水平線の果て

@Rei_Kaduki

第1話

 この島と海ははるか昔から共存していた。人間が海に供物を捧げると、海はそれを波で引き寄せて包み込む。そして、応えるように海は豊富な海洋資源を提供したという。それが事実がどうかは調べるすべも、そもそも本当の話だと証明するための証拠も足りない。そのため、この町の者は誰もがお伽話として幼少期にその話をいたるところで聞くという。

 奇妙なことに、この島の人間たちは島の外に出ようとしない。理由を聞いても口を揃えて「島の外は危ない。出ないほうがいい。」そればかりだった。時折、牙をむいて襲い掛かってきても、人間たちは考えを曲げようとはしなかった。

 そんな島で暮らす一人の好奇心旺盛な青年が夏の暑いとある日に奮起して島の外を目指す話である。


「お前、島の外に出るって正気か?ほかの人に知られたら大目玉どころじゃないぞ!?」

「だからお前にしか言わない。思ったことないか?この島の外には何があるのか、どんな世界が広がってるのか。」

「そりゃ気になるけど……」


 青年は友達に引き留められても決意は固く、島の外、水平線の果てを目指すことにした。ほんの少しの資金と日持ちする干し肉や発酵食品。あまりにも原始的な食糧だが、これがこの島での“普通の食事”だった。


 青年は島の中央部、森林地帯へと向かい、前から着々と準備していた筏を取りに行った。

 木を切って、皮を剥いで柔らかくなるまで煮たものを紐の代わりにして作ったもので日数にして半月は優に超えている。だが、それだけの時間をかけただけあって上で飛び跳ねたぐらいではびくともしない。一度だけ夜間に進水させてみたことがあるが、荷物を載せてかつ自分が乗っても安定して水に浮かぶことが出来た。


「……やっと、この島の外を見られる。」


 青年は喜びでにやける顔を必死に抑え、事前に確保していた筏が通れるくらいの幅の道を必死に押して海岸までたどり着いた。

 だが、変な風にテンションが上がっている青年は一番簡単に分かることが理解できていなかった。この島の人間たちは異常なまでにこの島から出ることを拒む。なぜそこまで島から出ることを嫌うのか。来るもの拒まずではあるものの、去る者は徹底的に引き留めるのか。それを考えることが出来ていなかった。


「待て。」

「っ長老!?」

「お主、なぜ島の外に出ようとしておる……」


 この島で一番の長寿であり、住民たちを統治する“長老”と呼ばれる男が数名の島民を連れて青年の後ろで仁王立ちしていた。その表情は険しく、幼子が見れば泣き出してしまいそうなほど恐ろしい。

 青年は友人が告げ口したか、と苦虫を噛み潰したような顔をしてしまった。長老の言葉はこの島での絶対。それは、暗黙の了解であった。

 しかし、それにも怯まずに青年は筏を海の方へと押し進めた。強い口調で止めてはいるものの、行動として止めようとしない。矛盾している行動に違和感を感じるものの、青年は一歩、また一歩と汗を垂らしながら筏を着実に進める。

 そして海に筏が進水する直前、長老はぐん、とどこから出ているのか分からないほど強い力で青年を陸に引き戻した。


「何をするのですか!?」

「この戯け者が。島の外に出るでない。」

「何故ですか!?外には、あの水平線の果てには我々が見たことも無いようなものが沢山あるかもしれないのに、なぜ臆病になるのです!?」

「未知の物があったとしても。我らはこの島から出てはならぬ。」


 一貫してそう言い続ける長老に憤りを感じつつも踵を返し、いつのまにか陸に押し戻されていた筏をまた海へと押し進めていく。そしてまたさっきと同じように海に進水できる直前で強い力で引き戻される。

 そんなことを何十回も繰り返していると青年の体力は尽き果るギリギリで、あんなに高かった日も沈み宵の口へと差し迫り、長老と共に来ていた島民はいるべき場所へと帰った。

 手は剥ききれていなかった木の皮で生傷まみれ、足は砂浜に焼かれ真っ赤になっている。それでも青年は目に映った水平線を、水平線の果てをじっと見つめていた。


「……お主も頑固じゃのう。いい加減諦めろ。我らはこの島から出てはならぬ。」

「……そう、ですね。僕はどうかしていました。」


 青年のその言葉を聞くと長老は満足そうにうなずき、ゆっくりと森林の方へと歩いて行った。

 刹那、青年は残った力を全て込めて一気に筏を海へと押し進め、長老が気づいたときにはもう筏は海に浮かび、青年が飛び乗った後だった。


「何をしている!すぐに戻ってこい!」

「嫌です!僕はもう決めたのです!この目で水平線の果てを見ると!」


 青年が力強い声でそう叫び、笑顔を見せた直後に長老はとあることを叫ぼうとしたが、その必要は無くなった。


 叫ぶ相手が、消えたからだ。


 さっきまでいたはずの青年がいない。それが分かった瞬間、長老は静かに溜息をついた。


「……だから、島の外にでるなと口酸っぱくいっておったのに。」


 青年が長老に向かって叫んだ直後、何が起こったのか。それは非常に簡単で、非常に理解しがたいことだった。

 海が、青年をさらったのだ。青年が見ていた水平線がすっぽりと青年を包み込んでしまった。まるで、伝承のように。






 この島の人間は、決して島の外に出ようとしない。

 海に入ってしまえば供物として海に包まれてしまうからである。

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