第19話 不審な筆跡

 ヴィンセントと令嬢、二人の姿はとても温かなのに、見ていてなんだか面白くないと感じてしまう。


 今朝までマドカに対してあんなことを言っていたのに、もう他の令嬢と楽しそうにしているなんてどういうことだろう。

 しかしマデリーンは、ここでヴィンセントになにかを言えるような関係ではないし、マドカだってそうだ。


 落ち込む前に忘れよう。


 気持ちを切り替えることを決めて、部屋に戻ろうとしたときだった。


「あちらで陛下とお話になっているのは、グラント侯爵令嬢です」

「……別に聞いていないわ」


 マデリーンの斜め後ろくらいにローレンスが立っている。振り返って確かめていないが間違いないだろう。


 また面倒なのに見つかってしまった。


 なんとか振り返らずに部屋に戻ることは出来ないだろうか。

 そう思っていたマデリーンは、言われた名前に聞き覚えがあるとようやく思い至る。


「グラント侯爵家の令嬢って、たしか候補に上がっているっていう」

「そうです、その御令嬢です」


 マデリーンはちらりと庭園の向こうを再度眺めた。金に近い栗色の髪をした可憐な令嬢に、見える。


「グラント侯には似ていないのね、幸運だわ」


 確か妹だったはず。

 いいんじゃないか、関係ない、この状況ではどう言ってもどこか僻んでいるように聞こえてしまう。

 マデリーンならばそれでもいいのだが、上手い言葉が見つからないと考えてしまって口を惹き結んだ。


 ヴィンセントに特別な相手はいない。王となる前から、それらしい話は来ているようだったが、妃の椅子はまだ空位のままだ。


 少なくとも、歳の離れた王に媚びた悪魔のような女よりはずっといい。


 これ以上ここにいると、己が不機嫌になった理由に気付いてしまう。マデリーンはローレンスの脇をすり抜けて部屋に戻ろうとした。


「マデリーン様、陛下がお呼びした件ですが」

「邪魔するのも楽しそうだけど、あらためるわ」


 ローレンスはわざとらしくマデリーンを呼び止めた。


「まだなにか用?」

「ヴィンセント陛下からの用件は言付かっております、どうぞこちらへ」


 嫌だと目一杯の視線で訴えようとしたけれど、どこから湧いて来たのかアランともう一人騎士が逃さないとばかりにマデリーンの背後に立つ。


「手短に済ませてくれるんでしょうね」

「はい、余計なことはするなと釘を刺されていますので」


 信じられない気持ちでいっぱいだったが、マデリーンはローレンス達によってヴィンセントの執務室へと案内された。


「用件というのは、こちらを見ていただきたいのです」


 応接用の椅子にマデリーンが腰掛けたところで、ローレンスはヴィンセントの執務机から、封書ともうひとつなにかを出してきて見せた。


「これはなに? こちらは手紙だけど、もう一つは詩文?」

「そうです、手紙のほうは陛下が即位前、王子であった頃にさる令嬢から受け取ったものです。こちらの詩文は、とある茶会の催しで書かれたものになります」


 ちらりと見ると、手紙はどうやら文書のようなものではなく本当にヴィンセント個人に宛てたものらしい。


「これ、わたくしに見せるべきものではないんじゃなくて?」

「陛下より許しは得ています」


 許可をとってあると言われても、他人宛の手紙を熟読するような趣味はない。しかもちらりと見たところ、恋文のようだ。


「もうひとつの詩文も、同じ御令嬢が書いたもののようね」

「ええ、気にしていただきたいのはそこです」


 ローレンスは頷いて、手紙と詩文を指し示した。


「確かにみたところ同じ者が書いたように見えますが、マデリーン様から見ても、この二つは同じ筆跡でしょうか?」


「わたくしから見ても、とはどういうことかしら」

「言葉そのままですよ、そういうことに慣れていらっしゃるマデリーン様なら、別の見えかたがあるかもしれないと思いまして」


 確かに代筆はしていた。それはヴィクトルが伏せっていた頃に多少の政務を覚えたからだ。だからといってそこまで詳しいわけでもない。

 マデリーンは手紙をもう一度眺め、それから詩文のほうも同じように眺める。


「あら、これすごく真似ているけれど……」


 筆記具を動かした時の力の入れ具合や、細かい癖を確かめる。


「書いたのは違う者だわ、特にこっちの手紙、書いたのは本当に令嬢?」

「と言いますと?」


 ローレンスは真剣な表情でマデリーンに言葉を促す。マデリーンだとて専門家ではないから、絶対そうだとは言いきれない。だが予想ならつけられる。


「少し筆圧の強い、たとえば男性が真似ているような」


 いくつか筆跡を真似ていたから、この手の違いはよく見ていた。しかしなんだかおかしな話だ、恋文を代筆で書いたということだろうか。


「まあ、令嬢なら代筆もあり得るけれど、これ陛下宛よね」

「そうですが、これ以上の詮索は無用です」

「あらそう」


 話があるというからなんだろうと思っていたのに、まさか恋文の筆跡鑑定をさせられるとは思わなかった。

 しかしこれで用件は済んだと考えていいのだろうか。


「用が済んだのなら、わたくしはこれで失礼するわ」

「マデリーン様、あとひとつだけ私から」


 立ち上がり執務室から出て行こうとしたマデリーンを、ローレンスが呼び止めた。

 ローレンスからという言葉に、マデリーンは目一杯警戒して振り返る。そういえばこの男の前では気を抜かないほうがいいのだ。


「水産物にご興味はないでしょうか?」

「そうは言っても王都から近いヴィアン湖は、あまり良い物は取れないでしょう? 国境近くの港町かしら」


 水産物と言われて思いつくのは、どこも馬車で行ってもかなりの日数がかかる場所だ。わざわざそこからなにかを取り寄せてというのは考えにくい。


「そうです、王都に比べればかなり辺境かもしれませんが、豊かでとても良い場所です」

「なにがいいたいのかしら」


 訊ね返してはいるが、なんとなく予想はついている。


「身分としては男爵家ですが、水産資源の流通でとても豊かに暮らしている豪商です」

「豪商ねえ」


 朝のヴィンセントとの騒ぎがあり、マデリーンをヴィアン湖畔ではなくもっと遠くへ追放しようというのだ。

 あんな出来事があったならあり得ない話ではない。


 ふざけないでと言いかけた口元を、まるで己で止めるように扇で隠す。


 さきほど庭園で楽しげに話していたヴィンセントと令嬢の姿が頭の中に浮かぶ。お妃の候補に上がっているという、グラント侯の令嬢は可愛らしい人だった。

 彼女が王宮に入るなら、マデリーンはすぐにでも部屋を空けなければならない。


「姿絵のひとつも持ってこなければ、なんとも言えないわ」

「もちろん、用意してあります」


 渡された封筒の中には、小さな姿絵とそれから身上書のようなものが入っているらしい。まるで以前からそのつもりだったかのように、手抜かりのないことだ。

 言った通りに出てきてしまった手前、要らないとは言えなかった。

 渡されたその封筒は大きさ以上になんだか重たい。


「わかりました、見ておくわ」

「よろしくお願いします」


 なにをお願いするのかとも思うが、ローレンスはマデリーンが受け取っただけでも満足したのだろう。その場で丁寧に礼をする姿を見ると、今度こそマデリーンは執務室から出た。

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