第20話 バーバリーの姫

 一夜あけ、イルマは馬車に乗って北方に向かっていた。その唇は固く結ばれており、強い決意を感じさせる瞳が外の眺めをじっと凝視していた。銀と青柄の蝶がひらひらと周囲を舞って、イルマが腕を伸ばすと、蝶は指先に留まって羽を休めた。


 突然の魔族の襲撃を受け、ハミルトン家は大きな死者こそ出なかったものの、かなりの被害を被った。お父様と使用人達には、ヴァイの様子がおかしいと感じて、裏で動いてミエリ族を味方につけたのだが、魔族に感付かれてしまった、と説明した。お父様は身を守ってくれたミエリ族の二人に感謝していて、今後も支援を続けると約束してくれた。イルマは家のことをお父様に託して、いよいよ魔族と本格的に動き出してしまったヴァイを止めるために、アルテンブルグ王国の北方、《ラユの地》を目指している。


『……本当に行くのか? 奴らはお前を狙っているのだから、安全なところで身を潜めていたほうがいいんじゃないか?』

 沈黙を破って、珍しく優しい声色のルオンが聞いてきた。

「大丈夫。というか、わたしが狙いなんだから出ていったほうが周りは安全だわ」

 イルマはにっこりと笑って見せたが、明らかに無理をしていた。蝶姿のルオンは指先から肩に移り、様子を伺うように黙り込む。


 ヴァイはわたしを『必要』だと言った。とすれば、魔族の目的である魔王復活のために何かが必要とされているのだ。目的はイルマの〈魂〉なのだろうか? だとすれば初めからイルマを連れ去ってしまえばいいし、本人の希望を聞くような迂遠なことをするのは無駄だ。ヴァイと出会って昨晩まで、機会は山程あったはず。だから結局はっきりしない。思考は堂々巡りだ。


「わたしはヴァイが何をしたいか分からないけど、友か恋かは置いといて、もう大事な人には代わりないから。間違いを犯そうとしてるなら、止めなきゃ」

『……魔王封印の期限である二〇歳までは、まだ数ヶ月ある。しかし奴らが封印そのものを解いてしまうなら、ほとんど失敗と言えるだろうな』

「その時は、やっぱりわたしを殺す?」

『……』

 冗談半分で聞いてみると、ルオンは考え込むようにして口を閉ざしてしまった。イルマは小さく笑いを零す。この神様は、態度こそ横柄だが実はすごく優しいのだ。命令に従わなければ殺す、って自分で言ったくせに、絆されてしまっている。

『死んだら、どうするんだ』

「うーん。何もできなくて、ごめんねって思うかな」

 ルオンに訊かれて、イルマは悲しげに微笑んだ。


「お嬢様、バーバリー邸に到着いたしました」

 御者から言われて、イルマは窓を覗きこむ。ハミルトン邸に負けずとも劣らぬ豪邸が、正面に聳え立っていた。





 馬車から降りて来ると、ハミルトン領とは違う寒冷な空気が肌を刺す。思わず震えると、御者が用意していてくれたらしい毛皮の外套を掛けてくれた。バーバリー領はアルテンブルグ王国の最北端にある《ラユの地》に最も近い。西方のアレクス領の北側は厳しい山脈に阻まれているので、事実上ラユの地へ唯一入ることができる領地だ。


「イ・ル・マ・さあぁ〜〜ん‼‼」

 そこへ、甲高い叫び声とともにバタバタと走ってくる女性がいた。普段はその押しの強さにたじろいでしまうが、今のイルマにとっては泣き出したいくらい嬉しい存在だった。


「ティエラ!」

 イルマは腕を広げて待ち構え、駆け込んでくるティエラの身体を受け止めた。互いに精一杯抱きしめて、再会の喜びを噛み締める。


「お手紙見ましたわ、イルマさん! 何てこと……」

「ティエラ、そうなの。本当、突然ごめんなさい」

「全然構いませんわ。そんなことより、貴方のことですわ! 殿下も……」

 上目遣いでこちらを見上げるティエラの瞳は潤んでおり、心から心配してくれているのが分かった。イルマは嬉しさと、拠り所を見つけた気の緩みで涙が溢れ、止まらなくなってしまった。寒空の下、ティエラは何も言わずイルマを抱き締めたまま、背や髪を撫でて宥め続けてくれた。


 ティエラはイルマの様子が落ち着くのを見計らって、邸宅内へと連れて行く。バーバリー家の当主である父君に挨拶をしたあと、客室へと案内された。


「イルマさんは、紅茶はお好きかしら? バーバリー領内ではジャムと一緒に召し上がるのが一般的ですのよ」

 ティエラは完璧な所作で紅茶を入れると、少し茶目っ気のある笑顔を浮かべて、多めのジャムの乗ったティーセットをイルマの前に置いた。イチゴのジャムがてらてらと光って忘れていた食欲を呼び起こす。イルマはお言葉に甘えて、さっそくジャムを頬張ってから紅茶を口にする。


「! すごく甘いけど、優しい味ね」

「そうでしょう、そうでしょう? たくさん召し上がってくださいな」

 ティエラは蝶々さんもどうぞ、と言ってルオンの前にジャムを小盛りにした皿を置いた。ルオンは恐る恐る飛んでいくと、ジャムに触覚を伸ばす。一瞬ビクリ、とした後は、口をピクピクと動かし続けている。イルマ達は今しばらくの時間だけ、身の回りに起きている危機を忘れ、和やかに話をした。


「……ありがとう、ティエラ。凄く落ち着いたわ。その、やっぱり色々あって混乱してて……」

 イルマが気恥ずかしそうに言うと、ティエラは薄く微笑んでから黙って首を横に振った。気にしないで、という意味なのだろう。

「それで、相談をするにあたって、ティエラに紹介したい人達がいるんだけど……入れて良い?」

「構いませんけれど……その方々は、どこに?」

「ここだよ、お嬢さん」

 ティエラの問いかけに応じるように、飄々とした男の声が聞こえた。ゲストルーム内の家具や調度品の影から、褐色肌の男が二人現れる。一人は細身、一人は巨人。


「まあ! 気付きませんでしたわ」

「だと思うよ、オレ達には影に潜む魔術があってね。しかし、落ち着いた御仁だな」

 レンカは驚いたように両腕を広げて見せる。突然現れた男達を見ても、ティエラの態度は落ち着き払っており肝が座っていた。年齢はイルマより七つ上らしいが、彼女は彼女なりに修羅場を乗り越えて来たのかもしれない、とイルマは思った。


「オレはミエリ族のレンカ。そっちは弟のクレー、デカいけど大人しいヤツだから安心して」

「わたくしはティエラ・バーバリーと申します。ご紹介、感謝いたしますわ」

 ティエラは身分的には相当隔たりがあるはずのレンカの手を自ら握りにいき、握手を交わした。そのままの足でクレーの下へも向かってがっちりと握手する。これにはレンカも目を丸くしたが、照れたように笑うとありがとう、と呟いた。


「やっぱり、イルマ嬢のご友人なだけあるね」

 レンカがそう言ってウインクすると、イルマは当然、というように胸を張った。

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