第3章 従僕の箱庭

第12話 僕の箱庭(前編)


 ◇◇◇


 猛々しい咆哮を上げて迫り来る炎の獅子から逃れるため、アルトバロンの腕の中に抱き寄せたお嬢様――ティアベルは、その空間に入った途端にくたりと全身の力を抜き意識を失ってしまった。

 アルトバロンはこの空間においては必要のなくなった剣を鞘にしまい、彼女を抱え直す。


「お嬢様、大丈夫ですか。お嬢様?」


 腕の中で眠る少女へ呼びかけるが返事はない。

 何度か呼びかけてみて、やっと「……ぅう、ん」と小さな呻き声がかえってきた。


(……まさか、どこかに怪我を!?)


 首までレースの装飾に覆われた露出の少ない真っ赤なドレスを着ているので分かりにくいが、見た限り血痕はないため衣服の下に怪我を負った様子はない。磁器のように白い肌には砂埃による汚れがあるものの、火傷の痕もなさそうだ。

 熱風を吸い込んだせいで喉や肺がやられていたら、と危惧したが、異常な汗の量ではないし、呼吸も安定している。


 焦らずによく見れば、苦悶の表情も浮かべていない。……どうやら単に魔力切れを起こしているだけのようだった。

 アルトバロンは安堵とともに、いつの間にか詰めていた息を吐く。


(そう言えば、僕と主従契約を結んだ時も彼女は魔力切れを起こして倒れていたな。もしかしたらお嬢様は、自分の魔力が底を尽きるのも考えずに魔法を使いすぎる傾向にあるのかもしれない)


 自分と同じく、生まれながらにして魔力量が多いのに加えて、彼女の場合はエルダーアップルの効能が如実に現れているのだろう。 

 多すぎる魔力を暴発させず、間違った呪文でも正しい魔法として放出する荒技をできるのだから凄い。さきほどの呪文も、確かに初級水魔法の呪文を詠唱していたのに、上級魔法を何人もの大人が打ち込んだかのようなあの威力が発揮されていた。まさに大人顔負けのイメージ力だ。

 対して、魔力消費量の計算は苦手らしいので心配になる。年齢相応と言えば聞こえはいいが、彼女の立場はそれを許されない。


(……今回は僕が側にいたからまだ良かった。だがもし、お嬢様が悪人の腕の中で意識を失ったらと思うと)


 ぞっとする。

 想像するだけで苦しくなった胸へ、アルトバロンは無意識のうちにティアベルを抱き寄せる。

 そんな無意識の行動に驚くと同時に、主従契約を結んだばかりの主に対し、いつの間にかそれほどまでに心を寄せ始めている自分に気がついて目を丸めた。



 ◇◇◇



 アルトバロン――いや、ヴォルクハイト・ロア・グラナートは、この王国から遠く離れた大陸の北端に位置する獣人の国々を治めるグラナート皇国の第一皇子として生を受けた。


 誕生時、ヴォルクハイトは皇族としての純粋で強い魔力だけでなく、先祖返りと呼ぶに相応しい魔力を兼ね備えていたことから『将来有望な第一皇子』と祝福されたらしい。

 だが、生後間もなくして離宮での幽閉が決まった。

 理由は皇帝陛下の寵妃の第一子である、第二皇子誕生のため。

 ヴォルクハイトの母親は、皇帝陛下の〝最愛〟ではない『正妃』だった。


 獣人は生涯のうちたったひとりの〝最愛〟しか愛せない。番も、複数持つことはない。それでも王侯貴族などは血を絶やさないために、番ではない妻を持つ必要があった。

 しかし、最愛でも番でもない女を〝夫〟が心から愛するはずがない。

 種族によっては夫から嫌悪さえ抱かれる。

 若くして婚約者を持ち、政略結婚をした数年後に〝最愛の番〟が現れるなんてよくある話で、ヴォルクハイトの母親はその立場にあった。


 産んだ子が幽閉されたせいか、プライドの高かった母親は心身を病み、一度たりともヴォルクハイトのもとを訪れようとはしなかった。

 そんな中、第二皇子の魔力が母親と同じく平民レベルであるとわかり、宮廷内は血統や魔力遺伝を重要視する『第一皇子派』と、〝最愛の番〟の子こそ皇帝陛下の真の後継者とする『第二皇子派』に完全に分裂することになる。


 皇帝陛下の顔も知らぬヴォルクハイトは権力争いへと巻き込まれていき、離宮でも裏切りや暗殺未遂が相次いだ。

 殺伐とした環境で感情は凍り、足元を掬われぬよう勉学に勤しみ研鑽を積む日々。

 温度のない日常で寂しいなどという感情は芽生えもしない。芽生えた感情があるとすれば、たったひとつ。

『生き残るためならば血のにじむような努力も惜しまない』

 それだけだった。


 だが六歳のある日――固有魔法が、普通の子供より二年早く発現してしまったせいで、状況は一変する。


『な……ここはどこだ! 余の最愛は無事か!?』

『陛下、わたくしはこちらにおりますわ! 皇子も一緒です。ですが、ここは一体……っ!』

『皇帝陛下、妃殿下、どうぞご安心ください。我々がお守りいたします!!』


 突然、部屋の様子が一変したかと思うと、肖像画でしか見たことのなかった父親と側妃、そして第二皇子や数多の衛兵たちがヴォルクハイトの前に混乱した様子で現れた。

 延々と広がる離宮の一室と同じ風景の奇妙な空間。

 しかもどうやら皇帝陛下たちだけでなく、厨房のシェフや下働きのメイドまで、宮廷に住むほぼ全ての獣人がこの空間に召喚されてしまっていた。


 魔力量が多い子供は、固有魔法が最初に発現する時に暴走を起こしやすい傾向にある。

 皇帝陛下は離宮で幽閉されているはずのヴォルクハイトを見て、すぐにこれがヴォルクハイトの固有魔法の暴走だと気がついた。


『よもやこのような〝魔物〟が余の宮廷で第一皇子を名乗ろうとしていたとは。恐ろしい』


 歳を重ねるごとにいつの間にか『魔力量が多い』では済まされないほどの膨大な魔力を得ていたヴォルクハイトは、普通の子供が八歳で発現する固有魔法を六歳で発現させてしまったらしい。


 もしも、本当にそれだけだったのなら、稀代の天才などと称えられて終えられただろう。 

 だが、よりにもよってヴォルクハイトに発現した固有魔法は〝箱庭〟という……魔力領域に対象を引き込むもの。

 ヴォルクハイトが固有魔法を使えば、皇帝陛下や第二皇子をその領域に閉じ込め続けることも、そのまま餓死させることもできる。

 いや、彼らだけでなく宮廷にいる者すべてを箱庭に引きずり込んで、一切の証拠も残さずに消し去ることができるのだ。


 すでに多くの人間を巻き込んでしまったことで、誰もが最悪の事態を想定したのだろう。

 今まで『第一皇子殿下』と擦り寄って来ていた家臣たちも、皆震え上がった。『第一皇子派』と『第二皇子派』で二分していた宮廷は、もちろん一気に『第二皇子派』に傾く。


 そして皇帝陛下はヴォルクハイトの固有魔法を解くために、父親としてあまりに無慈悲な命令を衛兵たちに下した。

 ――『この〝魔物〟を、死なない程度に痛めつけろ』と。



 それからというもの……ヴォルクハイトは『魔物』と蔑まれ、肉体を傷つけられ、魔力を搾り取られ、城の地下深くに幽閉されることとなった。

 それも、隷属の証である『封印の楔』を施されて。


 古代文字を使った魔法が使えぬように魂と密接に関係する真名を奪われ、詠唱のための声を奪われ、魔力も固有魔法も封印され……それから二年もの間、暗い檻の中で虐げ続けられていた。

 殺されなかったのは、〝魔物は呪う〟という言い伝えのおかげだろう。


 そうして皇国に仕える老齢の預言者のお告げ通り、八歳の誕生日に廃嫡とされ魔物の森に捨てられた後は…………旦那様に拾われて、こうしてティアベルの従僕という立場を与えられたのだ。



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