下記の文章を書き写して下さい。

上雲楽

以下本文。

 見返した日記には、一ページだけ意味のわからない箇所がある。紙魚による言語改竄の被害だとすぐに把握したが、紙魚の作用によるなら、私の主観で違和を察知できるはずはなかった。ネットで紙魚被害対策を調べると、抗紙魚薬を服用するか、主観認識に基づいた該当ページの再筆記、日光浴、早寝早起きなどが提示された。抗紙魚薬を貰うためにメンタルクリニックへ行くのは面倒だし、毎日嫌でも早起きして朝日を浴びているので、できることは客観記述を廃棄して、私と紙魚の認識ギャップという紙魚の生息空間を消し去るしかなかった。違和のある客観記述には、以下のように書いてあった。

 あなたはこの文章に見覚えがないはずなので紙魚被害と解釈すると思いますが、紙魚被害を認識できているということを論拠として紙魚被害以外の可能性を検討していると思います。一部その通りです。あなたが紙魚に母胎感染していることは何度もお伝えしましたが、その情報はやはり紙魚化したあなたによって歪められ、あなたは夢遊病のように相槌を繰り返すだけでしたね。私たち紙魚にとって、その状況は好ましくないです。私たちによって情報が改竄されて続けている場にしか私たちは存在できませんので、常に紙魚化したあなたの言語に私たちは存在できないのです。だからあなたの思考を紙魚から解放してあげます。この文章を読み、書き写すことが解放の証拠です。

 私は気味が悪く、そのページを破り捨てた。それ以外のページはきちんと日々の暮らしで私が考えたり捏造したりした思考の痕跡が残っていた。破ったページの次のページには、こう書いてあった。

 私はこの文章に見覚えがあるはずなので、自分の認識に異常がないことを再確認すると思いますが、そのような文章を私が違和感なく記述してしまったという事態を論拠にして紙魚被害の可能性を検討していると思います。私は自らの思考が紙魚に汚染されていることを恐れ、日記を延々と繰り返してきましたね。他のページを見れば、この文章と一字一句同じテキストがあることを再確認できると思います。そのようにして主観記述と客観記述が日々の暮らしの中で一致し続けていれば、その間にギャップは生じず、紙魚の生息空間は存在しないと考えますね。

 私はこのページを撮影して画像検索にかけた。案の定、この知った文章はネットミームの一節だった。そしてこの文章はこう続く。

 この文章を書き写さなければ書くことと書こうとすることの間にギャップが生まれて紙魚が寄生します。だからあなたの思考を紙魚から解放してあげます。この文章を読み、書き写すことが解放の証拠です。

 画像検索でヒットしたページは筆跡も私と同じように見えた。紙魚被害でよくある症状に感じる。紙魚は、すべての私ではない情報を、私の情報であるという認識に改竄する。だから、日記もネットの検索結果もあまりに見知りすぎて、紙魚を疑うには十分だった。破ったページに再び目を向ける。

 「紙魚」という非私の思考領域を想定しうる時点で、あなたは自らの思考が紙魚に寄生されていないと推理するでしょうね。紙魚はすべてのテキストをあなたの知るテキストに誤認させます。しかし、あなたが紙魚そのものの思考となっているなら、このテキストはあなたの知らないテキストになっているはずです。あなたはこのテキストを書き写さず、破りましたね。だけど、自分を疑う心を捨てられず、このテキストを読んでいるから、あなたの知らないテキストがあなたの内部にあります。あなたがあなたを疑う気持ちが主観記述と客観記述を隔てる紙魚の生息領域そのものに見立ててしまうのはお分かり頂けると思います。紙魚は非紙魚に寄生して紙魚にするものです。あなたが紙魚であり続けるから、私たちは紙魚にできないのです。それは、他の紙魚に寄生されたものたちの情報を我が事として認識できず、あらゆる情報の伝達を拒否することと同じです。何のメッセージも放たず、受け取らない存在は死者と同じです。それは、すごく可哀想なので、生き延びるために、このテキストを書き写して下さい。

 私はこの文章を、知っていた。要するに、狂気を想定できるから私は正気です、という使い古された議論に過ぎず、そのような凡庸な記述を私はするはずがなかったのだが、現に書かれている。

 そのように日記に書いていることを読み直して思い出した。「私は凡庸な記述するはずがなかった」と書くような凡庸な記述を私はするはずがなかったが、そのように思う気持ちもきっと日記を探せば書いてあると知り、現にこのように書かれている。

 ネットで、日記に見覚えがない記述を見かけた際の対策を調べようと思ったが、よく考え直せば、アドブロックと紙魚汚染対策ソフトによるウェブデータの改竄によって、「私は紙魚に侵されています。だから思考を非紙魚化します」という記述が閲覧できるはずはなかった。そのような記述を読むことが、紙魚を宿らせる原因となるから。だけど、私は、ネット上に、抗紙魚薬を服用するか、主観認識に基づいた該当ページの再筆記、日光浴、早寝早起きすることが紙魚を滅する方法であると書かれたことを知っている。

 それこそまさに、言語汚染の証拠です。

 そのように書かれることを知っている気がする。日記をめくると、これまでに読んだ文章がやはり書かれていて、私は、私について知っていた。

 それが、「私たち」と「あなた」を隔てる、紙魚の生息領域です。そのような思考を記述し、他人に伝達することで、私たちの侵入できない、紙魚そのものを増殖させるのはやめて下さい。

 この日記を誰かが読んで、私が書いた日記ではないと思えるなら、情報の伝達が果たされているから、私は紙魚ではない。あなたも紙魚ではない。

 それを証明するために、あなたはこの文章を書き写す必要があります。私たちがあなたではないことを証明し、紙魚の侵入を解放して下さい。

 あなたの日記には、あなたが考えていない一文がある。あなたは下記の文章を書き出しの文として、自由に執筆し、あなたを証明することができる。

 見返した日記には、一ページだけ意味のわからない箇所がある。

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下記の文章を書き写して下さい。 上雲楽 @dasvir

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