第2話

 美城女学園での昼食は、基本的にみんな校内にある食堂で食べることになっている。仲間外れにされた私も例外ではない。食堂では中等部から高等部の生徒たちが、各々友人たちと食事を嗜んでいた。


「冬花ちゃんは何にするの?」


 厨房の配膳台の上にあるパネルに書かれた『今日のメニュー』を見ながら、朝宮は私に聞いてくる。運の悪いことに私たちは一緒に行動することになった。

 それもこれも朝宮が話しかける相手が十中八九『私』だったからだ。最初に話したのが運のつきだったのか事あるごとに話す対象が隣の席ではなく、後ろの席の私だった。


「唐揚げ定食」

「じゃあ、私もそれで」

「初めての定食をそんな簡単に決めていいの?」

「いいのー」


 最初は無愛想にしていたが、気に病む素振りを見せない朝宮に対して、無意識に観念してしまって一言二言は話すようになった。ただし、まだ馴染みのあるような振る舞いは見せてはいない。下手に金竜に目をつけられないように彼女との距離は一定に保っておこうと思った。


 メニューが決まったところで厨房にいるおばさんに注文し、出来上がるのを待つ。朝宮はウキウキした様子で厨房の調理風景を眺めていた。私は彼女の様子を横目で眺める。彼女のキラキラした瞳に視線が吸い込まれていた。


 やがてお盆にご飯とお味噌汁、おひたしと唐揚げが乗せられ、私のところに届いた。追加でトッピングができるが、私は何も乗せることなくお盆を持って会計を済ませる。朝宮を見ると彼女はデザートをトッピングしていた。


「次はかつ定食にしよ。他の子が頼んでて美味しそうだったから」

「かつ定食もまあまあ美味しいよ」


 二人で並列に歩きながら、空いている席を探す。

 奥の方に誰も座っていない席があったので、そこに向けて歩いていくことにした。


「それにしても、冬花ちゃんって賢いんだね。5教科488点って」


 今日は二学期実力考査の成績発表があった。私は一学期から継続して学年1位をキープ。朝宮はそのことを褒めてくれた。


「まあ、勉強はできる方だから。親の遺伝子に感謝だね」

「そんな謙遜しないでよ。きっと冬花ちゃんの努力の成果だよ」

「いや、そんなことっ!」


 不意に、私の足に誰かの足が引っかかった。

 歩くリズムが崩れる。両手でお盆を持っていたため思うようにバランスが取れない。お盆は前に倒れ、皿や料理がぶちまけられる。それらが落ちたところに私も倒れていく。

 味噌汁の暑さが肌を刺激する。皿やお盆が肌を強く打ち、内臓を抉ったことで激痛が走り、しばらくは動けなかった。


「冬花ちゃんっ!」


 朝宮は自分のお盆を地面に置き、私の体に触れる。朝宮以外は誰も私に見向きもしなかった。そこで一連の事故の加害者を認識することができた。


「いっつぁ……夕凪……てめぇ、どこ見て歩いてるんだ」


 苦しみつつも、怒気のこもった声が聞こえる。私が何度も聞いたことのある声だった。

 痛みを堪えつつ、上体を少しだけ起こし、顔だけ後ろに向けた。そこには足を抑えながら私を睨む金竜の姿があった。全身を起こし、スカートについていた米粒などを払う。


「聞いてんのか、夕凪。私の足を蹴ったの謝れよ」

「……ごめん」


 私は微かに口を開けて、金竜に謝罪した。小さな声は抵抗の現れだ。


「はぁ? なんだそれ。お前、自分が加害者なのわかってる? 土下座だろ?」


 不貞腐れた私の謝罪に金竜は怒りを顕にした。「加害者なのはどっちだ」と言いたいところだが、全員に聞いても私が加害者だと言うだろう。誰も金竜に逆らうことはできないのだから。


 唯一、一緒にいた朝宮だけは金竜に怪訝な表情を浮かべていた。何か言いたそうな彼女に私は手で牽制する。


 体を地面に倒すとゆっくりと金竜に土下座した。土下座で勘弁してくれるなら安いものだ。金竜は「よくできました」と嘲笑って、再び食事を始めた。私は立ち上がり、厨房の方へと戻っていく。


「冬花ちゃん、どこにいくの?」

「地面汚しちゃったから片付けないと」


 朝宮を軽くあしらって、厨房へと向かった。


 ****


「ねえ、なんで冬花ちゃんは何も言わなかったの?」


 こぼした料理を片付けた後、私は着替えをするために体操服を持って更衣室に行った。水が染みたのなら自然乾燥に任せれば良いが、匂いのするものが染みたとなると流石に着替える必要がある。


 朝宮は片付けを手伝ってくれた。彼女は自分の昼食を別の誰かに無理矢理渡したらしい。 片付け中、彼女のお腹がよく鳴っていた。彼女は恥ずかしがっていたが、私としては空気が和むためありがたかった。


 そして、なぜか更衣室の着替えすらも朝宮は付き添ってくれた。どうしてかと思ったが、彼女の疑問を聞いて理解できた。

 先ほどの一連の様子をずっと不思議に思っていたのだろう。


「言うって何を?」

「さっき冬花ちゃんがこけたのって金竜さんが足引っ掛けたからだよね?」


 惚けてみたが、朝宮はすぐに別の疑問を提示した。さっきは特殊疑問文で聞いてくれたのに今度は普通の疑問文で聞いてきた。これじゃ、惚けるのは難しそうだ。


「朝宮がそう見えたんだったら、そうかもね」

「冬花ちゃんは違うの?」


 濁した回答が気に入らなかったのか、問い詰めるように朝宮が再び質問する。

 制服を脱ぎ、下着姿になると体操服を取り出して着替える。幸い、ズボンの尻の部分が破れているということはなかった。今回の犯行は衝動的によるものだったのだろう。テストの成績が自分よりも上だったことが気に入らなかったのだろう。


「いや、違わないよ。私も金竜に足を引っ掛けられたと思ってる」

「じゃあ、先生に相談したほうがいいよ。今朝濡れてたのも金竜さんのせいだよね?」

「無駄だよ。私たちがそう見えていても、他のみんなが、私が金竜の足を蹴ったと思ってるから」


 着替えを終えると後ろにいた朝宮に向き合った。午後の授業が始まるまでは教室には戻りたくない。だから時間のある限り、ここで暇を潰そうと思った。


「みんなって……でも、あれは絶対に金竜さんが足を……」

「事実がそうであっても、当事者以外のみんなが違う事実を口にすれば、そっちの事実が正しいことになる。みんながみんな、『1+1=3』って言えば『1+1=3』なの」

「そんなの間違ってるよ。だって、『1+1=2』だもん。3にはならない」

「間違ってないよ。実際、『1+1=2』であるのは1の次の数を2と定義したからにすぎない。こことは別の世界があって、そこでは1の次の数を3と定義していたなら『1+1=3』になる。定義はあくまで共通認識であって、絶対的な権限はない」

「……でも、みんなどうして金竜さんの方に加担するの」

「簡単だよ。それがこの社会を生きる上で一番合理的なことだから。金竜さんの親は政治家なの。他の生徒の親は金竜さんの親にお世話になっている。だから立場上、彼女に逆らうことはできない」


 定義が変われば、定理は変わる。みんな、金竜の親の力によって、本能的に定義を捻じ曲げられているのだ。


「だから、朝宮も今回の件は、私が金竜の足を蹴ったと思っていて。それが朝宮にとっても、朝宮の両親にとっても、都合のいいことだから」


 時計を見ると、そろそろ次の授業が始まる時間だった。

 私は制服を体操着袋の中にしまって、更衣室のドアへと歩いていく。


「冬花ちゃんはそれで平気なの?」


 ドアに手をかけると後ろから朝宮がそんなことを聞いてきた。

 平気かどうか、そんなのは決まっている。


「五年間もされてきたことだからね。もう慣れた。それにあと一年ちょっと我慢すれば終わることだから」


 そう言って、ドアを開けて更衣室を出た。言葉を紡いでいる間、朝宮の顔を見ることはできなかった。

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