番外編「大人の階段昇るかもしれない、今日はまだ大晦日さ」その③


「では朝日くん。次はあなたが私に現代文を教えてくれる番だわ」

「ああ、そうだったな。どの問題が分からないんだ?」

「ここの、『傍線部について、登場人物の心情として最も近いものを次の選択肢から答えよ』という問題なのだけれど」

「傍線部っていうのは、夏の日差しの下で、主人公の幼馴染が水を飲んだ後に唇を舐めるシーンだな。その後に喉が渇いていたって台詞があるから、ここは選択肢③の『喉が潤って心地よいと感じている』が一番近いんじゃないか?」

「なるほど、そう考えるのね。私はてっきり――」

「てっきり?」

「異性の前で唇を舐める女なんていやらしいわ、誘ってんじゃないの、と……」

「あのー、雪月さん? どこでそんな知識を?」

「パパの部屋にあった雑誌にはそう書いてあったわ」


 拝啓、雪月のお父さん。自分の娘に偏った知識を与えないでください。それから、エロ関係のものはきちんとバレない場所に隠しておいてください。現役思春期男子より。敬具


「そういう情報はとりあえず忘れよう、雪月。これは現代文の課題なんだから。おっさんが読むようなエロ雑誌じゃないんだから」

「分かったわ。とにかく、③が答えというわけね。ええと、それでは次の問題ね。『主人公の職業は何か。5文字以内で答えよ。』」

「簡単だよ。冒頭で主人公が自分のプロフィールを語る台詞があっただろ? その中に――」


 僕は小説文の冒頭を見た。


 予想通り、答えはそこにあった。


 主人公の職業は―――風俗研究家。


 問題文から顔を上げると、雪月は赤くなった頬に両手を当てて、信じられないというような表情を浮かべていた。


「い、いやらしい職業だわ」

「多分勘違いしてるぞ、それ」


 そこへ、金糸雀が割り込んできた。


「一体何を盛り上がってるんですか? ……なんだ、小説の問題ですか。そんなに盛り上がるような話でも―――って何なんですか風俗研究家って!? こんな人が高校生の問題に出てきちゃっていいんですか!? うわー、性の乱れもついにここまで来たかって感じですね」

「あのね二人とも、風俗っていうのはある特定の民族や社会における習慣や文化のことを指す言葉なんだよ。必ずしもアダルトなお店のことを意味するわけじゃないからね。勘違いしないでね」

「……わ、分かってるわよそんなこと。別に勘違いなんてしてないわ」


 雪月が怒ったように顔を背ける。


 さっき、いやらしい職業だわとか言ってたくせに……。


「さすがお姉ちゃん、ちゃんと分かってたんですね! 私、風俗ってエロいお店の方だと思ってました」


 雪月を尊敬のまなざしで見上げる金糸雀。


 この脳みそピンク色姉妹に代わって、僕が風俗研究家の皆様に謝罪しておこう。


 本当に申し訳ありません。どうか訴えないでください。


 僕が心の中で土下座していると、おもむろに金糸雀がメニュー表を眺め始めた。


「……どうしたんだ金糸雀」

「いえ、15時も過ぎちゃったんでそろそろティータイムをと」

「お前は英国貴族か……」

「あ、ウチの家系をさかのぼるとマジでそうらしいですよ」

「ええ……!?」


 反応に困りつつスマホで時刻を確認すると、確かにもう15時を過ぎていた。


 昼前からこうして三人で課題に取り掛かっているのだから、既に数時間が経過していることになる。


「少し休憩にしましょう、朝日くん」


 いつものクールな表情に戻った雪月が、現代文の問題集を閉じながら言った。


「ああ、そうだな」


 僕も手元に散乱していた課題の山を片付けて、グラスのウーロン茶を飲んだ。


 まだ少し冷えていて、乾いていた喉にはちょうど良かった。





 で。


 今年も残すところあと何日ですね、なんて会話を繰り返すこと数回。


 いよいよ、今年も残すところあと二時間弱――すなわち、大晦日の夜になってしまった。


 薄い雲に覆われた空の下、僕は雪月が住むマンションの入り口前に突っ立っていた。


 ほとんど日は沈んでしまっていて、辺りはずいぶん暗くなっている。


 ここ数日は気温の低い日が続いていたが、今日は一段と冷え込んでいる。


 寒さを紛らわせるためにマフラーへ顔をうずめたとき、エントランスの自動ドアが開いて、明るいベージュ色のコートを着た銀髪の少女が現れた。


「お待たせしたわね、朝日くん」


 雪月だ。


 ショートブーツをぱたぱたと鳴らしながらこちらへ歩いてくる。


 ファッション雑誌からそのまま出てきたような容姿に一瞬だけ目を奪われながらも、僕は違和感を覚えた。


「……あれ、金糸雀は?」

「それが、今朝から少し体調を崩してしまったのよ。あの子も今日のことを楽しみにはしていたみたいなのだけれど、反対にそれが仇となったようだわ」

「どういうことだ?」

「大晦日のお出かけを楽しみにしすぎて、数日眠れなかったそうなの。それに加えてこの寒さでしょう? 体調を崩すのも無理ないわ」

「そうだったのか……」


 金糸雀お前、遠足前の小学生かよ……。


 ちょうどその時スマホの通知が来て、金糸雀からのメッセージが画面に表示された。


『500731』


 いやポケベル語じゃわからねえよ!


 多分、『ごめんなさい』とか言ってるんだろうけど!


 心の中でツッコミを入れた僕の気持ちが伝わったのか、続けて次のメッセージが送られてきた。


『風邪引いちゃいました。お姉ちゃんと二人で楽しんできてください』


 了解。お大事にな、と返すと、即座に返信が来た。


『私からのクリスマスプレゼントはちゃんと持ってきましたか? くれぐれもセーフティで頼みますよ!』


 金糸雀からのプレゼント。


 0.02ミリのゴム製品。


「……………」


 僕がスマホを握りしめたまま固まっていると、上着の袖を引っ張られた。


「どうしたの朝日くん、アダルトサイトからの架空請求でも届いたのかしら?」

「安心してくれ。情報リテラシーの高さには定評のある僕だからね。そんな詐欺には引っかからないさ」

「あら、そう。良かったわ。パパはよく慌てて振り込みに行っていたから……」


 ほっと胸を撫でおろす雪月。


 僕はスマホを上着のポケットにしまい込んだ。


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