魔法の世界とひとりぼっちの少年
火属性のおむらいす
第1話
「そこのお嬢ちゃん!海の向こうの国のお菓子はいかが?」
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい!今なら半額で売るよ!」
「パンはどうだい?焼きたてだよ」
とある町の、沢山の声が飛び交う市場の中。暖かい日の光に照らされ、売りに出された数々の品物がきらきらと光っている。昼間の市場は活気づいていて、多くの人でごった返していた。そんな中、浮足立ち目を輝かせている人々の間に身を隠すように1人の少年が歩いていた。随分とやせこけた体に、手入れが行き届いておらず伸び放題になった黒い髪。服は所々ほつれ黒ずんでいる。少年はこの場にいる誰よりも貧相な身なりをしていたが、その青い目は誰よりもぎらぎらと光っていた。市場に並ぶ品物に目を走らせ、ふと大きな籠いっぱいに積まれたつやつやと光る果物が目に入り、少年はにやりと笑う。
「…見つけた。」
少年はその小さな体を人と人の間に滑り込ませ、素早く果物を懐に入れた。見つからぬようすぐさま身を引き、人々の間を縫って駆けだす。
「あっ、待て!この泥棒!」
既に遠く離れた果物の店から怒鳴り声が聞こえて、少年は高らかに笑う。市場は好きだ。人も物も、全部がキラキラして見えるから。貧乏な少年にはそれらをゆっくり楽しむことはできないけれど…それでも夢を見ることは出来る。いつか自分もあんな綺麗な服を着て、あの市場の中でたくさんの商品に囲まれて、それから__
その時、市場の雰囲気ががらりと変わった。怒鳴り声がぴたりと途切れる。通行人は足を止め、先程まで何かに見とれていた人たちですら視線をそちらに向ける。
辺りに商人らしい、強かな声が響いた。
「道を開けな!“魔法使い御一行様”が通るよ!」
人々が歓声を上げて道を作る。彼らは大きな杖を持ち、紺色のローブを翻し道の真ん中を堂々と闊歩していた。
「魔法使い様だ!」
「ああ、なんとお美しい」
少年もまた足を止めて、人と人の間から彼らをじっと見つめていた。
この世は魔法で出来ている。
人々は皆魔法の力を借りて生活を送り、子供たちは当たり前のように学校で魔法を習う(もっとも、貧しい少年には学校に行く経済的余裕などないが)。ちょっとした火起こしから大規模な建築まで、すべてが魔法の力で為されている。
“魔法使い”はその中でも特に魔法に秀でた集団だ。彼らの魔法は常に民衆の生活を明るく彩り、時には奇跡と呼ばれる事象でさえ起こしてしまう。その力で人々を救うのが彼らの仕事だ。そのためにこうして世界中の町や村を訪ねてまわっている。
そんな彼らに、少年は強く憧れた。魔法使いが去り再び散って行く人々の中で、ひとり胸を膨らませる。魔法が為す奇跡に強く、つよく焦がれる。
「僕もいつか…あんな風に…」
少年が無意識のうちに呟いたその言葉は、瞬く間もなく魔法使いを称える人々の声にかき消された。
__これは、魔法使いを夢見る少年が奇跡を起こすまでの物語。
「そんなの無理に決まってんだろ!馬鹿な奴だなあ」
日が沈みかけた街角、小さな公園。唯一の友人である黒猫と果物を分け合っていた少年を囲むように数人の子供が立っていた。この辺りに住む子供たちだ。耳に障る笑い声に、少年は思わず身をすくませる。夢を語っていたのを聞かれてしまったのだろう。彼らのことは嫌いだ。貧しい身なりを馬鹿にしていつも彼を笑いものにするから。少年は手をぎゅっと握りしめ彼を睨み返す。ひやりとした風が吹いた。
「そんなのやってみなきゃ分からないだろ!」
子どもたちを率いるひとまわり体の大きな子供が面白がるように前に出る。
「それなら使ってみろよ、魔法」
「…。」
彼は恐る恐る手を前に出す。光、光がいい。魔法使いが出すような、きれいな光。手のひらを照らすような小さな光を思い描き、おもいきり力を込める。光は灯らない。もっと、もっと力を入れれば___そうして腕が疲れてきた時、不意に冷たい水を頭からかけられて少年はその場にしりもちをついた。黒猫が驚いて逃げ出す。
「ああっ…。」
黒猫を目で追っていると背後から大きな笑い声がして、少年は再び振り返る。水をかけたのは先程の子供だった。…どうやら魔法で出した水らしい。
「やっぱりできないんじゃないか!魔法ひとつ使えない癖に魔法使いになる?無理に決まってるね。そんなことも分からないのか?冗談は見た目だけにしろよ!」
「っこの…!」
「ああそうか、ガッコーにも行けない奴が魔法なんて使える訳なかったな、ごめんごめん」
下品に笑う彼らを睨みつけ、すっかり冷えてしまい重くなった体を起こそうとすると、ふと肩に大きな手が置かれた。
「なんだか賑やかだと思ったら…一体何事かな?」
少年が振り返ると、彼のすぐ後ろで栗毛の青年が微笑んでいた。その身に纏った紺色のローブが目に入って少年は目を見開く。__魔法使いだ。後ろで子供たちが息を呑んだ気配がした。先程水をかけた子供が驚いたように後ずさりする。
「ま、魔法使い様…」
青年が微笑んだまま頷く。
「なんだか僕らの話をしているようだったから、ちょっと覗きに来たんだ」
いつから、とは聞けなかった。声をかけられるまで、青年と向き合う形で立っていた者たちでさえ誰も気づかなかったのだ。気配が異様に無かったのはやはり魔法の力のせいか。考える内に恐ろしくなり、子供たちは身をすくませる。誰かが「なあ、も、もう行こうぜ」と呟いたのを境に思い出したように皆一斉に口を開いた。「確かに、もう日が暮れるし」「かえらないと母ちゃんに怒られるし」「僕らはそんなに暇じゃない」「だからもう、帰らなきゃ」
思うままに一通り喋り終わった彼らは、少年があっけに取られている間にくるりと背中を向け一目散に逃げだした。
「ま、待て、おい…!」
訳が分からず戸惑っていると、ふと手を差し出された。先程の青年だ。
「あ、ありがとう…ございます」
手を取って立ち上がる。その時ふと、もう自分の体が濡れていないことに気付いた。雑に切られたがたがたの髪もあちこちすり切れた服もまるで最初から水など浴びなかったかのように乾いている。
「大丈夫かい?冷たかっただろう。偶然通りかかって本当によかった」
どうやら魔法で乾かしてくれたらしい。全く気付かなかった。魔法つかいが起こす奇跡を身近で感じて、少年は震え上がる。ああそうか、これが__
「あ、あの…」
少年は思わず口を開く。目の前で起こされた奇跡に興奮で頬が火照っているのが分かった。首を傾げている青年に言葉を投げかけようとして、ふと先程の言葉が脳裏に蘇る。
『魔法ひとつ使えない癖に魔法使いになる?無理に決まってるね。』
「…。」
言葉を呑み込んで口を閉じる。__あの言葉は、悔しいけれど事実だ。
「助けてくれてありがとうございました。さよなら!」
くるりと背を向けて、駆けだす。暗い路地裏には建物の明かりも届かない。ふと自分の服が目に入る。それはもうすっかり乾いているけれどやっぱりぼろぼろで…魔法使いの青年が着ているものより明らかに貧相だ。惨めだと思った。自分には何もないような気がして、惨めで…恥ずかしくて。
『ああそうか、ガッコーにも行けない奴が魔法なんて使える訳なかったな、ごめんごめん』
また先程の言葉が蘇る。やっぱり出過ぎた願いだったのだろうかと、そう思った時。
「っ君も!」
青年の声がして少年は立ち止まる。
「なりたいんだろう!?魔法使いに」
思わず振り返った。青年が立っている通りはほのかに明るくて、路地裏からでは少し眩しい。
「…待ってるから。君が魔法使いになるまで。」
「…!」
頷くと、彼はほっとしたように手を振った。
「またいつか会おう!小さな魔法使いさん」
少年は少しだけ涙が溜まった目で、静かに笑った。冷えた体が内側から温まるような心地がしてなんだかくすぐったかった。
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