第13話 チュートリアル ボス戦

 一通りチュートリアルを終えると、新しいコンソールが現れ、ザリバラと戦闘するインスタンスへ突入をするかどうか確認するメッセージが表示された。まるで本格的な戦いの幕開けを告げるかのようだ。アイシャの方にも同じ表示が出ているようで、アイシャは青白く目を光らせたまま尋ねてくる。


「マスターはここまでですか?」


「ああそうなるな。後は頼んだぞアイシャ。」


 静かに頷くアイシャの表情には、どこか緊張の色が見える。まるで初めての本格的な戦いに臨む武士のように凛とした決意が彼女の瞳を輝かせているかのようだった。


「...観戦モードがありますので、どうですか?」


「それができるならそうしてみたい」


 アイシャの声は少し震えているように思えた。


「では送りますね。」


 コンソールが表示され、アイシャから観戦の招待が届く。承諾すると、空間が歪むような視覚効果と共に、別の次元へと意識が引き込まれていく。まるで量子世界のエッジを跨ぐかのような感覚だった。


 目の前に広がったのは、特等席のVIPルームを思わせる洗練された空間だった。中央には巨大なスクリーンが浮かび、まるでスポーツ中継のような臨場感あふれる映像が映し出される。360度見渡せるホログラフィック映像で、実際の戦場にいるかのような錯覚さえ覚えた。横には様々な定点カメラの映像が並び、戦闘の細部まで見逃さないよう配慮されている。バトルフィールド全体を捉えた俯瞰映像から、戦闘参加者の表情まで克明に映し出すクローズアップまで、あらゆる角度からの観戦が可能だ。まるで量子世界の舞台裏を見下ろしているような感覚だった。


 そして、現実世界でよく見る立派なリクライニングチェアが1つだけ置かれていた。最高級の本革を思わせる肌触りと、体にフィットする絶妙な角度。この世界の細部へのこだわりを感じさせる。俺は腰をかけて、アイシャの様子を観戦する準備を整えた。


 アイシャは俺が観戦用のインスタンスに突入したのを確認したのか、メインスクリーンのカメラ目線で手を振ってくる。カメラの位置が把握できているようだ。


「よし、これから始まるぞ」と呟くようにして、俺は画面を見つめた。


 その瞬間、アイシャの姿が光の粒子となって消え、画面が一瞬暗転する。次の瞬間、彼女は広大なアリーナに転送されていた。


 アイシャの目の前には、一人の女性が立っていた。チュートリアルボス、ザリバラである。黒い革のコルセットドレスを纏った彼女の姿は、優美さと残虐性を同時に漂わせていた。光沢のある素材が体にぴったりとフィットし、胸元からウエストにかけて走るジッパーが艶めかしい。ドレスのスカート部分はフレアとなって広がり、その裾が風に揺れる様は妖艶さすら感じさせる。腕には同じく黒い革の手袋をはめ、指先までしっかりと包み込んでいる。足元の網タイツが官能的な雰囲気を醸し出し、全体的にダークでエレガントな佇まいを完成させていた。そして、その手には黒い鞭のような武器が握られている。まるで闇の女神のように、彼女は静かにアイシャを見つめていた。


 ザリバラはアイシャを見つめ、優雅に一礼する。


「ようこそ、新入りさん。私がチュートリアル担当のザリバラ。あなたに量子世界での戦いの厳しさを教えてあげましょう」


 アイシャは凛とした表情で応える。


「アイシャです。マスターから託された戦力として、しっかりと結果を出させていただきます」


「マスター?」


 ザリバラは面白そうに微笑んだ。


「そう、あなたのマスターね。随分と深い信頼関係をお持ちのよう。でも―― 」


 彼女の声が一瞬冷たく響く。


「その絶対的な忠誠心が、あなたの弱点になるかもしれないわよ」


 カウントダウンが始まり、モニターの左側にはアイシャのステータス(HP,TP,MP)が表示され、右側にはザリバラの数値が並ぶ。戦闘時間は15秒のカウントから始まり、最初の5秒は待機時間。残り10秒は特定のエリアから出られないものの、バフなどの準備行動が可能となる時間帯だ。この10秒間、両者は使用可能なバフを次々と展開していく。アイシャの下には5つのアイコンが並び、対するザリバラには7つのアイコンが表示される。それぞれのアイコンに意識を向けると、詳細な効果説明が新たなコンソールとして展開された。まるで量子世界の奥深さを覗き込むような感覚だった。


 カウントが0に達した瞬間、戦闘の火蓋が切られる。アイシャは人知を超えた速度でザリバラへと疾駆する。その瞬間、彼女の下に並ぶバフアイコンの1つが消失―――おそらく瞬間的な加速能力を使用したのだろう。速度を保ったまま繰り出される飛び蹴りに対し、ザリバラは優雅に鞭をしならせて攻撃を放つ。だがアイシャは、まるで空中で踊るように軌道を変え、その一撃を華麗に回避する。


 残り5メートルまで迫った瞬間、事態が急変する。 アイシャの足元から、まるで地中に潜んでいた罠のように、鋭利な針の束が突如として噴出した。予期せぬ攻撃に、アイシャは右腕、左脚、下腹部を貫かれ、ピンク色の鮮血を思わせるエフェクトが飛び散る。


 針から身を引き剥がしたアイシャに、ザリバラの声が届く。


「どう? 痛みのシミュレーション、リアルでしょう? この世界では、AIだろうと痛みを感じるの。それも立派な成長の糧よ」


 アイシャは歯を食いしばりながら答える。


「確かに...痛みは、予想以上です。でも―― 」


 アイシャは再び戦闘態勢を整える。


「これも、マスターのために必要な経験だと理解しています」


「ふふ、健気ね」


 ザリバラは鞭を優雅に振るう。


「でも、そんな『ため』だの『べき』だのに縛られていては、本当の強さは手に入らないわ。自分の意志で戦うことを覚えなさい!」


 苦悶の表情を浮かべながら、アイシャは必死に針から身を引き離そうとする。しかし針には返しが付いており、強引な離脱は更なるダメージを招く。結果、出血のデバフを負ってしまった。システム表示によると、このデバフは1秒ごとに10ポイントのダメージを与え、総計600ポイントに達するまで継続するという。


 態勢を立て直そうとするアイシャに、ザリバラの鞭が容赦なく襲い掛かる。脳天に突き刺さるような一撃と共に新たなデバフが付与され、アイシャは膝をつく。そこへ更なる鞭撃の連打が襲い掛かり、アイシャのHPは瞬く間に半分以下まで減少していく。


 何とか起き上がったアイシャは、先ほど見せてもらった黄金色のエネルギーを纏う反撃を試みる。手の甲に渦を巻き始めるそのスキルを、ザリバラは見逃さない。瞬時に展開された鉄の盾がアイシャの攻撃を受け止める。アイシャの一撃は確かに盾を粉砕したものの、その瞬間、ザリバラの姿が消失していた。


 頭上に跳躍していたザリバラは、アイシャの背後に着地するや否や、鞭で脚を薙ぎ払う。バランスを崩して転倒するアイシャに、ザリバラの容赦ない踏みつけ攻撃が何度も加えられる。4回目の攻撃でアイシャに新たなデバフが付与され、その動きが著しく鈍くなる。そこを見逃すはずもなく、ザリバラの鞭が更なる追撃を加えていく。


 体力を大きく削られたアイシャに、ザリバラは静かに語りかける。


「教えてあげましょう。この世界で生き残るための大切な真実を」


 アイシャは膝をつきながらも、視線をザリバラに向ける。


「あなたには自分の意志がある。ただ所属するだけじゃない。自分の心に従って戦う――それこそが、この世界での本当の強さよ」


「私は...マスターを信じています」


 アイシャの声は弱々しいが、芯が通っている。


「それが、私自身の選択です」


 ザリバラは深いため息をつく。


「まだ分からないのね。なら―― 」


 彼女の口元に冷たい笑みが浮かぶ。


「痛みで教えてあげましょう」


 アイシャのHPが10,000を切った瞬間、ザリバラは決定的な一撃を放つ。回避する術もないアイシャは、その攻撃を受けて再び膝をつき、身動きが取れなくなる。 ザリバラは地面を一度強く踏みしめ、手を二度叩く。その仕草と共に、円柱状の鉄の構造物が出現する。


 俺の目を引いたそれは、歴史上残虐な処刑具として知られる「鉄の処女」だった。古びた鉄の表面には錆が浮き、内部には無数の棘が並ぶ。扉には中世の宗教画を思わせる彫刻が施され、この拷問具の禍々しさを一層際立たせている。


「覚えておきなさい、アイシャ。この敗北も、この痛みも、全てはあなた自身の成長のため。いつか、この意味が分かる時が来るわ」


 アイシャの気絶した耳に、ザリバラの最後の言葉が届く。


「次は...もっと意思を持って戦いなさい」


 アイシャの気絶した姿を見せる鉄の処女へと投げ入れるようにして扱うザリバラの姿を見て、俺は胸騒ぎを感じた。


 気絶したアイシャは静かに消失し、巨大スクリーンには赤く『DEFEATED』の文字が浮かび上がる。敗北の瞬間、観戦用の空間が徐々に溶けていくのを感じた。この惨敗は、単なるチュートリアルとは思えない重みがある。ザリバラの圧倒的な強さ、そしてアイシャの無力さ。これが量子世界の現実なのか―――


 しかし、それ以上に気になったのは、ザリバラの言葉だった。「意思を持って戦う」――アイシャは本当に自分の意志で戦っているのか。俺はアイシャの可能性を正しい方向に導けているのだろうか。早くアイシャに会いに行かなければ。その思いと共に、新たな問いが胸の中で渦巻いていた。

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