第21話 羨望の代償
三途の川の岸辺は、いつも以上に重く、冷たい霧に覆われていた。少女は、今日もまた新たな魂を迎え入れるために、心を静かに整えていた。これまでにさまざまな感情に囚われた亡者たちと向き合い、彼らの魂を導いてきたが、今日の裁きはまた新たな感情に深く関わるものになると感じていた。
「今日やってくる亡者は、羨望に取り憑かれた者だ。」
脱衣婆の静かな声が響いた。羨望――それは、他者の持つものや成功を望む感情であり、時にそれが人を狂わせ、自らの本当の幸せを見失わせる。羨望はしばしば嫉妬や憎しみと共に現れ、人を内側から蝕む力を持っている。
霧の中から現れたのは、一人の若い女性だった。彼女の目は虚ろで、その顔には深い疲れが浮かんでいた。彼女の体は力なく、まるで何かに引きずられるようにこちらに歩み寄ってきた。彼女の姿からは、長い間何かを求め続け、結局その求めたものに押し潰されてしまったことが感じられた。
「彼女は、生前に他人の成功や幸せを強く羨み、その羨望が彼女自身を苦しめ続けました。そして、最後にはその重さに耐えきれず、彼女は崩れていったのです。」
脱衣婆の言葉に、少女は彼女の表情をじっと見つめた。彼女が抱える羨望の感情は、彼女の魂を深く縛り付け、今もなおその重みに囚われているようだった。
「あなたは、何をそんなに羨んでここに来たのですか?」
少女は静かに問いかけた。彼女の声は優しく、女性の心の奥に届くように響いていた。女性はしばらく何も答えず、ただ空を見上げていたが、やがてかすれた声で口を開いた。
「私は……ただ、彼女みたいになりたかった……あの人はすべてを持っていた……美しさも、愛も、成功も……私は何もかもが足りなかった……」
彼女の言葉には、深い悔しさと悲しみが込められていた。彼女は、自分と他人を比べることで、常に自分が劣っていると感じ、それが次第に彼女の心を蝕んでいったのだ。
「あなたが羨んだその人は、本当にすべてを持っていたのでしょうか?そして、その羨望はあなたに何をもたらしたのですか?」
少女の問いに、女性は苦しげに顔を歪めた。
「彼女はすべてを持っていた……私はそれが羨ましくて仕方なかった……でも、その羨望が私を壊していった……彼女の幸せばかりを見て、私は自分が何を持っているのか、何を本当に望んでいるのかが分からなくなった……」
彼女の声には、深い後悔が感じられた。彼女は他人の成功や幸せを羨むあまり、自分の人生を見失い、その結果としてすべてを失ってしまったのだ。
「羨望は、他人を羨むだけではなく、自分を傷つける感情です。その感情があなたの心を蝕み、あなたを苦しめ続けたのですね。」
少女は彼女に向かって静かに語りかけた。彼女がその羨望の感情に囚われることなく、自分自身の価値を見つけ出せるようにと、優しく言葉を紡いだ。
「私は……いつも彼女ばかりを見ていた……自分が持っているものなんて、何の意味もないと思っていた……私は、何をしても彼女には勝てないと感じていた……」
彼女の声は震えていた。彼女は常に他人との比較に囚われ、自分の人生の価値や意味を見失ってしまったことを悔やんでいたのだ。
「あなた自身が何を持っているのか、何を本当に望んでいるのかに目を向けることができれば、その羨望は消え、あなたの魂は自由になれるかもしれません。」
少女は彼女に向かって優しく微笑んだ。その微笑みには、彼女が自らの羨望を手放し、自分の人生と向き合う力を持てるようにとの祈りが込められていた。
「でも、私は……どうすればいいの?私は自分が何を望んでいるのかなんて、もう分からない……私はただ、彼女のようになりたかっただけ……」
彼女の声は弱々しく、その言葉には深い無力感が込められていた。彼女は、自分が本当に何を望んでいるのかを見失い、ただ他人の人生を追い求めることしかできなかったのだ。
「あなたが他人を羨むのではなく、自分が何を大切にしたいのかを見つけることができれば、あなたの魂は救われるでしょう。他人と自分を比べるのではなく、あなた自身の価値に目を向けることが大切です。」
少女の言葉に、彼女はしばらく考え込んだ。彼女の目には、まだ深い羨望の色が残っていたが、少女の言葉に何かを感じ取ったようだった。
「私は……自分が何を大切にしたいのか……それを見つけることができるの……?」
彼女の声には、わずかながらも希望が含まれていたが、その道の先に何が待っているのかを恐れている様子も見て取れた。
「あなたには、その選択ができます。他人の人生を羨むのではなく、あなた自身の道を見つけることができるはずです。その道には、あなた自身の価値が宿っているのです。」
少女は優しく微笑んだ。彼女が自分自身を取り戻し、羨望から解放されることで新たな道を見つけ出すことができるようにと、心から願いながら、言葉を選んだ。
しばらくの間、彼女は何も言わずに立ち尽くしていたが、やがて顔を上げた。その目には、わずかに希望の光が宿り始めていた。
「私は……その道を選びたい……もう、誰かを羨むのではなく、自分の道を見つけたい……」
彼女の言葉に、少女は微笑んだ。彼女が自らの羨望を手放し、前に進むことを決意したことに、少女は安堵した。
「よろしい。あなたが選んだその道が、あなたの魂を救うことになるでしょう。」
脱衣婆が静かに告げると、霧の中から一筋の光が差し込み、彼女の姿を包み込んだ。彼女の表情は次第に穏やかになり、羨望を手放したその顔には、ようやく安らぎが訪れた。
「ありがとう……」
彼女の最後の言葉が、少女の耳に届いた。やがて、彼女の姿は光の中に溶け込んでいった。
「今日の裁きから、何を学びましたか?」
脱衣婆が静かに問いかけた。少女はしばらく考え、静かに答えた。
「羨望は他人を羨むだけでなく、自分を傷つける感情です。自分の価値に目を向け、他人と比べることなく生きることで、魂は救われるのだと。」
脱衣婆は満足そうに頷き、次の亡者がやってくる準備を整えた。少女もまた、その言葉を胸に刻み込み、次なる裁きに向けて心を整えた。
霧が再
び立ち込め、次の魂が訪れる予感が漂ってきた。少女はその静かな風を感じながら、今日の裁きから学んだ教訓を胸に、次なる試練に備えて心を引き締めた。
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