暗い夜に泣く。

返歌

瞑々と、

およそ、およそ…… 、、、。


ああ。


いいや、面倒だ。


どこだかの首相が、培養脳とAIのクロステクノロジーによって生産されておよそ数年。


ええと。


そうだ、宙海と名乗る首相だった。これで国名も克明だろう…… あれ、変わったんだっけか。


何はともあれ、気になっているだろうから先述するが、戦争は起こっていない。有体に言えば。つまりは、戦争が起こっていることに、世界中が気が付いていないだろう。例えば戦争は光速を超え、翻って、カビの繁殖のように、人間や、星々と言った運動量ではあまりにも微細な、スケールの小さい、けれど根深く、広い様に、進化したのだとすれば。

私は戦争が嫌いだ。何故なら私は死ぬのが嫌いだからで、そして私は人間だからで、戦争は人間が死んでしまうから嫌いだ。かと言って、蜘蛛が蝶を攫う光景に、抵抗がないとは言えない。つまり私は戦争が、人間が、あるいは人種が、滅びてしまう可能性があるのが嫌いなのだ。人間が死ななければ、戦争なんてのは、大した問題にはならないだろう。

また、今日も日本国内で、日本人が死んだだろう。これが、いつか私の出番になるかと考えるだけでも慄くには充分だ。それは即ち、私が自宅の自室から、および、羽毛布団の内側の宇宙に閉じ籠る生態に関係することだ。

私が通う高等課程の授業は、成績優秀者兼社会不適合者専用のカリキュラムが実施されており、フルリモートに加えて、生活支援金と言う名の報酬も出るVIP待遇だ。そこにみずみずしい青春は生まれないが、創作物で青春の追体験を行う余暇は充分に生まれる。八畳の子供部屋が私の青春ビオトープ。流れ星程度の頻度でちらつくコバエとの同居生活も、慣れて三度の夏を超えた。一年目は流星群かと思ったものだが、ゴミの分別を間違わなければ、管理も単純であった。生ごみと食事は紙一重、食材が紙皿から落ちればそれは生ごみなのだ。

しかして、今日も今日とて、マックの新作は揚げ物を挟んでいる。大層立派な任侠と言えよう。何故なら年増に効く毒は油であるのだから。

とは言え都内某区となれば、数百年後には日本海側で貴金属の塚を遺すことだろう電子基板のMacを叩く独身貴族が地方創生の礎となって涼風を通し、官邸周囲に住まうのは、今となっては子連れの夫婦か、行き遅れた変人に限られている。

云わば東京は、若者の「私」にとって、大層、生きやすい世間となっているはずでありながら、遅ればせながら反抗期さながらの私というのは、空に馴染まぬ薄灰色の雲のようだった。

そんな現世、死んだ両親が見ればさぞ悲しむだろうが、きっと優しいのは私の前だけであったはずだ。およそ彼ら彼女らも、人に裏切られ、また裏切った人生であったはずだから。

信じられるのは、出前配達運搬機くらいである。

「ありがとうございます……」

そう言って四足のロボットを撫でようとするも、オート危機回避プログラムによって、道すがら人に慣れた鳩のように、私の手の平は泥にまみれた少年の靴と同様に避けられる。理解のない電子機器風情は、たかだか言語が違うだけで、危機察知すら儘ならないらしい。

さて、苔むした亀もドン引きの羽毛布団愛好家ならぬ陰鬱家な私が、わざわざ栄養効率の悪いようで良いような、比較的良いとするジャンクフードを頬張るのには理由があった。それは単に、外出であるのだが、例えばそれが人混みへの能動的参入となると、必要以上の覚悟と準備を要するものである。それが推しの声優との握手会であるのだから、なおさら失敗は許されない。記憶の想起に応じると、中学の文化祭当日のことを思い出す。濃い夏の光を浴びた深い緑を眺めながら、背に刺さる激しい日光を無視し、心身美学永久葛藤文学者のように、片道のバスを途中下車し帰宅するなどといった敗退は、許されないのである。

自動運転のタクシーが、数分後に着くらしい。今日は汗をかくだろう。

およそ九割の自動車が自動運転に置き換わった施策区域を二区超えて、三区目の目的地へと到着すると、セミの鳴き声よりも長く反復する人並みの列が街を埋めていた。 

くだらない。

風鈴の音と鈴の音と、氷水の音の、いずれが最も心地良いかと聞かれれば、私は暑い夏の昼に聞く氷水の音を選ぶ。

結局、私は、長蛇の列から目を背け、背を背け、古い日本家屋風の喫茶店へと逃げ込んだ。ガラス越しに届く蝉の声はより一層、煩わしさが目立ってしまうが、私にはなんの意味も成さない。私は数あるメニューの内から、チョコチップカフェオレアイスジェラートバナナマウンテンを頼んだ。しばらく、激しい日光を反射させる白い歩道タイルを眺めていると、着物に似た洋服を着た、学生アルバイトに思える若い女性の店員が、私の前に担当する。

「チョコチップカフェオレアイスジェラートバナナマウンテンと、シューアイスです」

「シューアイス?」

確かにそんなメニューが、メニューの端に地味ながら添えられていた気がするけれど、私はそれを頼んでいなかった。

「アイスクリームのシュークリームです」

察しが悪いのか、はたまた敢えて無視しているのか。もとい、私の言葉遣いが行き届いていないことだけは、不定の事実である。

「頼んでないですけど」

誤解を解くようにそう言うと、店員は水溶性の個体を溶かすアライグマのような探りのない声で答えた。

「サービスです…… 不要でしたか!?」

店員が、あまりにも余りある元気で慌てふためいていたので、ここは甘味に甘んじて、ガラスのカップにずっしりと佇み冷気を纏うアイスシューを、ありがたく受け取る事にした。

「いえ、では、お言葉に甘えさせて頂きます」

「すみません、先に聞いておくべきでしたね……」

ごもっとも。

それはさて置き、チョコチップカフェオレアイスクリームバナナマウンテンは、チョコレートの欠片が、アルプスの積雪のように連なる乳脂肪分の稜線に散りばめられおり、その麓はコーヒーとミルクが交わるグラデーションの湖畔に、溶けたチョコレートとアイスクリームが、関東ローム層のように、歴史と、時間の経過を感じさせ、その合間に輝く黒曜石を思わせる液体油脂の光沢を纏ったチョコの欠片への好奇心と食欲が唾液へと変化する。パフェと言うには些か流動的すぎるが、それに近い完成度を提供していた。

さて、私が数あるメニューの中から、かいつまんで言うと、宇治金時白玉ソフトかき氷や、みたらしわらび黒蜜パフェ、チョコチップいちごソフトラテ、などの内から、チョコチップカフェオレアイスクリームバナナマウンテンを選んだのには、明確な選定基準があった。私はバナナが食べたかったのだ。そう思いつつ、太いストローに口を当てると、期待していた、薄黄色の輪が目に入る。その、ストローの貫通する煌びやかな果肉は、痛々しくも、どこか芳醇な夏の色気を感じさせた。この手法、少しと言うか、かなり昔に流行っていたような話を目にしたことがあるが、私が思い悩むことではないだろう。

そうした考察を経て、一口分を口に含むと、一呼吸で得られる栄養産出量の基準値を、遥かに超えた熱量、カロリーが、口腔内を満たす。カンヴァスを巡る粘度の高い濃褐色の油膜の隙間を、冷たいクリームが層雲を為し、僅かながら、黄金の果実が鮮明な苦味を毛細血管のように張り巡らせる。

……。

急激な血糖値の上昇と過度な栄養補給によって、血液の巡りに変速が掛かったひととき。脳の、血流的作用によって冴える感覚を受け取り、夏の、乾燥した大地と、湿度の高い大気を響く蝉の鳴き声を、より鮮明に、より俯瞰的に捉えると同時に、私はあることに気がついた。

「…… 美味しゅうございます」

カチカチに冷凍されたアイスシューから漏れる冷気が揺れる。その隣で、彼女、店員が、丸いお盆を抱えながら私を眺めているのだった。

「それは何よりです」

梅雨明けの紫陽花のような笑顔で答えられたので憚られたが、私は言った。

「まだ、なにか?」

仮に、そういった接客をもサービスとする喫茶店であるのなら、実際、もっと密であるだろうし、そのような時代錯誤な制度が残っているのであれば、かと言って無下にもできないだろう。

「ああ! すみません。珍しく、歳の近そうな、お客様が来店なさったので…… すみません」

内心の全容は測りきれなかったが、要領は得た。物珍しさならぬ、事珍しさのようだった。

私はしばらく同年代とは交流を図っていなかったし、アイスシューは溶けそうにも無いので、彼女、喫茶店の店員との会話を、しばらく喫することにした。

「宮崎駿が引退宣言した年の生まれです」

「何年ですか?」

「2013年です」

「同じです! 偶然ですね!」

ただの偶然である、されど偶然、けれど偶然。

「それは、確かに」

「すみません、はしゃいでしまって…… 見ての通り、あまりお客さんが来ないので」

そう、言われてみると、店にいる客は私一人だった。妙な居心地の良さの理由はこれだろう。そうして私が店内を納得した顔で見渡していると、店員は恥ずかしそうに背を丸めた。

「すみません、寂れてて……」

「そんな、店員さんの責任ではないでしょう」

いちアルバイトが気負いすぎだ。いやまさか。

「いいえ、私、このお店の店長なんです」

まさかまさか、けれどもこれで、宙づりになって遠心力で脳内を周回していた疑問の小惑星が的を得るように対消滅し合点がいった。この店員、もとい店主が、勤務時間中にやけに堂々と客と会話するのも、独断でサービスをアドリブするのも。この背伸びした思春期が考えそうなメニュー表も、彼女の考えた名称であるなら理解もできる。チョコチップカフェオレアイスクリームバナナマウンテンなんて、覚えたてのメイクじゃあ、あるまいし。

それにしても。

「それは、立派ですね」

私はそう言って店内を見渡す。この店は元来、茶房であると窺える。

深い緑の漆喰の壁にぼんやりとした橙色の間接照明が焦げ茶色の梁を照らし、室温と比較して高温な材木の香りを追うと、店内の最奥を遮る襖の奥の色褪せた上がり框の座敷に視線が当たる。幾つかの震災を超えた木造の建築様式に、時代に適応させた改装を経て、今の形があるのだろう。壁一面ガラス張りの角の隅には埃ひとつ見えない。従業員が多いのか、はたまた極めて暇なのか。寂れている自負があるとするなら後者だろう。

「とんでもないです。ただの、後継ぎですので」

彼女は申し訳なさそうにそう言った。今までの所作からは感じ取れなかった、彼女のコンプレックスだと私は直感した。

チョコチップカフェオレアイスクリームバナナマウンテンは、恐らく彼女が考案しメニュー化した新商品なのだ。検算すると後継ぎで、寂れていて、客足が少なく、自分のメニューに自信が無いのでシューアイスを出す。そんな若い女性が彼女だ。

まったく、初対面の人間に考えるようなことではないのだが。

「握手会、でしたっけ? 人通りが多いですね」

そんな思い込みに近い思いやりには傲慢な思い付きも人知れず。

白く照る緑が揺れる木漏れ日の陰を、数分に一度、何人かの集団が通る。私はその周期が、電車の時刻表と同期していることを知っていた。

「声優さんの握手会らしいです」

「そうなんですか、きっと有名な方なんですね」

「若くて、かっこよくて、優しい方なんです」

「素敵な方ですね」

確かに彼には、その言葉がとても似あう。

「変だと思いませんか?」

「変、ですか?」

ああ、嫌だ。語るなんて。他人に不確かな自己認識を、私は頬杖をついた勢いで言ってしまう。

「声優、声をお仕事にしてる人間と、握手、だなんて。それも矢継ぎ早に、社交辞令を交わすだけの数秒の為に、何時間も汗を流して待ち続けるなんて」

「でも、握手をするのは嬉しいですよ?」

「たったそれだけの為に?」

この問答において、彼女の返事は相応だ。

世間一般的に、握手やサインなどと言った当人の主体とは無関係な交流は、極めて薄弱な関連を構築する慣習として消化され、統一された指向性を持たない所属を意識する、散文的な個人を迂回する儀式として、一時の、とても高いノリとテンションを逆説的思い出として残す手段である。思い出、それはつまるところ任意の。

そして世間一般は、なんちゃって穿ったちゃんの一見論理性批評交流に相対した際、「あい、そうですね」なんて愛想を交えた心にもない会話を試みるのだ。きっとこの人もそうであると、私は彼女の、黒い瞳をじっと見た。その動じない瞳孔は私を見つめ、そして屋外の、木漏れ日を白く反射させる舗装タイルから差す光を受けて、一眼レフのレンズのように、瑞々しく煌めいた。

「この広い世界で、たったそれだけに出会えるなんて、とても素敵だと思います」

たったそれだけ、彼女は言った。

泥濘に、真っ白な素足が踏み込んだ。そこは私の内臓だった。痛みはなかった。けれど彼女は足踏んだ。酸化した鮮血が散る。暑い夏の日差しに中てられても干上がらなかった私の底に、渦潮が生まれ、逆光の影が落ちる。

それは暗い夜のようだった。

そうして私は、シューアイスが溶けてしまう前にそれらをただ、ひたすらに完食した。

「ごちそうさまでした」

「温かいお茶はいかがですか?」

「いえ、急ぎの用がありますので」

「そうでしたか。すみません。長話をしてしまって」

「いいえ、お陰様ですから」

栄養補給は充分だ。

「また来ます」

ただ目の前にあるモノが、たったそれだけの出来事だとしても。

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