第31話 蔓延せしもの
二十二区というのは相変わらずなんとも言い難い嫌な空気に満ちている。スターゲート家の屋敷のある一区をはじめとした普段出入りしている場所とは明らかに違う空気だ。治安が悪いからそうなっているのか、それとも別の要因があるのか――
セレンは周囲を見る。
お嬢様から言われているのは、ここで流行しているという新しい薬物についてだ。慎重に行動しろとも言われているから、下手に訊きまわるのもよくないだろう。お嬢様の命令はなによりも優先されるべきものである。その意向を無視して独断行動などあってはならぬことだ。
少し考え、端末を取り出し、二十二区で流行っているという薬物について検索をかけてみる。瞬く間に無数の結果が表示された。正直、怪しげなものが多い。あいにく、自分にはこの手ものに詳しいわけではないので、善し悪しはいまいちわからなかった。
どうするか再び考え、こういうことに詳しい相手に頼ってみることにした。頼る相手は言うまでもなくアンヘルだ。アンヘルに二十二区で流行っているという新しい薬物に関して質問を送ってきた。
すると、数秒と経たずに返信が送られてくる。アンヘルから送られてきたメッセージにはいくつかのネットワーク上のページだ。彼女がこうやって送ってきたということは、間違いなく安全と信頼が確認できているはずである。
とりあえず開いてみることにしよう。端末を操作してそれを開くと、どうやら色々な薬物の情報をまとめているものであるらしかった。もっと怪しげなものかと思ったら、意外とちゃんとしている。
薬効や構成成分などが書かれているが、薬学も化学も専門的な知識があるわけでもない。見たところで仕方ないだろう。見るべきは――
学術的なところらしかったので、いま見るべき情報はここにはなさそうであった。次のものを開いてみる。
次に開いたところは、見るからに怪しげな雰囲気のところであった。ネットワーク上で色々と怪しげな情報をまとめている人物が運営しているらしい。
そこの記事に目を通してみると、胡乱な文章でアテにならなそうな情報が並んでいるように見えた。
まとめてみると、二十二区で流行っている新型の薬物には成分的には特別なものはないらしい。単純な効果としては、既存の薬物のほうが強いらしいが、特筆すべきはそれが売られている値段だ。
同じような向精神性の薬物と比べると破格の値段であるという。いままで安価な薬物として売られていたものの半分以下で流通しているという。既存のものを組み合わせて作る合成薬物としては、成分などを考えると、それで収益を上げるところか売れば売るほど赤字になるような値段であるらしい。
商売にならないようなものをどこが売っているのかというと、ギャングなどのような組織的な犯罪集団とは違い、ネットワーク上でのやり取りで繋がり、犯罪を行う匿名流動型と呼ばれる集団によるものが関わっているのではないかと書かれていた。
この匿名流動型とやらは、暗号化のシステムなどを使って警察の捜査を逃れ、敵対するギャングなどからも逃れているという。こういった暗号化をされるとその足取りを追うのはかなり難しく、その全貌はあまりわかっていない。
都市に入り込んだ忌み者がネットワークを駆使してこういった集団を作っている可能性は大いにある。忌み者であれば、売っても収益ならない値段で薬物を売る可能性も充分にあり得るだろう。
収益にならないものを売るとなると、収益を上げること以外に別の目的があると考えられるだろう。それがなんなのかは調べてみるほかはないが。
「…………」
周囲から気配。治安の悪い場所に女一人でいれば変なのが来るというのも不思議ではないだろう。
面倒ごとに巻き込まれるのも厄介だ。周囲の存在に気づかないフリをしつつ、歩き出して――
一番近い角の近くで走り出し、そこを曲がったところで能力を使用。走り出した瞬間、近づこうとしていた何人かの暴漢たちの声が聞こえ――
数秒遅れたタイミングで角を曲がってきて、こちらの姿がまったくないことに気づき、困惑しているところに――
二人同時にまとめて背後から一撃を入れて昏倒させ、すぐさまそれに気づいた残りの一人もなにか行動を起こす前に叩き落とす。当然殺していないが、しばらくは冷たい道路を舐めたままでいてくれるだろう。
道路を伏している男たちは激しく揺さぶったりしない限り起きないはずなので、顔と身元くらいは確認をしておこう。
倒れている三人の男は見たところ自分とそれほど変わらない若者に見えた。さっと財布を抜き取って、身元の確認ができるものがあるかどうかを確かめてみたが、それらしいものはなかったので、そのまま戻しておいた。
なぜこの三人が近づいてきたのは不明であるが、現時点でこれが忌み者と関係があるかどうかは判断できない。治安の悪さを考えると、無関係である可能性も高いだろう。
どちらにせよ、自分とそれほど変わらない若者たちが一人でいる女に絡んでくるというのはロクでもない。あるかないかで言えば、ないほうがいいに決まっているが――
ロクでもない場所だからと言って、さすがにここに爆撃して焼け野原にするわけにもいかない。
能力を使用したので、解除しない限りしばらく姿は消えたままだ。念のため、先ほどぶっ倒した連中を撒くためにも、効果が切れるまでこの状態を維持したほうがいいだろう。この状態なら、ほぼ捉えられることはない。できることはできるときにやっておく。使用人の鉄則である。
この調子だと普通に足を止めているのは色々と面倒かもしれない。まあ、今日のところはそれほど深く突っ込むつもりはない。またアンヘルに調べてもらったり、手がかりを提供してもらうのもいいだろう。
それにしても、なにかありそうな気配である。本当に少し調べただけであるが、なにかあるのは間違いない。そんな気配がはっきりと感じられる。場所柄的にも、隠蔽はしやすいだろう。
とはいっても、面倒ごとに巻き込まれるのは得策ではないので、できる限り慎重にやっていくことにしよう。なにしろお嬢様の意向である。お嬢様の意向はすべてに優先されるものだ。
だが、今日のところはそろそろ戻らなければ。夕飯の準備もある。普段の仕事もちゃんとやっておけというのもお嬢様から仰せつかっていることだ。
セレンは姿を消したまま、二十二区から駆け戻っていった。
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