第15話 だったら見ていない!

 部屋の鍵は掛けたはず、ならばどうしてヴィンセントが部屋の中にいるのか。


「マデリーンの傍にも、マドカが付き従っていないわけだ」

「いいいつからそこにっ」

「身代わり、というわけではなさそうだな」


 しどろもどろに訊ねるが、ヴィンセントは悠然と長椅子に座った視線を崩さない。状況を整理するかのように、考えを言葉にしていく。


 終わったかもしれないと思いながら、マドカは訊ねた。


「いつから、見ていました?」

「そうだな、腹が減ったと喚いてここに寝転がっていたか」


 それは部屋に戻ってきて結構序盤の行動だ。

 さっきからの行動をなんとか思い出し、化粧部屋のほうへ視線をさっと向ける。

 化粧部屋への戸は、ずっと開きっぱなしだった。部屋の鍵を掛けたから、中の戸まで閉めた覚えがない。


 それでも認めたくなくて、もう一度訊ねた。


「見たの?」

「見たな」


 はっきりとした答えを聞くなり、マドカは一気に長椅子のほうへと距離を詰めた。考えるまでもなく体が動き、座っているヴィンセントを見下ろす。


 そして大きく振りかぶった手の平を、彼の頬へと打ち付けた。


 ぱんっ! とやけに言い音が響く。


「女子の着替えを黙って見るなんて、あんまりです!」

「は?」

「いくら陛下でも軽蔑します!」


 ヴィンセントは平手打ちの衝撃で傾いた顔をゆっくりマドカのほうに戻す。いったい何が起きたのかわからないという表情で、ぽかんとマドカを見上げた。

 そんな顔をしたって許さない、とマドカは泣きそうな目で睨む。


「見たって、そういう意味じゃあないだろう」

「そういう意味ですっ」

「だったら見ていない!」


 勢いよくヴィンセントが横に首を振った。打ち据えた頬は僅かに赤くなっている。


「その時はそっちのカーテンの中に立っていた! 角度的にも見えていない、顔だって、伏せた」

「本当ですか?」

「ああ誓って」


 今度は縦に首を振っている。


「良かったあ」

「信じたようだな」


「うう、危うくお嫁に行けなくなるところだった」

「……その言葉、色々と言いたいことがあるんだが」


 そうは言っているが、嘘をついている様子はないので、ようやくマドカは安堵して大きく息を吐いた。

 吐いたところでようやく状況を思い出し、ひゅっと息を吸う。着替えでないが見られている。


 つまり、マデリーンの装いを解いた姿がマドカだということをだ。


 ぎぎぎと軋んだ音がしそうな動きでヴィンセントを見る。


「まあ、それよりもまずは」

「まずは?」


 そう繰り返したところで、あまりにも爽やかな笑顔がマドカのほうへ向いた。


「話は長くなりそうだし、まずは腹ごしらえでもするか」


 輝かんばかりに綺麗な笑顔なのに、なぜか恐ろしく感じるのは気のせいじゃない。


「わかりました、食事を貰ってきますから、それまで待っていてください」


 マドカはつられるように引き攣った笑顔を浮かべて答えた。


 食事を頼みにいくと、その日はちょうど余裕があったらしく、すぐに用意がされた。それもマデリーンとマドカの二人分だ。

 長椅子の前に置く机はそれほど大きくないので、全て並べるとじゅうぶんに満足できるだけの賑わいになる。


「ほら、ここに座れ」

「そういうわけには」

「いいから、座って食べろ」


 ヴィンセントは長椅子に座り直すと、隣の場所を空けた。そうしてマドカに向かってぽんぽんとその場所を叩いて示す。

 もう逃げられないのなら食事だけはしっかりしておきたい。

 王を騙し過ごしていたのだ、罪に裁かれるのは確定している。食べる時間は与えられるようなので、マドカは素直に腰掛けた。


「陛下、頬っぺた冷やさなくて大丈夫でしょうか?」

「あれくらい平気だ、かつては騎士として厳しい訓練もしていた」


 一応冷やした布も用意したが、ヴィンセントはそれを受け取らなかった。確かに頬の赤みはもうすっかり引いている。

 どうしよう、こんな時でもお腹が空くのがマドカは恨めしい。


「いただきますっ」


 そう宣言すると、食事を始める。

 皿に美しく盛り付けられているニナ鶏は、昼から仕込んで煮込んだのだろう。すっかり冷めてはいるが、とても柔らかい。

 もぐもぐと噛みながら、感激で笑いそうになる。


「この口の中ですぐに崩れる心地良さがたまらない」

「まったく、美味そうに食べるな」

「だって、本当のことじゃないですか」


 ヴィンセントは苦笑を浮かべている。そうして取り分けてある皿から、同じようにひと口食べた。


「王宮に納められているニナ鶏は最高級品だからな、味は確かだ」

「うん、美味しいよニナ鶏」

「一体なにに話しかけているんだ」

「もちろん鶏にですよ」


 口のものを飲み込んで答えながら、次の料理へと手を伸ばす。


「この調子で、いつも二人分食っているのか?」

「そうですよ、でもマデリーンは少食だって設定ですから」

「設定か……」


 ヴィンセントは呟くと、考えに浸るように視線を落とした。追及は免れられないと分かっているから、マドカは敢えて見ないで食事を続ける。


「今日は特に美味しいです」

「ニナ鶏が好物なのだろう」

「違いますよ」

「え?」

「一人じゃない食事は、久しぶりなので」


 並んで座っているヴィンセントの温かさを感じながら食べているから。こんな食事はおそらく最後だろう、そう思ったからマドカは少しだけ素直に答えた。

 ヴィンセントは目を瞬かせてマドカを見た。そうしてから、料理の皿を手に取り、それを傾けてマドカの皿へと一気に移した。


「あっ!」

「ほら、ちゃんと野菜も食え」


 マドカが見上げると、蒼い瞳が揺れている。

 それはとても優しく、それでいてなんとも辛そうな感情を含んでいた。



 食事が終わったらひとまず出ていくと思ったが、ヴィンセントはそのままマデリーンの部屋に居残っていた。


「きちんと話します、ですから」

「そうだな、是非聞きたいものだ」


 確かに問答無用で怒り引っ立てるようなことはしなく、食事もさせてくれた。

 だからきちんと説明しようという気持ちはマドカにもある。

 だがもう時刻も遅いから、明日以降あらためて貰いたい。


「マデリーンは、俺の想いまで十分聞いてくれたからな」

「それは、陛下が勝手に」

「そうだ、俺が勝手に心惹かれた」

「……本当のことを知ったら、そんなのなくなるって」

「それで意識もしなかったと?」


 答えられなかった。マドカの心はずきずきと苦しさを感じている。

 身分や立場などがあってもヴィンセントはマドカを正妃にしたいと言った。

 だがそれはマドカに対してだ。


「王として堕落するつもりはない、しっかりと国と己を見据えている」

「はい」


 堕落、という言葉にマドカは手を握りしめた。

 もう一つの姿であるマデリーンを想う者などいない。


 それなのになぜ、こんなにもヴィンセントの手を取りたいと考えてしまうのだろう。


 握りしめた手に温かななにかが触れる。


 見るとヴィンセントの大きな手が、しっかりと包んでいた。


「貴女は、マドカでありマデリーンだ」


「っ!」

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