第5話 可愛い従者には構いたい(2)
慌てふためいた私は、抱きしめていた彼を急いで腕の中から解放する。
「ふふっ、もちろん冗談です。主従契約を結んだからには、僕はお嬢様の忠実なる従僕ですから」
「もうっ! もうっ! 本当にびっくりしたんだから!」
し、心臓に悪い冗談すぎる……っ!!
寝首を搔かれるにしても、十年後に聖女様と出会ってからじゃないと暗殺されないだろうけど、心臓がひゅんってしたし冷や汗が出た。
だが明らかに笑みの形を作っただけの、あまりにも取り繕った雰囲気でさらりと言われたため、冗談を言える間柄になったというよりは『僕の心に入ってくるな』と明確な線引きをされたのだと悟った。
「でも、冗談ならいいの」
とは言え、ここで彼に遠慮して諦めてしまったら、原作通りのぎすぎすな主従関係になって、アルトを幸せにする計画が全部ダメになってしまう。
だから、私はまた一歩を踏み出す。
「私はアルトと、もっと仲良くなりたい。だってせっかく出会えたんだから」
アルトは瞠目すると、一瞬なにかをこらえるように言い淀む。しかし、すぐに唇をきゅっと噛みしめてうつむいてしまった。
会話のない時間が過ぎる。それはたった数秒だったが、アルトの葛藤を感じた。
「お嬢様は」
ゆっくりと、彼が形のよい唇を重々しく開く。
そして感情を削ぎ落としたような冷たい声音で、「……お嬢様はなにもご存知ないから、そのようなことを口にできるんです」と呟いた。
「きっと、僕の持つ膨大な魔力や固有魔法の怖さを知れば……――お嬢様だって、僕を遠ざけるでしょうから」
「ええっ? まさか。そんなことしないわ」
予想外の返答に、私は素っ頓狂な声で応じた。
固有魔法とは八歳になると発現する、個人特有の魔法のことだ。確か原作の彼は、『封印の楔』によって固有魔法を封じられていた。だから、その魔法が一体どんなものかはわからない。
それに八歳を迎える以前に発現したのだとしたら、それは規格外の魔力を有している証拠だ。固有魔法の種類も一般人とは異なり、威力も桁違いだろう。
でもどんな固有魔法を所持していようと、それはアルトの個性のひとつだ。主人として誇りこそすれ、遠ざけたりはしない。
「……いいえ。どうせいつか遠ざけるのなら、最初から親睦を深めようなどとなさらないでください。僕は従僕として扱われるだけで結構です」
ううう、ちょっとずつ仲良くなれてるかもと期待した矢先に強烈なツン……!
せっかく少しお互いのこと知れた雰囲気だったのに。やっぱり突然抱きしめたのがいけなかった? むしろ『私のお誕生日プレゼント』発言がやば過ぎた? それとも、ずーっと大切にする宣言が原因?
――ま、まさか全部ダメだった!?
悪気はなかったんです。可愛いが過ぎたので、いっぱい好きが溢れちゃったというか。つい感情のままに行動してしまったというか……っ。
とにかく謝ろう。
だけど、視線の合わない彼に真剣だという気持ちを伝えたいから、手ぐらいは握ってもいいだろうか。
私はそっと手を伸ばし、遠慮がちにアルトの右手をすくう。
「こっちを向いて、アルト。あのね、わがままな振る舞いをしてごめんなさい。あなたが来てくれて、うちに来てくれて嬉しかったの。本当よ。その気持ちを、アルトに直接伝えたかったから。……突然抱きしめたりして、ごめんなさい」
さらに深くうつむいてしまった彼の黒髪がサラサラと流れて、彼の表情を隠してしまう。
というか、もしかしてだけど……アルトはまさか、その……私が従者をいびり倒す極悪な悪役令嬢に進化するって思ってる?
原作と同じでアルトを『かわいそうな子』と虐げて、アルトの心を大切にせず飼い殺すような人物と同じだと、思って――。
……そんなの寂しい。
大切にしたい、信頼したいって気持ちが一方通行なのは寂しくて嫌だ。
でも、それはきっと、アルトも同じはず。
同じ気持ちだからこそ、こうやって彼は私を遠ざけようとしているんだろうから。
「それからね」
私は彼の手を片手できゅっと握ったまま、爪先立ちで背伸びをする。
そして少しだけ近くなったアルトの頭へ、私は空いている方の手を伸ばした。
「固有魔法くらいで、私がアルトを遠ざけるなんてありえないわ。主従契約を楯に取って従僕として粗雑に扱うことも、虐げることも。絶対にありえないんだから」
……嫌がられるかも。
そう思って少したじろいだけれど、ここで気持ちを伝えなかったらあとで絶対に後悔する確信があった。
私はアルトを怖がらせないよう、そっと控えめに、彼の頭のてっぺんへ手のひらを置いた。
壊れ物を扱うみたいに優しく、優しく、黒髪に手のひらを滑らせる。
「……どうして、僕にそこまでしてくれるのですか。理由をお聞きしなければ、納得できない」
「理由なんて。ただ私は――お互いの心を大切にしあう、主人と従者になりたいの」
アルトが虚をつかれたような表情で、私を見下ろす。
「主従契約を結んだのだから、アルトの幸せが私の幸せにも繋がるわ。その幸せのために、アルトを可愛がりたいし、大切にしたいし、愛おしみたい。そして私がアルトの幸せを願うように……アルトにも、私の幸せを願ってほしいの。こんな理由じゃ、納得できないかしら?」
私は正直に心のうちを話した。
アルトを大切にしたい気持ちが、私の手のひらから伝わりますように。
今日からの十年間が、彼にとって楽しい日々でありますように。どうか、彼がこれ以上傷つかずにすみますように。
そう願いながら、優しく、優しく撫でる。
「だからね、アルト。今日から二人でいっぱい楽しい思い出を作りましょう? ね?」
彼からの返事はない。
「……アルト? ……ね、アルト聞いてる? …………アルトぉ」
「そう何度も呼ばずとも聞こえています。お嬢様との会話は、なぜだか僕の感情をおかしくするので……少し、静かにしていてください」
眉根を寄せた彼は、納得できないとでも言いたげに私を冷たく突っぱねる。
「ですが、その――……ありがとう、ございます」
最後にぽそりと呟かれた言葉に、出会った時のような懐疑心や警戒心の色はない。心なしか、狼のようなもふもふの尻尾も左右に力強く振るのを我慢しているように見える。
これはアルトなりの照れ隠し、なのかも。
長い睫毛の影に隠れて彼の目元が微かに赤く染まっているのを見つけて、私は思わず笑みがこぼれた。
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