第13話

 首長の家から戻って三日、


『なぜに私が言った通りに書かない!』

「……間違ってるから」

『この大賢者様に向かって間違ってるだと! ホァイィ!』

「……こっちの方がいい」

『ふむむ、ん? 悪くないかもしれない』

「大賢者様と話しているのか? 外で話すのはできるだけやめるんだぞ」


 エリは気分によって、研究資料を作る場所を変える。

 今日はミリアの部屋で側から見れば、一人でブツブツと会話をしながら、大賢者作の論文作成を行う。

 書き進められ、雑に投げられている資料をミリアが拾い上げて、目を通していく。


「多重魔術論。魔法界の夢とまで言われた大賢者様の理論がこんな地面に落とされるような雑な扱いをされるなんて悲しいことだな」


 ドアがノックされた後に、リリーが入室する。


「凄い散らかってますね。お嬢様、お客様デスよ」

「大体はこの子だよ」

「……母ほどではない」


 地面に散乱した紙束と、ミリアの机にも書物や書き物が乱雑に置かれている。


「どっちもどっちデスね。お庭にお通ししてます」

「……もうちょっとだけ」

「お嬢様のもうちょっとは、二時間は経ちますよね?」


 渋々、エリは立ち上がって、数枚の紙を片手にのそのそと部屋を後にする。

 ミリアはリリーと目が合うと、自分の机を片付け始め、リリーはため息を一つ吐いてから床に散らばった宝物を一枚一枚拾い上げる。


 ウィリアムによって綺麗に整備された庭園の一角に設置されてたお茶を楽しむためのスペースには既にクラリスが座って、遅刻をしている誘ってくれた相手を待っている。


「もう少しで来ると思うので、先に飲んでてねぇー」

「ありがとうございます、ヘレナ様。あとこれは私が作ったのなんですが、よければ」

「これが噂のアップルパイ? ありがとうございますぅ。お嬢様も喜ぶわぁー。一緒に出しちゃうわね」


 クラリスから受け取ったお菓子を持って、ヘレナは奥に下がって行き、残されたクライスは立ち上がって側にある美しく手入れされた花々を鑑賞する。


「綺麗。素敵なお庭、賢者様ってこういった趣味もあるんだ。お部屋とかも庭と同じように綺麗で整理整頓されてるんだろうな」


 花を眺めていると、遠目から近寄ってくる四足歩行の生き物で、背中には何かを乗せている。


「エリ様?」


 可愛いとは言い難い、ロバに跨って近寄ってきたエリは無言のまま、クラリスの前でライアンを止めて、危なっかしい降り方で、ずり落ちるようにして地面に着地する。バランスを崩しそうになり、すかさずクラリスが手を貸す。


「……ライアン」


 お礼を言うわけでもなく、マイペースなエリがロバを指差して、紹介を始める。

 片手には少し汚れた、クラリスの部屋から持ち出したぬいぐるみも持っている。


「ライアンという名前なんですか? その、愛らしい? ですね」

「可愛い」


 わかる? この可愛さと、興奮気味のエリは上機嫌に椅子に座り、カップが空なことに気がつき悲しそうな顔をするので、クラリスが苦笑いをしながらお茶を注ぐと、無表情で飲み進める。


「……美味しい」

「それはよかったです。そのぬいぐるみ、私が作ったんですよ」

「……良いクッション」

「えっと、ぬいぐるみなんですけで、気に入ってくれてのは嬉しいんですけど数日でヘタってきてますね。直して来ましょうか?」


 半開きだった目が見開かれて、ぬいぐるみをクラリスに渡す。


「……予備も欲しい」

「本来の使いかとは違うんですけど、気に入ってくれたならいいですよ。少し綿を多めにしましょうか?」

「うん!」

「あらあら、珍しくお嬢様が生き生きとしてますねぇー。さぁ、クラリスさんが持って来てくれたアップルパイですよぉ」


 エリが更に目を輝かせながら、置かれたアップルパイを美味しそうに食べ始める。


「……更に良くなってる」

「エリ様からもらったメモのおかげです。ありがとうございました」


 クラリスもパイを食べ進めていると、ライアンが自分にもくれと、顔を寄せてくる。


「ロバさんにアップルパイって大丈夫なんですか?」

「……ライアンはなんでもいける」


 半分ほど残っていたアップルパイをクラリスがライアンの口元に寄せると、一口で平らげてしまい、もっとくれと言わんばかりにクラリスの足元から動かなくなってしまった。

 お茶が終わると、エリはクラリスと話をするでもなく、紙の上でペンを滑らし始める。


「わぁ、魔法のペンだ」

「お嬢様が家族になったお祝いに、ご主人様が贈られたんですよぉ」

「インクを必要としないですし、少しの魔力を込めるだけで、あとは魔力石が無くなるまでは書き続けれて、自分の魔力に反応して消したとかも自在で便利なんですよね! これもミリア様の発明ですよね」

「よく知ってますねぇ」

「はい! とても尊敬しています! だから少し、エリ様が羨ましいです」


 無言のまま、ペンを走らせ続けるエリを眺めて、時折、散らかった紙をまとめたり、用意され茶菓子をボロボロこぼすのでそれを払ったりしながら、クラリスはエリの作成しているものを眺める。


「多重魔術論、エリ様は本当に凄いんですね。賢者様が認めるのも納得です。あっ、勝手に見ちゃってごめんなさい」

「……構わない」

「多重魔術が実現すれば、産業に革命が起きますからねぇ。ご主人様もいずれエリ様なら実現されると太鼓判を押していましたよー」

「一度に複数の魔法を同時展開するんですよね。実現すれば今ある魔道具の小型化とか、新しい発明も生まれるでしょうね」

「あら、クラリスさんは初等部なのに詳しいですねぇ」

「えへへ、これでも飛び級で最終学年なんです!」

「凄いわねぇ」


 ヘレナとクラリスが和やかに話していると、いつからかエリはペンを置いて、目を閉じている。

 少し考えるように頭を揺らした後にやる気がなさそうに目を開いて、エリの人差し指から一つの複雑な幾何学模様が浮かび、親指からも少し違う魔法が浮かび上がる。


 魔法界の夢がエリの指先で既に実現されていた。



 

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