第24話 番を見つけられますように(後編)


 ゆっくりと、ゆっくりと、花弁が綻び、燐光が舞う。

 薔薇に似た花弁が咲き誇った瞬間、ひときわ眩しい燐光がきらめき、五センチほどの人影が飛び出した。


「フィー!」

「わあっ! 生まれたわ! 見て、アルト!」

「はい! これが妖精……!」


 大きな目をした光り輝く人影が、蝶のような羽を広げてきらきらと舞い飛ぶ。

 生まれたのは、女の子の〝フィーリア・ウィーティス〟だった。


 彼女はきらきらと燐光を撒き散らしながら、私とアルトバロンの周りを元気よく飛び回る。


「魔法史の延長で妖精学も学んでいますが、姿を見たのは初めてです」


 初めて妖精を見たアルトバロンの表情は八歳の少年らしく、驚きに満ちている。

 自由自在に飛び回る妖精を、首を巡らせながら視線で追う。彼の形の良い唇からは、自然と感嘆の声がいくつもこぼれていた。


「フィフィー!」


〝フィーリア・ウィーティス〟はアルトバロンの両手のひらの真ん中に降り立つ。

 そして笑顔満開の喜んだ様子で、ぱたぱたしていた羽を休めた。


「アルトの手の中が気に入ったのね。ふふっ、ハッピー・フィーリア・ウィーティス・デー! さあ、妖精さん。チョコレートをどうぞ?」


 宝石箱のお菓子入れから、手作りのチョコレートを指先でつまむ。

 作る途中、いくつかの工程の合間に、私とアルトバロンの魔力を注ぎ込んだ特別なチョコレートだ。丹精を込めて、丁寧に丁寧に作り上げた自信作である。


 生まれたての妖精にそっと差し出すと、彼女は「フィー」と頬を染めてそれをかじった。


「美味しい?」

「フィ〜〜〜」

「わああ、良かったっ」


 お母様、元気な妖精さんが無事に生まれましたよ。ティアベルは今、すっごく幸せです。


「これから十年間、あなたは旅に出るのだから、たっくさん食べてね」


 今日、同じ瞬間にどこかで生まれた番を探しに、彼女は今から世界中を旅することになる。

 現存する妖精の種は年々減少していることから考えても、きっと私たちには想像できない過酷な旅になるだろう。でもそんな日々も、このチョコレートパワーで力強く乗り越えていってほしいと思う。


「十年後、また会えたらいいですね」

「ええ、そうね」

「ここで、こうして彼女と彼女の番を、お嬢様と一緒に迎えたいです」


 アルトバロンがやわらかな微笑みを浮かべて、一生懸命にチョコレートを頬張る妖精を見つめた。その横顔が幸せそうで、なんだか嬉しくなる。


 だけど、同時に、少しだけ……ほんの少しだけ胸がつきりと痛んだ。


 十年後の私たちはきっと、【白雪姫とシュトラールの警鐘】の舞台となる王立魔法学院にいる。

 アルトバロンは聖女様の護衛兼お世話係に任命されて、もう私のそばにはいないだろう。


 ……今日の小さな約束だって、忘れてしまうに違いない。


「お嬢様、見てください。〝フィーリア・ウィーティス〟の姿が、少しずつ透けて――!」

「本当だわ。もう出発の時間なのね」


 魔力の源となる甘いお菓子でお腹がいっぱいになると、〝フィーリア・ウィーティス〟は身を隠すためにどこかへ転移してしまうらしい。この子もそうなのだろう。


「フィー! フィー! フィー!」


 最後に元気よく声を出し、私とアルトバロンの上をキラキラと飛び回る。まるで祝福するかように、燐光を振り撒き――


「あっ」


 消えた瞬間、私の唇からは名残惜しむ声が出た。

 まるで夢のような一瞬だった。

 残された燐光が、ゆっくりと空気に溶けてなくなっていく。


「お嬢様」


 夢みたいな時間を壊さぬようにか、アルトバロンがそっと囁くように私を呼ぶ。


 彼は私の手の中にあった宝石箱のお菓子入れに指先を伸ばすと、残っていた狼型チョコを摘み上げた。

 私の作ったチョコレートより色艶の良い端整なこの一粒は、アルトバロンが作ったものだ。料理経験皆無にも関わらず、こんなに上手にできるとは流石すぎる。


 アルトバロンは菫青石の瞳を優しく細めて、なぜだか私の唇に、狼型チョコをふにっと押し当てた。


 ……えっ? えええ!?


 長い睫毛をぱちくりしながら驚く私に、「美味しいですよ?」とアルトバロンがこてりと首を倒す。

 破壊力抜群の可愛さに、思わず頬が熱くなる。


「お嬢様、どうぞ。あーん」

「あ、あー……ん」


 彼の指先に触れぬようにチョコレートを食べるのは至難の業だ。

 突然、従僕からもたらされたミッションに内心あたふたしながら、唇を開いた。


「んんん。美味しい! なんだか、私が作ったのとは味が違うわ……!」


 滑らかさも段違いだ。


「なんていうのかしら、……これぞ、職人級……?」

「そんなに違いますか? お嬢様の作ったものも、同じように美味しいですが」

「悔しいけれど、全然違うっ。私のは美味しかったけどやっぱり手作りの範囲だったわ」


 自分の作っていたのばかり味見していたので、その差に驚いてしまう。一緒のカカオ豆から作ったのに。


「ううう。こんなことなら、全部アルト作のやつを食べさせてあげたら良かった……!」


 貴重な機会だからと、つい半分半分にしてしまった。


「〝フィーリア・ウィーティス〟は、私の作った方を食べた時、どう思ったのかしら? それにそれに、せっかくのアルトの傑作チョコがもったいないぃぃ」

「それじゃあ〝フィーリア・ウィーティス〟の代わりに、お嬢様が食べてください。そしたら僕の傑作も、もったいなくはないでしょう? むしろ作った甲斐があります」


 恥ずかしいやら悲しいやらで、「うー」っと感情をこらえていた唇に、ふたたび差し出された二粒目の狼チョコが優しく触れる。


「ね?」


 アルトバロンは狼耳をかすかに倒して口角を上げる。

 なんだか、まるで、狼チョコとキスしているみたいで、恥ずかしい。

 私がアルトバロンを見上げながら恐る恐る唇を開くと、彼の黒髪がさらりと揺れる。


「もしもお嬢様が〝フィーリア・ウィーティス〟だったら……。僕はきっと、こうして素直にチョコレートをプレゼントできていないかもしれません」

「え……?」


 どういう意味だろう?


「お嬢様。ハッピー・フィーリア・ウィーティス・デー」


 穏やかな表情をした彼は、楽しそうに、甘やかな声音でそう告げた。

 アルトバロンの長い睫毛に縁取られた菫青石の瞳には、言葉では表現しがたい幸福感が、確かに滲んでいた。


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