第7話 差し出された手は掴むのみ


 臆することなく上級防壁魔法の呪文を詠唱し始めたアルトの後方で、私も両手をかざして最大出力で水魔法を放つ。

 妖精植物に火球が被弾するよりも先に、とっさに水魔法を応用して作った水狼が大きな口を開けて、牙を立てるようにして火球を飲み込んだ。


 しかし、グリフォンから幾度も吐き出される火球を視界に捉え、その速度より早く水狼をコントロールするのはとても難しい。


「うううう、いっけぇぇぇ!」


 ぐっと両足に力を入れてその場で踏ん張り、両手から勢いよく魔力を放出する。今はとにかく精一杯やるしかなかった。


「なっ。ティアベルお嬢様!? き、危険です!」

「どうか屋敷の中へお入りください!!」

「ここは我々にお任せをッ!」


 私の叫び声で水狼を操っていた人物が誰であるか気がついた護衛騎士たちが、慌てたように声をあげる。

 しかし、お父様はこちらを一瞥し「ふん。ティアベルの好きにさせてやれ」と口角を吊り上げてくれたので、私はこちらを振り返ったアルトへ目配せして、力強くこくりと頷いた。


「わかりました。お嬢様の防御は僕にお任せください。このまま、お嬢様には傷ひとつ付けさせませんから」


 頼もしい宣言とともにアルトも頷き返してくれる。

 私たちはまた荒れ狂うグリフォンに向き直った。


 熱風が吹き荒れ、額に汗が浮かぶ。

 息を吸うたびに鼻や喉の奥が火傷しそうなほど熱くなる。


 そんな中、お父様が三体の炎獅子を同時に消滅させた。

 しかし護衛騎士たちが「やったぞ!」と叫んだ次の瞬間、アルトの前に緋色の召喚魔法陣が現れる。

 息をつく間も無く近距離で現れた巨体に、私は思わず「きゃああっ」と悲鳴をあげた。


「――くっ! なぜこんなところに召喚するんだ!」


 上級防壁魔法を展開させながら水魔法を剣に纏わせたアルトが、真っ二つにそれを斬り裂く。

 無数の火の粉が飛び散ったが、アルトによって周囲に張り巡らされていたらしい防炎魔法によって、それもすぐさま鎮火した。


「お嬢様、お怪我はありませんか?」

「え、ええ。なんとか。ありがとうアルト」


 本当はびっくりして心臓が止まるかと思った……。

 いつの間にか詰めていた息をふぅっと吐いて、胸の前で握りしめてしまっていた両手をほどき再び集中する。

 小刻みに震える指先は、見ないふりをした。


 火球の消火を私とアルトが一手に引き受けたことで新しい火種がなくなっていき、庭園の消火活動が順調に進んでいく。

 花壇や木々に移っていた炎ほとんど鎮火し、煙が細く上がるのみになっていた。


 あとはあの子の魔力が暴走しなくなれば、いいんだけど……っ!


 どこからともなく吹き荒れる熱風が、長い髪を巻き上げて視界を乱す。

 集中すればするほど、耳から入ってくる言葉はただの音へと変化していく。周囲の状況はいつしかまったくわからなくなっていた。


 その時だった。


「まさか、あり得ない!」

「……えっ?」


 アルトがただならぬ声をあげる。

 遠くだけをまっすぐ見ていた視線を引き戻すと、私とアルトを三つの召喚魔法陣が囲んでいた。


  いつの間に!?


 この至近距離で三体同時にグリフォンが召喚されたら、流石に今の年齢のアルトでは斬り伏せられないだろう。水魔法の壁を作る? 庭園の上空へ向けていた魔力を、早く手元に……――どうしよう、魔力の操作が間に合わない!


「……お嬢様ッ!」


 必死の形相をしたアルトがこちらを振り返り、剣を握っていない方の腕を伸ばす。切なく歪められた菫青石色の瞳が『僕を信じてほしい』と懸命に訴えかけていた。


「アルト……っ」


 ……心配しなくても大丈夫。私はあなたを信じてるから。

 初めて彼の方から差し出された手のひらを、私は迷うことなく手に取った。

 彼の瞳が大きく揺れる。

 しかしそれは一瞬のことで、すぐさま鋭さを取り戻した。


「檻の中はどこまでも暗く、昏く、幸せに満たされる――〝箱庭〟」


 アルトの静かな詠唱が耳元で聞こえたと同時に、三つの召喚魔法陣が緋色に輝く。

 暴風が巻き起こり、今まで感じていた以上の灼熱が肌を撫でる。

 咆哮と火の粉の揺らめきが迫り来る中、アルトの腕が強く強く、私を彼の胸へ抱き寄せた。



 ◇◇◇



 猛々しい咆哮を上げて迫り来る炎の獅子から逃れるため、アルトの腕の中に抱き寄せたお嬢様――ティアベルは、その空間に入った途端にくたりと全身の力を抜き意識を失ってしまった。


 アルトはこの空間においては必要のなくなった剣を鞘にしまい、彼女を抱え直す。


「お嬢様、大丈夫ですか。お嬢様?」


 腕の中で眠る少女へ呼びかけるが返事はない。

 何度か呼びかけてみて、やっと「……ぅう、ん」と小さな呻き声がかえってきた。


(……まさか、どこかに怪我を!?)


 首までレースの装飾に覆われた露出の少ない真っ赤なドレスを着ているので分かりにくいが、見た限り血痕はないため衣服の下に怪我を負った様子はない。磁器のように白い肌には砂埃による汚れがあるものの、火傷の痕もなさそうだ。


 熱風を吸い込んだせいで喉や肺がやられていたら、と危惧したが、異常な汗の量ではないし、呼吸も安定している。

 焦らずによく見れば、苦悶の表情も浮かべていない。……どうやら単に魔力切れを起こしているだけのようだった。


 アルトは安堵とともに、いつの間にか詰めていた息を吐く。


(そう言えば、僕と主従契約を結んだ時も彼女は魔力切れを起こして倒れていたな。もしかしたらお嬢様は、自分の魔力が底を尽きるのも考えずに魔法を使いすぎる傾向にあるのかもしれない)


 自分と同じく、生まれながらにして魔力量が多いのに加えて、彼女の場合はエルダーアップルの効能が如実に現れているのだろう。 


 多すぎる魔力を暴発させず、間違った呪文でも正しい魔法として放出する荒技をできるのだから凄い。

 さきほどの呪文も、確かに初級水魔法の呪文を詠唱していたのに、上級魔法を何人もの大人が打ち込んだかのようなあの威力が発揮されていた。まさに大人顔負けのイメージ力だ。


 対して、魔力消費量の計算は苦手らしいので心配になる。年齢相応と言えば聞こえはいいが、彼女の立場はそれを許されない。


(……今回は僕が側にいたからまだ良かった。だがもし、お嬢様が悪人の腕の中で意識を失ったらと思うと)


 ぞっとする。

 想像するだけで苦しくなった胸へ、アルトは無意識のうちにティアベルを抱き寄せる。


 そんな無意識の行動に驚くと同時に、主従契約を結んだばかりの主に対し、いつの間にかそれほどまでに心を寄せ始めている自分に気がついて目を丸めた。


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