第34話 彼女を守らせてください

「千央。お前、あの時のことを……」


 お父様が動揺しているのは一目で分かった。当惑した表情で彼女を見つめている。

 ゆっくりと目を閉じ、桧木は過去を回想するように刻々と話し始めた。


「ずっと思い出せずにいました。けれど、謝られたその言葉だけがずっと脳裏に焼き付いていたんです」

「それが、犯人の言葉?」


 確信をもって話している桧木に思わず問いかけると、彼女は力強く頷いた。


「あたしは食事も水も与えられず、廃墟のビル内に縛り付けられていました。冬の寒さに震えて、二日目以降は殆ど意識が無かったんです」


 事件概要を聞いてはっきり思い出したのだろうか。桧木はまるで昨日のことかのように鮮明に当時の情景を語っている。

 その表情は穏やかで、恨みや憎しみは感じられない。被害者の言葉だとは思えないほどに淡々としていた。


「最初は強気だった誘拐犯も、段々と後悔の念が強まっていったみたいで。あたしを見ながら、自分の子どもの名前を呼んで何度も謝っていたの」


 その時の「ごめんなさい」が、強く印象付いたということか。

 前に調べた限りだと、犯人の辻村五郎は怒りに燃えた男という印象だった。実の娘が手術中に亡くなったことに憤り、必ず医師へ復讐を果たそうとしていたと。

 それが、誘拐された当人が謝罪を聞いたというのだから不思議な感じがする。


「あの時、あたしは縛られた以外に直接的な危害は加えられなかった。それでも体力は無くなっていくし苦しかったけれど、謝罪するあの人を見たら怒る気持ちは無かったんです」

「お前がそう言っても、親として許せるものではない! 千央を守るのは我々の責任だ」


 父親の言葉を受けて、桧木はニコりと微笑む。


「分かっています。あたしは愛されているし、幸せ者です」


 彼女の堂々とした言い方に、先ほどまで鬼気迫る様子だったご両親も少し溜飲が下がったようだ。

 何より桧木自身が過去を思い出して、それをきちんと受け止めている。これは説得の好機に他ならない。


「千央さんは自分で立ち直れる人です。彼女が好きな天文部を続けさせてはくれないでしょうか?」


 相手を刺激しないように、なるべく穏やかに言葉を投げかける。

 それでも二人の表情は冴えない。この八年守ってきたルールをその場で崩すことに抵抗があるんだろうと思った。

 もう一度必死に考える。最後の牙城を崩す説得方法を。

 いや、そもそも。

 俺はここにきてから何をした? 静止を振り切って過去を暴いたけれど、結局それを受け入れたのは桧木自身で、ご両親に動揺を与えて心を動かしたのも彼女の力だ。

 余計なお節介を焼いて此処までズケズケと押し入ってきたのに、俺自身は自分の気持ちや言葉で何もしていない。

 俺の気持ち。


「千央さんを大切に思っていること、すべてが分かるとは言えません。俺はまだ高校生で、自分の子どもを守る親の気持ちなんて半分も理解できていないのかもしれない」


 考えている言葉が、ふと口から漏れ出てしまう。

 桧木とご両親が俺へと視線を向けた。何を言い出すのかという疑問を感じ取り、俺は包み隠さず全てを話そうと決意する。


「だけど千央さんはクラスメイトで部活仲間で、大事な友達です。親からの想いは分からないかもしれないけれど、友達としての想いにだって嘘はありません」

「娘と仲良くしてくれるのは構わないが、それでも危険を承知で自由を与えるわけにはいかない」


 お父様の強情な言い分に、グッと歯を食いしばる。


「――じゃあ、学校にいる間は俺が守ります」


 一瞬、その場が静まり返った。

 というか、俺自身何を言っているのかすぐに分からなかった。考えなしに口をついた言葉が想像以上に重要な事柄で、胸の奥がざわつく。

 でももう止まらない。なら最後まで言ってしまえばいい。


「この先ずっと、なんて約束はできません。俺たちは一介の高校生に過ぎない。それでも彼女と一緒にいる間は、教室でも部活でも、休日だって彼女を守ってみせます」

「け、恵人くん……」


 俺の唐突な言葉に、桧木も戸惑っているようだ。

 それはそうだろう。俺たちは仮初めの関係しか持たないままで、今でも桧木が俺のことをどう思っているのかすら聞けていない。赤の他人が自分の親に向かって大胆な大見得を切ったら驚くに違いない。

 でも俺は、桧木の偽彼氏役が――嫌じゃなかった。

 何もない平凡を志していた俺に愉快な学校生活を、楽しい部活動と仲間を、休日に一緒に出掛ける気恥ずかしさを教えてくれた。

 たとえ利用されていたにすぎないとしても、これは俺にとって恩だ。

 だから俺は、堂々と与えられた役を全うしてみせる。


「彼女を守らせてください。千央さんの……彼氏として」


 その場にいる全員が驚きの表情に変わった。


「ちょっと!? 千央とお付き合いしているんですか!?」


 お母様が上擦った声で俺に問い質してくる。桧木も目を丸くしたまま固まっていて、助け船を出してくれそうにない。

 しくじったかも。ただの友達なら説得にも意味があったが、ご両親からすると恋仲の相手なんて邪魔な虫そのものだ。むしろ抵抗感を与えてしまったかもしれない。

 俺が内心焦っていると、それまで難しい顔をしていたお父様が突然ガハハと豪快に笑い始めた。


「面白い! 君が千央のナイトになると?」

「頼りないかもしれないですけれど、約束します」

「千央が男を連れてきたというからどんな者が来るかと思ったが、男気のあるヤツじゃないか。気に入った!」

「ちょ、ちょっとあなた!」


 なんだか分からないが、俺の博打すぎる言い方はお父様に気に入られたらしい。

 隣でお母様は困惑しているし、桧木もポカンとしたままだが……これは何とかなりそうかもしれない。


「伊久里くんと言ったかな? 学校での千央は君に任せる」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ。娘のために此処まで言ってくれたんだ。私は信じるよ」


 未だに不服そうなお母様だが、桧木家では父親の判断が絶対なのだろう。反対意見を出したりはしてこない。

 ヤケクソな彼氏宣言が功を奏した。ある意味、これも桧木の偽彼氏作戦が招いた結果の一つと言えるかもしれない。

 俺は状況が解決に向かっていることにホッと胸を撫で下ろした。


「じゃあ、千央さんは星明高校で引き続き天文部にいられるんですよね?」

「いいだろう。ただし、門限を越える場合は君自身が家まで送り届けてもらいたい。構わないかな?」

「もちろんです」


 門限についても、俺がいれば撤廃してくれたと思っていいだろう。

 部活動はもちろん、休日なども俺がいればある程度自由にできる。これで桧木は学校でもう少し楽に生活できるに違いない。

 俺は彼女の方へ視線を向け、手でグッドサインを作って笑ってみせる。

 急なお父様の態度軟化に困惑したままの桧木は、俺の反応を見てようやく実感が湧いたようだ。きょとんとした顔のまま、それでも口元を緩ませていた。

 無茶苦茶な説得だったが、俺は……なんとかやり遂げたらしい。

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