第20話 追放はさらに遠く

 部屋に戻ると、トレサがにこやかに迎えてくれた。


「おかえりなさいませ、マデリーン様」

「ええ、ただいまトレサ」


 いつも扉の外で静かに頭を下げるだけだったのに、もうすっかりマデリーンとマドカの侍女として部屋に馴染んでしまった。迎えてくれる侍女がひとりいるだけで、なんだかとても温かい。

 ローレンスから受け取った物を適当に机の上に放り出す。机に落ちた拍子に中のものが僅かに飛び出た。


「そちらはなんでしょうかお嬢様」

「なんでもないわ、それよりトレサ、お茶とお菓子はない?」

「はい、承知いたしました、すぐに用意します」


 トレサはそれ以上深く追求せず、すぐに準備のためにその場から離れた。

 全く見ないで突き返す、という選択肢もあるがマデリーンは置いたばかりの封書に手を伸ばした。


「あら? どうせ熊みたいなおじさんかと思ったけれど、案外若いわね」


 姿絵なのでどこまで参考になるかわからないが、すっきりとした青年が描かれている。身上書を見ても確かに年齢は想像していたより若い。


「ふうん、男爵といっても領地を治めてという感じではないのね、かなり手広くやっているみたい」


 こういう状況で持ち込まれる縁談としては、悪くないと思う。


「フレデリク男爵か、わたしが言うのもなんだけど、損な役回りを押し付けられたものね」


 まあ悪くないと思うだけで、特別良いとも思えない。ヴィンセントへの当てつけのようにして選ぶことも別にしなくていいと思うし、そこまで冷静を欠いてもいなかった。

 マデリーンは封書をまた元のように仕舞うと、机の上に置く。

 するとお茶のセットを持ったトレサが戻ってきた。


「マデリーン様、本日は陛下から届いたお茶にしました」

「陛下から? そんなの届いていたっけ」

「ええ、先日茶会で楽しまれたという、ヴィアン産の新茶だそうですよ」

「あれは美味しかったわね、トレサも一緒に頂きましょう」


 お茶に誘うと、トレサは嬉しそうに笑って茶器を広げた。

 琥珀色をした新茶に焼き菓子はとても美味しいもので、マデリーンはすぐに受け取った姿絵と身上書のことも忘れられた。

 考えたってしかたないことだ、ひょっとしたらマデリーンの回答は必要ないのかもしれない。だからこそ今は考えるのはやめた。


「そういえばこのお茶を賜った時に、陛下から言伝を預かっております」

「ヴィンセント陛下から?」


 お茶を飲みながら首をかしげるが、心当たりはまったくない。

 するとトレサはにこにこと笑って答えた。


「マドカお嬢様へ、同じくらいの時間にあの場所で待っていると」

「あの場所って、やっぱりあそこかな」


 思い浮かぶのは、最奥にある小さな中庭だ。二回くらいマドカとしてヴィンセントと会っているが、最近は行っていない。


「朝この部屋にいらっしゃった時は、それはもう驚きましたが、とてもお優しいかたですわ」

「なによトレサ、お茶以外になにか貰ったの?」

「いいえ、お嬢様にはぴったりだと、トレサは思いますけれど」


 そう言われて咄嗟になにも言えなかった。なにせマドカの半身であるマデリーンは追放寸前だ。離宮なら適当にマデリーンを隠居させて、普段はマドカとして過ごすという方法も取れると思っていたが、過ごす相手が出来ればそうはいかない。


 そろそろ諦めて、マデリーンとしてしでかしてきたことの責任を取らなければならないのかも。

 脳裏に浮かぶのは、東の庭園で穏やかに話をしているヴィンセントと令嬢の姿だ。


 その日の夜、マドカはあの最奥の中庭には行かなかった。

 ヴィンセントが待っていることは分かっていたが、色々あった出来事で頭はいっぱいだったから。どうしてこんなにヴィンセントのことばかり考えるのだろう。そう思いながらマドカは布団を被って過ごした。



 それから数日、マドカは気が進まない、天気が気に入らないなどという文句をマデリーンが言っていることにして、部屋に引きこもっていた。


 これまでだってそうしている日は少なくない。だが、これまでと違うのは、トレサがなにか言いたそうな視線を向けてくることと、ヴィンセントがしきりに様子を窺っているらしいということだ。


「お嬢様そのう、マデリーン様にぜひ面会したいというかたがいらっしゃるそうです」

「マデリーンに? 心当たりはないけれど」


 そろそろ起きて動かなければ。そう思いながらマドカはマデリーンとどちらで過ごそうかと迷っていた。そこへトレサが知らせを持ってやってきたのだ。

 客人が来ているならマデリーンしかない。そう思ってマドカは化粧の準備を始める。

 しかしトレサが出した客人の名を聞いて、手の動きを止めた。


「フレデリク様というかたです。遠方の珍しい品々をマデリーン様に見ていただきたいとおっしゃっているそうです」

「その名前どこかで聞いたわね、ええと」


 マドカは化粧を続けながら思い出すように視線だけ動かす。

 すぐに脳裏にあの姿絵の青年が浮かび、思わず叫び声を上げた。


「ひょっとしてフレデリク男爵!」

「もしやお知り合いでしょうか?」

「会ったことはないけれど、まさか直接来るなんて」


 正式に断っていなかったけれど、まさかこんなに早く、しかも手紙もなく直接来るとは思わなかった。ひょっとしたらローレンスあたりがなにか根回しをしている可能性だってある。


「なにか根回しされているとしても、こうなったら会わないわけにはいかないか」


 マドカは覚悟を決めるかのように、大きく息を吐いた。

 普段王宮でも奥のほうでしか過ごさないマデリーンは、下級貴族や外からの来客などが行き来する王宮の入り口近くにあまり行ったことがない。


 トレサと案内の騎士を連れて歩くマデリーンの姿は、とても注目を集めている。

 視線やひそひそと話す様子は全く気にしない素振りで、足早に歩いていく。


「こちらの部屋になります」

「あらそう」


 案内された部屋は、マデリーンの部屋に比べれば狭かったが、かなりの広さがあり所狭しとばかりに物が置かれていた。


「お嬢様、これは凄いですね」

「ええ、見事なものだわ」


 マデリーンの表情も、思わず表情が綻ぶ。案内の騎士が部屋の外に下がり、トレサが控えるように立つと、マデリーンは並んでいる品々を眺め始める。

 珍しい菓子や乾物、綺麗な布地や織り物、宝飾などまであってとても煌びやかだ。


「織り物も珍しい色をしているわね、なにで色を染めているのかしら」

「そちらは山間部に自生している花から染めたものです、気に入っていただけましたか?」


 ふいに男性の声が聞こえて、マデリーンはぴたりと動きを止めた。ゆっくりと声のしたほうを向くと、背の高い青年が一人笑顔で立っている。


「っ!」

「驚かせてしまいましたね、申し訳ございません」

「い、いいえ、大丈夫ですわ」


 咄嗟だったのでうまくマデリーンの声音にならないが、無理やり声音を切り替えた。

 青年は気にした様子もなく、丁寧に挨拶をする。


「私はフレデリクと申します、地方の領主と商いをやっております」

「そう、あなたがフレデリク男爵なのね」

「名を知っていただけているとは光栄です、マデリーン様」


 面会の要望が来て了承したのだから、マデリーンが名乗る前からもうわかっていたのだろう。フレデリクはその場でゆっくりと礼をした。

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