世界には結界が張られおり、その結界のおかげで、魔界からの魔物や魔素の侵入を防ぐことができている。


 しかし、ここヒンギスは結界が破れている国として有名だった。

 ヒンギスに行ったら魔物には注意しなければと思っていたが、こうも早く、国に入った途端に魔物に出くわしてしまうなんて。なんと運の悪いことだろうか。


「もうだめだ、三体も来た!」


 以前なら、魔物三体くらいなら魔法でどうにかできたのだが、ここ数年、急に魔力が衰えてしまった今の私ではどうすることもできない。


 けれど、多少の時間稼ぎくらいなら……。


 馬車の客室から降りた私は、御者が見つめる先に目を向けた。

 道の十メートルほど先に、黒い人の形をした炎が揺らめいている。黒い炎は、目だけが赤く輝いていた。


 私は素早く前方に魔法壁を張った。

 半透明な魔法の壁が、魔物の行く手を遮るように立ちはだかった。そのため、前方に進んでいた魔物の動きが止まった。


「さ、さすがわ聖女様!」

 御者が感心して声を上げる。


「私は聖女ではないわ」


「レオン王子はアウレリア様のことを真の聖女だとおっしゃってました。ですから、アウレリア様なら魔物を退治できますよね」


「ごめんなさい、防ぐのが精一杯。でも、魔物はすぐにこんな魔法壁など破壊するわよ」


「そ、そんな……」


「では、私たちはどうなるのですか?」


「力不足で、ごめんなさい」


 一体目の魔物が魔法壁にヒビを入れた。

 赤い目がより一層輝くと、次の瞬間、魔法壁はあっという間に砕け散った。


 御者はガタガタと震えだした。

 私も、魔物を前にして、ヘビに睨まれたカエルのように体が硬直してしまい動けずにいた。


 ついに魔物が目の前まで迫り、もう駄目だと観念した時だった。

 黒い炎をまとった魔物の色が、赤く変色した。

 そして魔物は、この世のものとは思えないうめき声をあげはじめた。

 赤い炎に飲み込まれ続けた魔物は、みるみる小さくなり最後はその姿を消してしまった。


 何があったのだろう。あの魔物を焼き尽くしてしまった赤い炎は、火炎魔法に違いない。しかも、かなり高度な上級魔法だ。

 いったい誰が……。


 そう思い呆気にとられていると、馬に乗った男たちが馬車の前に現れた。馬群が止まり、先頭に立つ男性が馬から降り立った。


 その男性は、私に近づくとこう言った。


「ご無事でしたか、アウレリア嬢」


「は、はい。あなた様は?」

 まだ恐怖が抜けきれていない私は、声が震えていた。


「私はレオンという者です」


 レオンという名前に聞き覚えがある。


「まさか、ヒンギス国の、レオン王子ですか?」


「はい。実はもっと早く護衛に伺うつもりでしたが、遅れてしまいました。なんとか間に合ってよかったです」


 レオン王子はそう述べると、眩しい笑顔を向けてきた。

 王子は藍色の髪が輝く美男子で、歳は私と同じくらいだろうか。


「さあ、城はもうすぐそこです。ここからは私たちが護衛しますので、あなたは安心して馬車にお戻りください」


 言われるままに馬車に乗る。すると屈強な騎士団が馬車を取り囲んだ。


 どういうことだろう。

 どうして私にこれほどまでに大層な護衛がついているのだろうか。しかも王子自ら私を守りに来るだなんて。


 そういえば御者がこんなことを言っていた。私が真の聖女だと。


 もしかしてレオン王子は、私が聖女だと勘違いしてこの国に呼んだのではないのだろうか。そう考えれば、これだけの護衛がいるのも頷ける。

 でも、私は聖女候補と言われながらも、結局は聖女になれなかったただの魔法使いだ。しかも、歳とともに、魔力が弱まってしまった使い物にならない魔法使いにすぎない。


 誤解を解かなければ。


 馬車に揺られながら、このことをどう王子に告げればいいのか、私はずっと考えていた。


  ※ ※ ※


 城に着いてからも、恐縮してしまうことばかりだった。

 まず、馬車から降りる際だが、なんとレオン王子自ら私をエスコートしてきたのだ。

 私が自分より一回り大きな手を取りながら地面に降り立つと、王子は整った眩しい笑顔を私に向けてきた。あまりの美しさに直視できない。


「アウレリア嬢、私はこうしてあなたを迎え入れるのが長年の夢だったんですよ」


 やはり私が聖女だと勘違いしているのだ。

 早く誤解を解かなければ。


「レオン王子、私は聖女ではありません。王子は私とメルーサを間違えているのではないですか?」


「いえ、間違えではありません。私がずっと待ち続けていたのはアウレリア、あなたです。私はあなたが真の聖女だと思っています」


「どうしてでしょうか?」


「実はある人からアウレリアの本当の姿を聞いています。ドミール王国では誰も右に出る者がいないほどの天才魔法使いだったと聞いています」


 ある人から?

 誰だろうか?


「でも、それは昔のことです」


「まあ、後ほどゆっくりと話し合いましょう。今は旅の疲れを癒してください」

 

 そんな優しい言葉を聞いた次の瞬間だった。

 急にレオン王子の顔が険しくなった。

 そして腰に携えている剣をいきなり抜いたのだった。


 なに?

 私、斬られるのかしら?


 恐怖で固まっていると、王子は剣を振り上げ、私に突進してきた。


「きゃっ!」

 思わず叫んだが、そんな私の横を王子は通り過ぎ、私の背後に回り込んだ。


 後ろを振り向いた時、レオン王子が剣を振り下ろし、魔物一体を叩き斬ったところだった。


 また、魔物?

 確かにヒンギス国は、結界が破れてしまっていると聞いていたが……。


「おかしい。これほど短い間に、二度も魔物が現れ、二度ともアウレリアを狙うなんて……」

 レオン王子はそうつぶやくと、急に私に向かって突拍子もないことを言ってきた。


「さあ、急いで部屋に行きましょう。部屋についたら、服をすべて脱いでください」


「えっ?」


 そのままレオン王子は私の手を引き、宮廷内の階段を駆け上がっていった。私は引きずられるようにして、その後をついていくしかなかった。


 そうして通された豪華な部屋には、天蓋付きの立派なベッドが置かれていた。


「さあ、ここで服を脱いでください」


「へっ?」

 私は、がく然としながら立派なベッドをもう一度見た。


「まだ、心の準備が……」


「心の準備?」


「はい。三十路の体を見てもがっかりなさるだけだとおもいます。……太ってますし」


「……説明不足で申し訳ありません。私はすぐにこの部屋から出ていきます。侍女を呼びますので、そこで身につけているものすべて外して新しい服に着替えてほしいのです」


「どういうことですか?」


「説明は後です。一刻を争いますのですぐにお願いします」


 何がなんだかわからなかったが、余程のことなのだろう。そう思った私は、言われるままに侍女が持ってきた服に急いで着替えた。


 しばらくして部屋に戻ってきたレオン王子は、私が着替えた姿を見て不満そうな顔をした。

 タイトな服に着替えたので私の太った体型が露わになったからだろうか。

 そう考えていると王子が口を開いた。


「そのブレスレットは?」

 どうやらブレスレットを付けていたことが不満だったようだ。


「これは大切な知人からもらったものなので……」


「今すぐに外してください」


 私は不承不承に言われた通りブレスレットを外した。


「その指輪は?」


「これは、外れないのです」


「外れないのですか?」


「はい。太ってしまって……」


 結局、指輪だけはどうしても外れず、そのまま付けるしかなかった。


 レオン王子の説明はこうだった。

 確かにヒンギス国の結界は破れてしまっているので、魔物が出やすい環境にはある。

 けれど、こうも短い間隔で魔物が二度も現れ、しかも二度とも私ばかりを狙うなど、そうあることではない。


「おそらく、魔物を呼び寄せる魔道具か何かを身に着けていると思い、服を脱いでもらったのです」


 確かにそんな魔道具が存在すると聞いたことがある。でも、そんなものが私に?


「魔道具かどうかは、今から調べます。すぐに答えが出ますので、それまではここで控えていてください。また魔物が現れる可能性もありますので、私もここにご一緒させていただきます」


 こうして、私とレオン王子は、天蓋付きのベッドが置かれた部屋で、二人っきりになったのだった。

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