ロスト ガール
柑月渚乃
1.
僕には影がなかった。
いつ失くしたかなんてもう覚えてない。
でも、誰からも気にされたことなんてなかったから、もうそれが当たり前として生きてきた。それこそ地球と太陽について理科で習った時に思い出したくらいで、別に生活には何も支障をきたさないし、長らくずっとそのままにしていた。
◇ ◇ ◇
――玄関の扉の金具がカチャッと音を立てた。同時に家に流れ込んできた夜風の冷たさをぐっと堪えて僕はその一歩を踏み出す。
身震いするほどの外の気温に少し億劫な気持ちになりかけるも、これも罪悪感をさらに加算させているように思えば心地良い。
僕は深夜、外に出てやった。
きっと夜はまだまだこれから。
外に出てまず思ったことは意外と明るいんだな、だった。
街灯がそこら中にウザいほど立っていて、せっかくの夜が台無しだ。僕がまだ小さかった頃はもっとここらも暗かった気がする。まあ、気のせいかもしれないが。
僕は、そんな住宅街に嫌気が差して、公園に向かおうってそう思った。靴越しに触れるアスファルトの感触が今日は妙に気になりながら歩く。
夜の外はつまらないほど静かだった。空はこんな記念すべき日には似合わないほどの曇天で、やはり神は僕の味方なんかじゃないのだろう。
夜遅く家から出たことに何か理由があったわけでもない。ただ今日は外に出たかった。夜くらいは僕も解放されたかった。それだけだ。明日学校に行かないからってのもあるかもしれない。
ここ数日、僕は学校を仮病という名の病気を理由に欠席していた。これも別に大きな理由なんてのはなくて、楽しくないからってそれだけだ。
中学受験もしなかった僕はそのまま流れに身を任せ、近所の中学に進んだ。ただ、小学生の頃の友人がそこには全くいなくて。僕はかなり焦りながら日々過ごしていた。
部活は小学生の時からやっていた吹奏楽部を選んで、周りが引くほど真剣に向き合っていた。それしかなかったから。
元々のアドバンテージが自分だけないことに焦っていた僕は、自分から色んな人と話すようにした。ただ無駄に部活が忙しいせいで遊んだりすることはなかった。
そう。学校外で遊ぶ人は一人としていなかった。それが失敗だった。
部活は女子ばかりで、少し居た男子も馬が合わない人ばかりだったから楽器を吹くこと以外はあまり好きじゃなかった。ただ社交性はそれなりにあったので先輩と上手くはやっていた。でも、それも学校内だけの話。
だから中一の三学期、自分に誓った。二年生になったらちゃんとした人との繋がりを作ると。今度こそはって。
でも、そこで――コロナがやって来た。
行事は全て中止され、唯一のめり込んでいた吹奏楽もその時、ただの枷に思えて辞めた。コロナで吹けないのならもういいよ、ってそう思って。
学年が上がって、前までよく話していた人も、クラスが替わると割とすぐに話さなくなった。自粛期間で話す機会が減ったのもあるだろう。まあ、これはよくある話だ。
部活を辞めてからは勉強に集中した。好きだったサックスも押し入れの奥に閉まった。
そうしていたら気付いた時には中学の三年間が過ぎていて。そこでようやく、色々僕は間違えたんだと気付いた。
二択をいつも肝心な所で外していた。正答率90%の二択をことごとく外す人間、それが僕だった。
あまり話さなくなった友達に自分から話しかけにいく勇気があれば、遊びに誘うその一歩を踏み出していれば、あそこで部活を辞めていなければ。そんな考えが今でも日常のふとした瞬間、よぎってしまう。
高校に入ってから、焦るのはやめた。焦っていたが故の空っぽな会話をする自分が、中学の時ずっと好きじゃなかったからだ。僕の反抗期は過去の自分に対しての反抗という形でやって来た。
中学卒業から高校入学の間に大きく変わることのできる奴はそう多くない。そして僕は多数派の人間だった。
中学の時と変わらず高校でも学校で話す人はそれなりにいる。でも向こうは僕を一番仲の良い相手とは思ってない。どころか誰の五番目以内にも入ってないかもしれない。一人が好きなわけでもなく中途半端な社交性を持っているからこそ、そういうのを無駄に気にしてしまう。
焦るのをやめても結局癖は直らなくて。話しかけられてから返す言葉は高校生になってからも空っぽのままだった。話しかけることに対し消極的になっただけ。本質は変わっちゃいない。
僕は置いてかれていた。高校に合格しても僕だけは喜べなかったし、学校行事に全力で参加しようとしても本気で向き合っている人達は元々そこでグループになっていた。
自分だけ何か違う気がする。そんな感触がいつも心のどこかにあった。
そんな勇気も情熱もなかった僕は結局、本気でやっている人に申し訳なくて部活にも入らなかった。
吹奏楽だとか勉強だとか目の前の与えられたタスクにずっと真っ直ぐだった僕も、もうすっかり魔法は解けた。
別にこれを頑張ったところで、望んだように思わされたゴールに辿り着いたところで、嬉しいとまた周りに嘘を吐くだけで。
最初は新鮮だろうけど、最後にはきっと、ただどうしようもない虚しさしか残ってない。もう僕の意思は死んでいるから。
別にこの生活に大きな不満があるわけでもない。そんな言うほど辛くもない。
心からの友人はいないけど話す人はいるし、一人の時間も上手く消費する術を身につけた。
でも、そんな僕も毎日、今日という一日の物足りなさと明日への漠然とした不安感に駆られてしまう。
記憶に残るほどの一日なんてここ数ヶ月過ごしてない。これは治しようがない不治の病だ。
風が僕をからかうように強く当たってくる。もう風にでもいいからこの苛立ちを八つ当たりしてしまいたい。
石の階段を意識せずに一つ二つと上る。遠くから電車の走る音が
階段を上り切った直後、今日を連れ去っていくような強風がまた吹きつけて来た。皆んな向かう先だけは僕と一緒みたいだ。過程は決して一緒ではないみたいだが。
公園は階段を上がった先、すぐそこに位置していた。
そこを僕は街を一望できる眺めの良い場所として認識している。夕方には多くの人が夕日を見に足を運ぶ場所。でも、流石にこんな時間に人がいるわけなかった。
そこから眺める街の姿は実に滑稽で。公園の街灯の少なさと相まって、遠くに見える中心地の明るさは異常なように感じられた。街を占有するダークな彩り、ライト。社会を感じた。
ぼんやりとピント合わせてそれを見れば景色はほとんど変わらない。ボーッと、僕はずっとそうしていたかった。明日に変わらないでくれればいいのに。
僕はただ、この夜の大きな影にずっと呑み込まれていたかった。
そんな時、ふと何かの気配を感じ取った気がした。気になって顔を横に動かす。
──瞬間、心臓が止まった。数秒経ってからドクドクドクドクと血液が慌てて体中を巡っているのが分かる。
視界が一瞬白めいて、響めきが身体の芯から指先に伝わった。
天使の、ようだった。風に揺れる黒髪の線の全てが繊細で、潤んだ瞳がキラキラと奥ゆかしく光っている。
夜の闇に今にも溶けてしまいそうなその雰囲気は、儚さを
遠くを見つめるその眼は美しく青みがかっていた。僕は初めて、人を見て見惚れてしまった。
「……ねぇ、久しぶり」
そんな僕に気付いた彼女が最初に発した言葉は、とても信じられないものだった。
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