第3話
夜。私は部屋にこもってスマホをいじっていた。
朝から降っていた雨は夜になった今も降り続けている。天気予報では明日も雨らしい。また今日みたいに水をかけられると思うと学校を休みたくなる。でも、母は許してくれないだろう。
不安な気持ちを拭うようにして私はSNSを覗いた。
いじめられてから、私は『アリサーチ』にハマっている。
アリサーチというのは私が勝手に作った造語だ。ラテン語で『アリ』は『他』を指す。すなわち、『他人』についての記述を探すのだ。エゴサーチの他人バージョンとでも言えばいいだろう。
クラスメイトの名前を打ち、引っかかったアカウントを辿ってサーチしていく。長年やっている私は鍵のついていないクラスメイトのアカウントIDを把握しているので、それを検索してアリサーチを行っている。
どうしてこんなことを行っているかと言われれば『精神安定』のためとでも言おうか。
みんなは確かに私のいじめを黙殺している。でもそれはただ単に権力に打ちひしがれただけで本人の意志は別であると信じたいのだ。
だからクラスメイトが投稿した内容を見て、みんなの本音を把握しているのだ。案の定、今日の食堂であった事件について何人かが金竜のことを非難していた。
表向きは金竜の言いなりだが、裏ではきちんと良心的でいる。それが知れただけで救われる。私の存在価値はまだあるのだと思える。
精神的に救われたことで余裕が出てきたのか、ふと朝宮のことを思い出した。
SNSの検索バーに『朝宮 春陽』と打って検索をかけた。すると一件の投稿が検索をかけたキーワードをまんま使っていた。
『春陽って、◯◯高校の朝宮 春陽?』
そう書かれた投稿は誰かへのメンション付きだった。返信相手を見ると『春陽@講演家朝宮陽一の娘』と書かれていた。そのアカウントをタップしてプロフィールを覗いた。
短く書かれたプロフィールの下には固定の投稿がされており、次のように書かれていた。
「朝宮 陽一が事故で亡くなりました。このアカウントも消去しようと思ったのですが、父が残したかった『笑顔の社会』の実現に向けて、娘である春陽が毎日元気の出る投稿をしていこうと思います。みなさま、よろしくお願いいたします」
私は思わず目を剥いた。朝宮の父親は講演家であり、今は故人らしい。
ネットで『朝宮 陽一』と調べると妻とのデート中に交通事故に遭って亡くなったと報じられていた。
思いもよらぬ朝宮の不遇の出来事を知り、私は全身から力が抜けたのを感じた。
何もやる気が起こらなくなったため、仕方なくスマホを閉じて寝ることにした。
****
翌日も予報通り雨だった。
「うぇーい!」
昨日と同じく私は個室のトイレに無理矢理入れられた。ドアを押してもびくともしない。外側で誰かが塞いでいるのだ。二人がかりで塞げば、私なんて簡単に閉じ込められる。
開けられないことがわかると、身体中に寒気が走った。これから起こることに対する恐怖が芽生えてきたのだ。
少ししていつも通り水がドアを越えて降ってきた。バシャーンという水音がトイレ中に響き渡る。寒気は本物の寒さに変わった。私は身を包み込むようにして、顔を俯け、両手で反対側の肘を握った。
あと少しの辛抱だ。そう念じることで溢れ出す感情を抑制する。
ドアの外からは金竜たちの笑い声が聞こえてきた。押し殺しているが、抑えきれずに漏れていた。私よりも感情の隠し方が下手な様子だ。
「ん、朝宮じゃねえか。どうした?」
ドアが開くのを待っていると外から金竜のそんな言葉が聞こえた。
俯いていた私は反射的に顔をドアへと向けた。どうして朝宮がここに来たのだろうか。
「私もかけようと思ってさ」
足音と一緒に朝宮の声が聞こえる。水が波打つ音が聞こえる。朝宮の言葉から彼女が持っているバケツに入った水によるものだと分かった。
私は朝宮の言葉に驚愕した。でもそれはすぐに諦めに変わる。昨日私が彼女に言ったのだ。金竜側に付いた方が身のためだと。
「まじかよ。傑作だな。昨日まであんなに仲良かったのに。おい、聞いたか。朝宮が水をかけてくれるらしいぜ。良かったじゃねえか」
金竜は笑いを堪えることができないのか、嘲りながらドア越しに私に語りかけた。
私は今どんな顔をしているだろうか。好奇心と恐怖心が同時に降りかかる。
再びバシャーンと大量の水が降り注ぐ音が聞こえる。しかし、上から来るはずの水は下から流れてきていた。
私は「えっ?」という声が思わず口から漏れた。
「てめえ、何しやがる!?」
金竜の罵声がドア越しに聞こえてきた。金竜の側近の生徒たちも一緒になって罵声を飛ばしている。そこで何が起こったのかようやく理解できた。
朝宮は金竜たちに水をかけたのだ。
直後、さらに水が地面に落ちる音が聞こえた。今度は誰も何も喋らなかった。
一体何が起こっているのか。私には一切の情報が入ってこない。
「お前、何やってるんだよ?」
沈黙を突き破ったのは金竜の声だった。先ほどの怒気はさっぱり消え失せ、呆気に取られたような生気の抜けた声を漏らす。
「私はみんなで仲良く水かかろうと思っただけだよ」
今度は朝宮の声が聞こえる。先ほどの陽気さは消え失せ、しみじみとした声音だった。
「……行こうぜ。こいつヤベーよ。何してくるか分からねえ」
バケツが落ちる音が聞こえると複数の足音が聞こえてくる。地面に流れた水を踏みつけているためチャプチャプという音が立つ。それは少しずつ遠くなっていき、最後には閑散とした空間だけが広がった。
私はゆっくりとドアを開けた。
視界に入るのは落ちた二つのバケツにずぶ濡れになった朝宮だった。
彼女は金竜たちの去っていった方をずっと見ていた。しかし、私が出てきたのに気づくとこちらに顔を向けた。
「お揃いだね」
彼女ははにかんで私にそう言った。
「あんた馬鹿だね」
「心配しなくても大丈夫だよ。私の両親もきっと許してくれる」
朝宮の言葉に、昨日のアリサーチの記憶が蘇る。
彼女は両親の意思を引き継いだのだ。だから今回のことは看過できなかったのだろう。そして、失うものが何もないことが彼女の後押しをした。
「そう」
私は朝宮のとこに行くと彼女の手を握った。
「風邪ひくよ。私たちも戻ろ」
ポカンとした様子の朝宮だったが、すぐに気を取り直して笑顔をくれた。
水に濡れた彼女の手はとても温かかった。
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