第29話 毒林檎令嬢の本領発揮(中編)
ディートグリム家の血が濃い私は闇魔法が得意な分、治癒魔法を代表とする光魔法が壊滅的だ。
いくら呪文を正確に暗唱できたとしても、光魔法の適正がない者の詠唱は役に立たない。
「アルト、アルト……っ」
聖女様だったら、すぐに治癒魔法でアルトを治せるのに……!
私はこんな時、焦燥に駆られながら弱々しい声を出すことしかできない。魔力が人よりたくさんあったとしても、こんな時には少しも意味がないのだ。
アルトバロンの命を預かる主人としてあまりにも無力すぎて、悔しくてたまらない。
「誰か、使用人の中に光魔法で応急処置ができる者はいないか!?」
「お、おりませんッ!!」
「癒師はまだですか!」
「今、エリーと数名が呼びに行って……っ」
明らかに原因不明、しかも唐突で急激な病の進行。
賑やかだった夕食の時間は一瞬にして混乱に包まれ、執事やメイド長の叫ぶような指示が飛ぶ。
彼が倒れてから、まだ三分も経過していないだろう。
だがその間にもアルトバロンの顔色はどんどん赤く、荒い息はひどくなるばかりだ。
彼の上半身を支えている腕から伝わってくる温度は、衣服越しにも上がっていき、急激な高熱に侵されているのがわかる。
私はポケットから取り出したハンカチで、アルトバロンの額の汗をできる限り優しくぬぐう。
ここで癒師の到着を待つ時間は、とてつもなく長い時間に感じられた。
「ひ、ひとまず、アルトをベッドへ。誰か手を――」
「グルルルル」
貸してちょうだい、と続くはずだった私の声は、獣の唸り声でかき消された。
手負いの獣が敵に威嚇するような、低く、危うげな獣の声。
ハッと腕の中に視線を落とすと、今まで苦しげに目を瞑っていたアルトバロンの虚な双眸とかちあった。
菫青石の瞳は満月に照らされているかのように妖しく、しっとりと濡れている。その中にある、宝石を砕いたかのような金色の光彩が爛々と光っていた。
虚なはずなのに、どこか蠱惑的で熱っぽく、甘い。
こちらの胸が張り裂けそうなほど苦しそうなのに、匂い立つような悪魔的な妖艶さがあった。
血色の良い形の良い唇から、尖った牙のような犬歯がのぞく。キュッと狭まる瞳孔は、獰猛な獣のように縦に開いていて――。
思考に靄がかかり始める。いけない、こんな時なのに。
「ティアベルお嬢様っ! 癒師を連れてまいりました!!」
若い女性の大きな声に、ぼーっとしかけていた思考が戻ってくる。エリーだ。
その後ろから白衣を纏ったご老人が走ってくる。ディートグリム家に仕えてくれている稀有な光魔法の使い手、老齢の癒師・デノクだった。
彼は数本の魔法薬瓶が入った木製の薬箱を抱えて、「獣人風邪か、魔力不足か」と落ち着きを払った様子で穏やかに呟いていたが、私の腕の中でぐったりしているアルトバロンを見て「こりゃいかん」と空気を切るような声で言った。
「旦那様に緊急事態と伝えるのじゃ。至急、宮廷癒師団の長を連れて戻られよと」
「デノク
「魔力中毒による先祖返りが起き始めておる」
「えっ」
ま、魔力中毒? 先祖返り……?
聞いたこともない症状だった。
「獣人には稀に膨大な魔力を持って生まれる者がおる。そういう者は大抵、『獣人の祖』と呼ばれる最初の魔獣の魔力を受け継いで生まれてきた者じゃ」
デノク癒師は話しながら荒々しい手つきで魔法薬瓶を選び、栓を抜く。それをアルトバロンの唇にあて、紫色の液体を少しずつ流し込んだ。
老齢なれど、瞬時に診断し迅速に対応する姿には、若い時分に戦場を駆けた宮廷癒師団の団長らしい猛々しさが残っている。
「……やはり魔法薬では駄目じゃったか。魔力中毒はその膨大な魔力が、ほんの些細なきっかけをもとに反転し始めて起こる現象じゃ。本人のあずかり知らぬところで突然起こる。放出されるべき魔力が間違った方向性を持って体内を巡り、正しい魔力を喰らうことで悪性化していくのじゃ。そのせいで中毒になる」
デノク癒師によると、魔力中毒は極めて発病が稀な病気で命に関わるものだが、早期の適切な治療で問題なく回復できるらしい。
「常人ならばこの魔法薬で良くなるのじゃが……アルトバロンは違う」
「あっ、アルトは、どうなるのですか?」
「アルトバロンの魔力は特別じゃ。彼自身の魔力が喰いつくされて悪性化が進むと、命の危機を回避するために先祖返りが起こる。彼は狼の獣人じゃが、その血統のルーツは……魔獣フェンリルじゃ。魔力中毒で飢えた魔獣は、魔力を補うために人の意識を惑わせて喰らう」
「え……っ」
私は言葉を失った。
もしかして、さっきの思考に靄がかかる感覚って……。
「残念じゃが、宮廷癒師団の長を退いた今のわしでは、彼のような膨大な魔力を持つ者の先祖返りを止める術はない」
「そんな……」
「ティアベルお嬢様。酷なことを言うようじゃが、この部屋にアルトバロンだけを残し、早急に人払いを。旦那様と宮廷癒師団の長が到着するまで防壁魔法を築くことでしか、わしらは彼を守ってやれん」
デノク癒師のその言葉に、私は腕の中で小さく唸るアルトバロンをぎゅっと抱きしめた。
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