第29話 不穏な話を聞かされて
「どうも。突然押しかけるようなことしてしまって申し訳ありません、先輩」
そんな風にどこか重苦しい調子で謝罪とともにジャックの家に訪ねてきたのは、後輩のマービンであった。
治安の悪い二十二区という場所で育ってきて、人の悪い部分ばかり見せられてきたおかげで人嫌いとなったジャックであるが、今日突然訪ねてきた後輩だけはどうにも突っぱねる気になれず、ごくごく一般的な関係を築けていた数少ない知人と言える存在だ。
どうしてここを知ってるんだと思ったが、それをわざわざ口にするのは野暮というものだろう。マービンは自分とは違って極めて人との関係を築く上手く、治安の悪い二十二区で粗暴な人間ども相手にしてもうまいことをやっている人間でもある。ヤツの顔の広さを駆使すれば、こちらがどこに行ったか特定するのはそれほど難しくもないだろう。別段、なにかやましいことがあってここにいるわけでもない。かつての後輩に知られてくらいでは別段大きな問題にはならないだろう。
「別にいいよ。で、わざわざ俺のところを調べてきてまでやってくるってことはなんかあったのか?」
ジャックはマービンにとりあえず入れよと促した。
見たところ、マービンから忌み者の気配はなく、ヤツらに身体を奪われているわけではなさそうだ。であれば、家に上げても別段問題はあるまい。ちょうどいいことに、母も妹も外出中だ。帰ってくるまでにしばらく猶予はある。話を聞くくらいはできるだろう。
「それじゃあ、お邪魔します」
緊張した面持ちでそう言って家に上がるマービン。
なんだか妙な調子である。付き合いがあったのは中学の時の二年ほどであるが、いまのような態度を取っていることは見たことがなかった。彼はこちらが先輩であるからと言ってこういう風に必要以上にかしこまっているほうではない。もっと気安く、時には冗談を言ったりして慇懃でありながら失礼ではない絶妙な態度を取れる人間であるのだが――
マービンを居間に案内し、座れよと再び促す。こちらに促されたマービンは一瞬だけ躊躇して、自分たちがここに移り住んだときからあったソファに腰を下ろした。
「なんつーか、突然いなくなったかと思ったら、こんなところに引っ越してたんですね」
どこかそわそわした調子で居間を見回すマービン。やはり、彼らしくない。
「ま、運のいいことに成り行きでそういうことになってな」
ソラネのことは言わないほうがいいだろう。状況を考えると、どこに奴らの耳や目があるかもわからない。マービンなら、ここで何故そうなったのか濁したところで、問いただしてくることはしないだろう。そういう空気を察するのが極めてうまいからこそ、二十二区という場所で器用に立ち回れるのだ。
「で、なんの用だ? お前が俺のことをわざわざ調べてまでくるってことはなんかあったんだろ?」
「そっすね。なんつーか、先輩には言いにくいんですけど」
「気にすんな。そんなこと気にするなら家に上げたりしねーよ。必要以上の抱え込むのはよくないと思うぜ」
「先輩はオーロラは知ってますか?」
「名前くらいはな」
オーロラというのは一年くらい前から二十二区で流行り始めた新型の薬物である。既存の薬物と比べると強い効果はないものの安価なうえに依存性や副作用が弱いという特徴があり、治安が悪く貧困層の多い二十二区で急速に拡大を広げていた。
当然、自分はそのようなものを使ったことは一度もない。小学生のときに、近くに住んでいた先輩が薬物を乱用した挙句に家族を惨殺したのちに大量摂取で中毒死したのを見たことがあったせいかもしれない。
このオーロラにはもう一つ特徴があり、この薬物を売っているのは二十二区に影響力を持つ特定のギャングではないことだ。話を聞くところによると、特定の組織に属さずにネットワーク上のつながりを用いた実体のない組織が取り仕切っているという話であるが、真相は不明である。
二十二区のギャング組織は自分たちの縄張りを荒らすそいつらをなんとか潰そうとしているが、流行り始めてから一年近く経ってもネットワーク上で命令を受けただけのなにも知らない末端が捕まるばかりで、情報はほとんどつかめていないという。
「そのオーロラなんですが、なんというか先輩には言いにくいんですけど――それを売ってたヤツの一人が、先輩が通っている学校の生徒だっていう話がありまして」
「……本当か?」
「正直なところ、確証があるわけではないっす。調べてみようとしたんですが、なんかこれに突っ込むのはやばい気がして、確かめてみようとかそういう気になれなくて」
申し訳なさそうにそう返してくるマービンであるが、彼の勘は馬鹿にならないほどの精度を誇る。マービンの直感に九死に一生を得た者も少なくない。そんな彼が調べる前にやばいと直感するとなると――
「でも、どうして俺にそれを? 俺に言うより、二十二区のギャング連中に言ったほうがいいだろ。あいつらだってオーロラを売って縄張りを荒らしてるのを見つけようとしているはずだし」
「普通ならそうするの筋なんですが、それもまずいって思った理由がありまして。オーロラを売ってる連中と思われるのと、ヤタガラスの構成員が接触していたっていう話が」
ヤタガラスとは、二十二区で幅を利かせているギャングの一つだ。そこがオーロラを売ってる連中とつながりがあったと仮定すると――
ギャング連中にこの話を垂れ込むのは危険であろう。二十二区で幅を利かせているギャング勢力はお互いをにらみ合うことである種の均衡を作り出している。マービンがつかんだ話は、その偽りの均衡すらも崩しかねないものだ。
「それで、俺の知り合いの中で一番話しても大丈夫そうなのが先輩だったんですけど――すみません、こんなこと話しても迷惑っすよね。せっかくあそこから抜け出せたのに」
「いや、そんなことねえよ」
学校内に潜んでいる忌み者とオーロラを売っていたという生徒。なにかしらのつながりがあってもおかしくはない。こちらがソラネとともに都市の入り込んでいる忌み者をどうにかしようとしていることはマービンは知らないはずであるが、調べてみる価値はある。
「なんつーか先輩。少し変わりましたね。前はうっすらとこっちを拒否している感じだったんですが、そういうのがなくなったというか」
「こっちに来てから、嫌いだから嫌だからって理由で拒否していても仕方ねえってことがわかったんだ。そのせいかもしれねえな」
そういう風に思えるようになったのは、ソラネに付き合うことになったからであることは間違いなかった。
「あの先輩をそんな風にさせるなんて、よっぽどこっちってすごいんすね」
「こっちがすごいというより、特定の一人のせいだな」
あの令嬢は他人を平気で捻じ曲げるほど強烈な存在である。それが自分にとってたまたまいい方向に向かってくれたというだけの話だ。
「まあ、とにかくだ。話を聞いた限りだとかなりやばそうだし、この話に関してはこれ以上突っ込まないほうがいいだろうな」
「わかってますよ。俺だって死にたくないですし。身の程くらいはわきまえてるつもりです」
今日はお世話になりました、と言ってマービンは立ち上がる。
「話せて少し肩の荷が下りました。今日は本当にありがとうございます」
「別にいいよ。お前にだったら俺としてもある程度義理くらい立ててやるさ」
ジャックはそう言ってマービンを玄関まで送っていく。彼が一礼して扉が閉まり、少し時間が経過したところで――
「俺だけど、ちょっと気になる話を聞いたんだ」
端末を操作して、己の主人へと通話をかけたのだった。
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