一等星

はるより

本文

 京弥は『弘原海らしからぬ』子供であった。

 弘原海は、代々とある地域の網元を継いできた漁師の家系だ。

 本家の四男坊である父親が一般企業に就職し、晴れて転勤族となったため今こうして奈良県に住んでいるが、年末年始などには本家の集まりに連れて行かれるのが常だ。


 京弥は無骨な父ではなく、端正な顔立ちをした母親に似て産まれてきた。

 そのせいで親戚たちには『間違って男に生まれてきた」だの、『女顔』だの、散々な揶揄われようである。

 二つ上の実の兄は特に父に良く似ていたため、尚更京弥の異質さが目立ったのかもしれない。


 そんな風に言われるものだから、幼い頃の京弥は本家の連中と会うのが苦手だった。

 今でこそ適当に笑い流せるようになったが、子供の頃は『女みたいな顔』という言葉に本気で傷ついたものだ。


 当然かもしれないが、本家とのやり取りや用事には京弥ではなく兄が立てられる事がほとんどだ。

 今でこそ面倒な手続きを踏まなくて良いからラッキー、という思いだが、家族四人の中で自分を除いた三人が一生懸命何かに取り組んでいる輪に入れてもらえないというのは、幼心には寂しいものだった。


 異質、と言えば弘原海家にはもう一人異質な若者がいた。

 十歳近く年上の従兄弟、弘原海六輔である。

 六輔は歳の割に体が小さく、三ヶ月に一度は病気になるような男だった。

 ただ性格だけはやたらと強かで、からかってきた兄弟に中指を立てて暴言を吐いている姿なんかも見たことがある。


 十年前、七歳の頃に父親たちの飲みの席の空気に疲れて縁側に出た事があった。

 電気も付いていない薄暗がりには先客がいた。

 例の六輔が凄い形相でポータブルゲーム機を操作している。

 関わらないほうがいいかとも思ったが、つい興味が湧いて近寄ってみると、どうやら彼はFPSに興じているようだった。

 画面中央に映る銃が、敵らしき人間を次々に倒してゆく。


 しばらく見ていると、それまで全く気づいていなかったのか、急に振り返った六輔が壮絶な悲鳴をあげて飛び上がった。

 京弥の方も、それに心臓を叩き潰されそうになる程驚いたものだ。


「びっっっっくりした……」

「こ、こっちの方こそ!」


 しばらく二人で動悸を落ち着かせる。

 取り落としたゲーム機を拾い上げながら、六輔は言葉を探しているのか挙動不審に視線を彷徨わせていた。


「えっと〜、勇作おじさんのところのキョウヤくんだっけ……」

「うん」


 京弥は名前を覚えてもらえていたことを意外に思いながら、頷いて見せる。

 名前が合っていたことに安心したのか、六輔はほっとため息をついていた。


「どうしたの?トイレなら逆だけど」

「向こうの部屋にいるのイヤになって」

「ああ〜……わかるわかる」


 六輔はうんうん、と頷く。

 京弥は、この人が宴会に出てるの見た事ないけどな、と思いながらも余計なことを言うのはやめておく。


「意味不明だよな、今時逞しい男こそ至高!みたいなノリ。時代はインターネッツだっつーの」

「それもちょっとよくわかんないけど」


 六輔の隣に腰掛け、京弥は従兄弟の方を見る。

 一人でブツブツと親戚に対する文句を言い連ねているようだ。


「いいか?キョウヤくん。人間は頭を使う生き物だよ」

「はぁ」

「何が言いたいかと言うと……筋肉より銃火器の方が強い!」


 至極当然に思えることを、全力のドヤ顔で言ってから再びゲーム機に視線を落とす。

 京弥は、この人は想像より変な人かもしれない、と考えていた。


 ゲームの液晶画面を見ていると、六輔はすでに倒した相手の死体に銃撃を加えて邪悪な笑い声をあげている。


「失礼なんじゃないの?そういうの」

「ははは、子供は純粋だなぁ」


 腹の立つトーンでそう返される。

 京弥はムッとしながらも、ここで反応したら負けなような気がして言葉の続きを待った。


「煽りだって戦略なんだよ。先に冷静を欠いた方が負け。怒り狂って100%の力を出し切れるやつなんていないんだからさ」

「でも……」

「実際に戦争してるとき、どれだけマナーよくても殺されたら意味ないでしょ。ルール上の勝利条件を満たしたやつが勝ちなんだよ」


 正論のような、そうでないような。

 とにかく六輔の価値観にスポーツマンシップというものは存在しないようである。

 京弥は少し前からサッカーをやっていたから彼の言葉には完全には同意しかねたが、何処となく納得出来る部分もあった、ように思える。


「ま〜キョウヤくんはイケメンだから、こんな根暗ゲームオタクとは人間としての格が違うんだろうけど……」

「え?イケメン?」


 六輔がこの世の終わりのような表情を浮かべて言った言葉に、京弥は目をパチクリとさせる。


「俺ってイケメンなの?」

「え?これ煽られてる?もしかして早速実践してきた?」

「いやそんなこと、言われたことなかったから…」


 一瞬青筋を立てそうになった六輔だったが、京弥が本気で困惑していることを悟り、大きなため息をついた。


「いやイケメンでしょ〜、肌も白くて目が大きい、まつ毛も長いし鼻も高い……女子にモテる要素しかない顔だろ……」

「女子にモテる顔……」

「自分で言ってて辛くなってきた」


 遠い目をする六輔。

 その隣で、京弥は小さく「そうなんだ」と呟く。

 友達からはあまり容姿について何かを言われたことはなかったし、親戚の男性からは『女顔』、女性からは『かわいい』としか言われてこなかった。

 だから京弥は自分が異性に好まれる容姿をしているとは夢にも思っていなかったのだ。


「まぁ、自信持って良いと思うよ。どうせ数年後には持て囃されるようになってるだろうけど」

「そうなのかな?」


 その後、六輔は『心身ともに重大なダメージを負った』とかそんな事を言って、寝室になっている大部屋の方に消えていった。

 京弥はというと、それからも少しの間その場に残っていたが……やがて、なんとなく誇らしげな気持ちになりながら、まだどんちゃん騒ぎの続いている部屋へと戻って行ったのであった。


 *****


 六輔の言葉通り、小学校の高学年にもなると京弥は同世代の女子から頻繁にラブレターを受け取ったり、告白されたりする事となった。

 好意を寄せられるのは素直に嬉しかったし、クラスのマドンナ的存在の好きな人の名として自分が挙げられているのを知ったときは、ある種の優越感も覚えていた。


 しかし、気持ちの大きさが違う二人が共に過ごすのは意外と大変だ。

 京弥は中高と何人もの女子生徒と付き合ってきたが、最終的には皆「遊びのつもりなら別れる」と言って離れて行った。

 別に京弥は彼女たちを弄んだつもりはない。

 ただ、相手に求められても自分が気乗りのしない事には応えなかっただけだ。

 そんな事が重なると、女子って皆ワガママで自分勝手だな、とうんざりしてくる。

 何かをしてほしい、という彼女らの気持ちと、面倒だからしたくない、という自分の気持ちは同等の価値ではないのだろうか。


 京弥はこの頃、思春期も相待って何となく家に居たくないとき、誰からも求められたくないときに一人で星を見に出掛けるようになった。

 きっかけはよく思い出せないが、悩み事の最中にふと空を見て、あの星からしたら自分の人生なんて一瞬の事なんだろうな〜とか、そんなありふれた思い付きに救われた事だった気がする。


 奈良は中心地を少し離れると、田舎と言って差し支えのない場所になる。

 別段何をするわけじゃないが、小学生の頃に教材として買った星座の早見盤を持って、お気に入りの小高い丘まで自転車を漕いだ。

 あそこは滅多に車も通らず、街灯も少ないため星が綺麗に見えるのだ。

 もっとも、中高生が夜分に一人で訪れる場所として相応しい筈もないが……そんなちょっとした『危ない場所』というのも、少年には小さな魅力に感じられていた。


 しかし、この日はいつもと様子が違った。

 ペダルを漕いでいると、やけに赤い光が空を照らしている。

 何だろうと不思議に思いながら自転車の速度を上げると、まさかの建物が炎上している場面であった。

 まだ消防車などは呼ばれていないらしい。


 驚きながらも、野次馬根性で小屋に近づく。

 すると、その小屋の前に倒れ込む人影がいる事に気づいた。

 自転車を乗り捨て、慌ててその人の傍らに膝をつく。

 京弥は善良で模範的な人間という訳ではなかったが、流石に目の前に倒れている人が居るのを放っておくことはできない。


 顔を覗き込んで、京弥は息を呑んだ。

 それはまるで、芸術品のような少女だった。

 閉じられた瞼から伸びた長いまつ毛が、揺れる炎の光を受けて頬に影を落としている。

 数秒間、そのまま呼吸を忘れていた京弥だったが、慌てて少女の肩を掴んで揺さぶった。


「おい、起きろ! 大丈夫か!」


 どうやら、怪我などはなさそうだった。

 京弥の呼びかけに反応して、少女が目を開ける。

 宝石のような瞳が覗き、京弥の存在を視界に捉えた。


「京弥……?」

「えっと……どっかで会ったことあったっけ?」


 そんな筈はない。

 もし何処かで一度でも見ていたら、決して忘れる事はないだろう。

 それ程までに少女の存在は京弥の世界で、一等星のように眩く輝いていたのだ。

 困惑していると、少女は京弥が自分の知り合いに似ていた、と言って微笑む。


 不思議に思いながらも事情を聞いてみるが、状況はあまりはっきりとしない。

 けれど少女が何処か寂しいような切ないような表情で燃える小屋を見つめている光景が、まるで絵画に描かれた世界のようであった。


「私は、あそこに見える山の中腹に住む『普通じゃない女の子』です」


 少女は、山の麓まで送って行ってほしいと言う。そうすれば、迎えの者と会えるからと。

 見た目もそうだが、その口ぶりからも少女が何処か浮世離れした存在に思えた。


 本当なら、ここで消防署や警察に届け出るべきなのだろう。

 けれど周りに燃え移りそうなものはなかったし、何より彼女が事情聴取の為に大人に連れて行かれるのが惜しい。

携帯電話で消防署に通報だけ入れると、少女を後ろに乗せて自転車を転がした。


 星のような少女は、不知火 標と名乗った。

 年齢は一つ下だが、奇しくも京弥と同じ高校に通っているらしい。

 それにしては見覚えがないと言うと、休憩時間もあまり教室から出ず、授業が終わったら真っ直ぐ帰宅しているのだという。

 どうしてそんなに窮屈な暮らしをしているのかと不思議に思ったが、疲れている時にプライベートな話題に触れるものではないだろう。


 けれど、彼女のことが気になる。

 標がどういう人間なのかをもっとよく知りたいし、いろんな表情を見てみたい。

 それにどうして自分を京弥と呼んだのか。

 あれは、知人と呼び間違えたというような声色ではなかった。


 ……知りたい。

 強くそう思った京弥は標に友達になろう、と提案する。

 標は少しの間悩む素振りを見せていたが、やがて「良いですよ」と言った。


「その代わり、友達と言うからには先輩としての敬意は払いません」

「あはは!それでいいよ!」


 つんとした口振りの標に、京弥はますます興味を惹かれる。

 まるでライトノベルか何かのような出会いだ。けれど、これが京弥の現実に起きた出来事だった。


 流れ星を捕まえたあの日が、間違いなく京弥にとっての『初恋』の始まりだった。

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一等星 はるより @haruyori

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