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日陰四隅
第1話 銀行強盗
桜の木もすっかり緑になった初夏。俺はなんでか知らないがどこかの屋上のビルに座っていた。
途中で買った炭酸のジュースを口に含む。空を見上げれば三日月が笑っている。
かれこれニ、三十分はこうしているものの、先輩からの連絡は一切ない。
ま、連絡がないってことは用件は向こうで済ませているんだろうから、俺はただ待ちぼうけ意を食らっただけで帰れるからいいのだが。
とか思っていると、おもむろに耳につけたイヤホンに着信が入った。
とりあえず舌打ちしてから通話した。
「はい、こちら陸玖。状況は?」
『こちら翔。予定通り屋上に一直線。アイツ階段を使わずに跳び上がってやがる』
呆れたような若い男の声。
「もしかして、逃げられた?」
『逃がしたの。大体、バッタみてぇに飛び回っているような奴、俺がどうにかできる訳ないでしょ』
聞いて溜息をこぼした。
『何、その溜息。感じ悪い。最初からこういう計画だったろ。この勢いだと野郎、もうついちまうから急いで準備しろ』
それを聞いてもう一度溜息をこぼした。
確かに、当初の予定でも上に逃がして捕まえる計画になっていた。だが、それはそれとして人間楽をしたいという気持ちに嘘はない。あわよくば、という淡い希望もあったが、まぁ大体はかなわずじまいだ。渋って目標を逃がしても後が怖いからいい加減覚悟を決める。
ポケットのスマホを手に取って、腰を下ろしていた室外機から立ち上がった。
カメラを起動させて正面を写す。眼前の地方銀行のビル、そしてその屋上。屋内に続く扉が勢いよく開け離れ、というか蹴り開けられ、そこから全身黒ずくめの男が跳び出してきた。
目だし帽までしっかりかぶり一目で怪しいですよ、と主張しているソイツの両肩には大きなショルダーバッグ。
つまるところ、銀行強盗であった。
初回の犯行から現在を含めて3件。48時間で次々と銀行を襲っている。
狙われた銀行に関連性はなく、つねに単独犯。
警察も1件目からこの短い間に何度も犯行に及ぶと思っていなかったのか後手後手の対応だ。というか、普通思わない。
頭がいいのか、それとも勢いだけかは判断しづらいところだが今現在有効に機能している。
という訳で、24時間以内に2件目の犯行に及んでからもしかしたら次もあるかもしれないということで監査官から俺達全員に召集がかかり、総出で市内の銀行を張っていたところものの見事に貧乏くじを引いたのが俺達二人だった。
銀行から金を奪い屋上に跳び出してきた強盗は狭い屋上を一息で駆け抜ける。当然、広いグラウンドでも50メートルのトラックでもない狭いだけの屋上だ。あっという間に端までたどり着いてしまう。
その姿はまるでブレーキの壊れた車。はなから止まる気のないチキンレースでもやっているかのように、フルアクセルで谷底を目指している。
そして、間もなくアホの自殺が完遂されるという直前。
「イイィィィヤッホォゥゥゥッ!!」
これまたアホみたいな叫び声を上げて黒ずくめの男は屋上のへりを踏み込み、10メートルくらい縦に跳びあがっていた。
…………驚いた。確かにこれならヘリを使ってでも追いつめることはできそうにないし、地上で逃がしたらちょっと捕まえられる気がしない。
オリンピック選手もビックリな人間離れをした運動能力。これも一つの超能力と言えなくはないか。
そんな行動力のベクトルを明後日の方向に全力で向けている犯人に呆れつつ、こちらも迎える準備をする。
手に持っていたスマホをポケットの中にしまい、ジョギングぐらいの速度で走りだした。
相手に比べてゆっくりとはいえここも大した広さはない雑居ビルの屋上。あっという間に屋上のへりへとたどり着く。そして、強盗同様踏み込み、跳んだ。
もちろん、こちらはカモシカみたいに跳び上がる能力なんて持っておらず、身体機能は至って普通の人間。
跳んだ高さはせいぜい50センチ程。誰がどう見たってただの自殺だ。
数秒も立たずに重力にひかれて真っ逆さま。
けれども、そうはならない。
虚空に伸ばした足を下ろす。空を踏む。空気が軽快な音を上げ、身体が宙へと浮いた。
反対の足を引き戻す。さらに踏み込む。コルク栓が抜けるような音とともにさらに身体が浮く。
まるで階段を上っているかのように空を上がって行く。それは、スキップをするような気軽さだ。
砲弾のようにすっ飛んでくる犯人に、こちらは跳ね上がるように向かっていく。
「…………へ?」
目だし帽の男はようやくこちらに気付いたのか、目の前に迫る俺の姿を見て間抜けた声を上げた。
とんでもない身体能力の持ち主といってもある程度は物理法則に従っているはず。まさか、空中では方向転換はできまい。そもそも、それを前提とした計画だ。出来たら素直に諦めよう。
案の定、犯人はこちらの想定通りよける様子もなく突っ込んでくる。それに合わせて思いっきり空中を踏み込んだ。そのまま軸足を中心に半回転し、迫るアホにおもいきり廻し蹴りをかました。
「グエェェェッ!?」
カエルを潰したような悲鳴。
蹴りは腹部をとらえ、男をくの字に折った。直後、爆発するような突風。犯人と俺は同時に吹き飛ばされた。
「ああああああぁぁぁぁぁぁっ…………」
俺は後方に吹き飛ばされながら、同様にすっ飛んでいく犯人の悲鳴を聞いた。
空中で後方転回して後ろ向きにビルへと戻る。視線の先、犯人は跳んできた軌道をそのまま戻っていく。
吹っ飛ばされるまま犯人はやってきた銀行の屋上に叩きつけられた。そのまま屋上をボールが跳ねるように転がっていく。
出入口の手前で横滑りしたところで、遅れて入ってきたジャケットの男に足で止められた。
『はい、犯人確保』
屋上に着地したところでイヤホンから翔の声が聞こえた。
『いやー、作戦勝ち。いつもこんくらい楽だと助かるんだけどな』
「いや、アンタほとんど何もしてないでしょ」
『失礼な奴だな。こっちはお前の見ていないところであのアホ追っかけまわしてたんだぞ。総運動量はこっちが上だ』
はいはい、と切り返す。
『なんだ、感じ悪い。ま、いいや。兎に角終わったわけだからな。さ、撤収撤収』
「了解」
そういうと、通信終了、と言って翔が電話を切った。
耳につけていたイヤホンを外してパーカーのポケットにしまう。
向かいのビルを見ると、ジャケットの男が倒れている犯人を担いで中に入っていく姿が見えた。
もう一度、空を見上げる。変わらず浮かぶ三日月が笑っている。
「ほっとけ。好きでやってるわけじゃない」
誰に言う訳でなく呟いて振り返り屋上を去った。
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