ふたつめ

4. 後宮に入れる

が、消失した――」


 静謐な内廷の一室で、氷のように冷たい声がターコイズブルーの装飾床に沈む。

 第一王子、ハールーンだった。並びに、他三人の王子たちも玉座の間に居並ぶ。

 第二王子・ジゥデル、第三王子・シンドバッド、第四王子・カスィーム。

 あとは大宰相一人にハールーンの太刀持ちの小姓、と最低限まで人払いされていた。帝国の慣例に倣い、齢十の成人を迎えては各々地方を治めていた王子たちにとって、久々の再会――だが、今はかつてない緊張を孕んでいた。


 銀砂国ギムシュ・クムでは、王位継承の儀として先ず印章指輪が引き継がれる。

 ただしそれは、“鍵”でしかない。王墓に入り、王家の秘宝を手にして初めて王と成る。その仔細は原則父子の口伝であり、秘匿されている。しかし直系王族と一部の要人には公然として次のことが知られていた。


 王墓は迷宮となっており、秘宝とは魔法のランプで、王は魔人を仕えさせその力をもってあらゆる国難を退けまた国を繁栄させてきた。――建国以来、この儀、、、が途絶えたことは一度もない。


 この王位継承は第一王子に絶対の権利があった。余分の争いを封じるため、第二王子以下の生殺与奪の権を委ねられているほどである。

 つまり。

 指輪の紛失は真っ先に第二王子以下が疑われ、それだけで死刑に処される事態であった。

 

 ハールーンが剣を抜いた。コツリ、コツリ、と整列する弟王子たちに近づく。

 第二王子ジゥデルの前でぴたりと止まり、スッと、喉元に剣先が充てられた。


「否」


 ジゥデルは答えた。

「否」

「否」

 続いて第三、第四王子たちも繰り返し同じ応えをした。


「――仕方あるまい」


 ハールーンはシャンと剣を収めた。


「全員に死を。指輪が見つかるまで、私が代王を務め――」


 “冷酷王”の後継として果断が下されようというときであった。

 

「その必要はないぜ!」


 大窓から、ひゅうんと絨毯が飛びこんだ。着地して、そこに立ったのは一人の男と小柄な娘だった。


「アルマラル!」


 驚き声をあげたのは、ハールーンだ。代々王に仕えるため面識はあったのだろう、その姿を認めて呼びかける。


「よぉハールーン。俺の主は、お前じゃなかったようだな」

「何を言っている――どういうことだ、お前がここに、いるなんて」

 魔人は娘の手を掲げ、その小指に嵌まる緋色を目にすると全員が息を呑んだ。


「“王の誓い”の指輪……」


「――私が」赤髪の小娘が口を開いた。


「シアラン・スルターンである。王子たちよ、跪け!」


 ククッと魔人は喉で笑う。

「我が王が仰せだ。頭が高ぇ」

 手のひらを下にすると、見えない手に頭を押されたように皆一様に膝をつく。


「そんな、莫迦ばかな……」くっとハールーンが眼光鋭く睨み上げる。

「おい、あの娘は――どうなってんだ……?」

 シンドバッドとカスィームが目配せし互いを探るが困惑を極めるのみである。


「“王”よ、発言をお許しいただきたい」


 混乱以上に進まない只中、第二王子、ジゥデルが抑揚のない声で口火を切る。

 やや癖のある黒髪が首後ろを這い、瞳は獣のような琥珀色、兄と対比し“黒獅子”と呼ばれ、刃物のように鋭い印象を抱かせる男だった。

 向けられたのは少女だった。ハールーンが裏切りを受けたかのように目を眇める。

 シアランは勿体つけて頷いた。 


「我ら王子は先刻兄王より死の勅命を受けた。新王はこれを引き継ぐか」

「えっ 死……⁉︎」

「叛逆を防ぐための、兄弟殺しだ。ぶっちゃけお前もこのままだと先ず暗殺コースだ。殺しとくのはありだな」

「え、え――……殺されるのはいやだ、けど」


 揃いも揃ってこの世の美形の粋を集めたような男達が、目の前で燦然と光を放つようである。例えるなら雨を呼ぶ笏丈、幻獣の毛皮、尽きることのない水差し、斬れぬもののない剣――二つとない帝国の至宝は順列をつけるべくない。

「ふぅ、む。じゃあいい考えがある」ゴニョゴニョ、と魔人は耳打ちする。

「むべなり」シアランは神妙に頷いた。


「王子たちは、我がこととする」


「はーーーーっ⁉︎」王子達の絶叫が揃った。

「アルマラル、この道化者……! いい加減にしろ。茶番は終いだ!」

「はーん、これは可笑しい。お前の親父もそのまた親父も、みーんな、世界中から美女を集めて後宮に入れた。王は幾人もの愛妾をもち、子を成した。全ては崇高なる直系王家の血筋を守るため――なんら目的は変わらないだろう? お前たちも、使命に従うべきだよなぁ?」

「くっ……殺せ」

「甘いなぁ! 王の所有物は死を選べたか?」

「あの、ちょっと、アルマラル? 特に悪役路線でいきたい訳じゃないので……」

「わかってるよ、クズ路線だろ。自然体で大丈夫だ、自分を信じろ」

 シアランは眉間に皺を寄せた。「かくなる上は……」

「アル・マ・ラル、ねぇアルマラル、王子達に私を溺愛させて!」

「中々!」パチンと魔人は指を打つ。

「お、おい止めろ、正気か――」


「みんな私を、好きになれーーーっ」


「うわああああぁ!」 

 もくもくもくと薄桃色の煙が王子達を取り囲み、燻す。

 煙は晴れ、しかしけほけほと咽せる以外に変わった様子はない。

「愛されると分かるのかな……?」シアランは固唾を飲んで見守った。


「何を考えているんだ! “王の願い”は私欲に使うものじゃない!」


 変わらず眼光鋭く、ハールーンは睨め付ける。

「あれってツンデレですか……⁉︎」

 シアランが期待の眼差しで問うと、魔人はン”ンっと咳払いをした。

「あのな、シアラン……実は人心操作系は複雑微妙でな、お前が到達しうる範囲での魅惑はかけた」

「え……」シアランは絶句する。「ゼロはかけてもゼロってこと……⁉︎」

「安心しろ、あまりにゼロならクーリングオフするから、な?」


 今度は“黒獅子”ジゥデルがかつかつと迫り、シアランはさっと魔人の影に隠れる。しかし彼は傍に寄ると跪き、子猫を誘い出すがごとくまこと甘美な声で奏上した。


「髪は紅き太陽、瞳は碧き泉、まこと美しき我が君よ、どうか私をあなたの後宮に迎え、その目に触れる機会をお与えください――立場など忘れてしまった、一人の男として」


「は、あああ」

(あまりに美形……!)でシアランは膝から崩れ、魔人の裾にすがった。


「お、俺は……!」

 ずい、と居てもたってもいられないという火急さで、カスィームがまたその傍に膝をつき見つめた。

「初めて会った時から、可愛いと思っていた……が、明日の命も分からない軍人で、しかし傍にいられるなら――」と顔を赤くしながら口ごもる。「俺の剣は君のためにありたい」


「あ〜、今かよ」

 シンドバットはぐしゃぐしゃと頭を掻き、しかし同様にしゃがんで目線を合わせた。

「シアラン、また会いたいと言ったのを、覚えているか? 普段は名乗らないはずだが、今分かった。ずっと名前を知りたかったから、こんな形だが会えて嬉しい。もっとお前のことを知りたい」


「あ、あ……」シアランは立ち上がった。

「やった―――‼︎」

 バンザイをして、魔人とハイタッチする。

「よっしゃーー‼︎ いい仕事したぜ!」

 


 〜・〜・〜☽〜



 砂は星影で白銀に燦めき、地平線には藍色の帷が降りる。弦楽器ウードの音は軽やかでいて情緖深く、キャラバンの隊列のように途絶えることない。 

 ハハハ、フフフと後宮の一室、贅をつくした帝王の間で酒宴が催されていた。

 

 一晩前は鼠と寝床を共にした小娘が、帝国の至宝たる三王子を侍らせ、白銀の獅子に背をもたれている。

「ん……、代々王に仕える使い魔、でアル・マ・ラルとも長い仲なんだって。名前はハク、ハクシャマル」

 すっかり慣れて、シアランはその顎を撫で、獅子はゴロゴロと猫のように喉を鳴らす。

 銀の杯に葡萄の蒸留酒が注がれると、もう飲み飽きたとでもいうようにくるくると杯を回して渦立つのを眺める。頬はほんわりと薄紅に染まり、夢見心地に緩んでいた。 

 

「ふふ、ふ……」


「俺は色に浮かれた王達をそれなりに見てきたが、いまだによく分からん。鳥籠に餌をやるような、こんな出来合いの溺愛で満足なのか?」

「まあ、ね〜。真実の愛とか悲恋で、すり減りたくないの。ダイヤモンドのお返しに琥珀糖で、惑わせども惑わず、ただただ優越的に愛を搾取したい」

「さすが我が王、経過なにそれ怠惰だぜ〜 ここ千年、王は俺〈欲〉を制しようとするばかりでつまらなかったが、お前は俺を愉しませてくれそうだ」


「あはは、あはは! 私は!一切の努力をせず!溺愛されたい!」


「よっ、“怠惰王”〜」


 夜はただ更けていく。


 

 〜・ـف・〜・〜



「くそ、クズっぽいのに目が離せない……これが魔人の力なのか」

 シンドバッドが頭を抱え

「笑ってくれるならそれでいい……帝国は間違いなく衰退する」

 カスィームは眉間に皺を寄せ

「守りたい、あの寝顔……まるで害する気が起きない。やられたな」

 ジゥデルは腕を組む。


 三王子は揃ってはぁと深いため息をつく。後宮で二番の格式を持ち帝王の間ともほど近い、元は母后の間である。


「ジゥデル、お前もなのか。兄貴のことだからなにか策があるのかとも思ったが」

「その筈ではあった。実際、死刑は免れたし後宮内の方が暗殺もしやすい」

「無理だったな。あの魔人がどこまで干渉するかはともかく、〈王の白獅子〉はどんな手練れの暗殺者アサシンも噛みちぎる。歴代一の臆病王ですら見張りを置かなかったと云われるほどだ」

「それにしても、ハールーンの兄上は男色の気でもあるのか? あの可愛さに抗えるものか」

「兄上は帝国の獅子、銀砂をあまねく照らす月。器が違うのだ」

「どうだかな……月は太陽の威を借るまやかしの光、欠けゆくのも抗えまい」

「ジゥデル、尻尾を出したか? 玉座を狙うには遅かったようだが」


 茶化すシンドバッド、咎めるカスィームにジゥデルはふんと鼻を鳴らした。


「愚弟を持つと気が楽だ。分かっていないな……あの娘を籠絡した者が、事実上のシャーだ。アルマラルは道化だが道理は知る。学も身寄りもない女を立てるのは無謀に見えて、増長した後宮権力を一掃し無血で王位を簒奪する契機だ。あいつの言うとおり、王子俺たちを抱き込めば〈直系〉存続にも問題ない――これは曲がりなりにも“国”に仕える、あいつからのゲームだろうよ」


「いや……そうか? 普通にラブコメしないか?(シ)」

「正義とは何か……。ちょっと国を傾けてもあの子を幸せにしたい気持ちになった(カ)」

「溺愛するさ……何も考えられなくなるくらい、たっぷりな(ジ)」

 ジゥデルは微かに笑み、シンドバッドとカスィームは顔を見合わせる。


「文句があるなら、分かるだろう? 盤に上がれ、王を穫れ。駒は手にしてから好きにすればいい。――“魔法”が解けるまで、な」


 砂漠に高笑いが響く。ふかふかのベッドでえへへえへへと鼻ちょうちんを膨らます、怠惰な娘の運命やいかに――






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