第12話 王は小さな嫉妬をする

「ところで陛下、この焼き菓子とても美味しいのだけど、わざわざ作らせたのかしら?」


 上品な焼き菓子は、さくさくとしたほどよい食感に、ナッツのようなものが入っておりいくつでも食べられる。王宮の厨房で作られた菓子とはまったく別の手によるものだということはわかった。

 先日一緒に茶を飲んだ時の雰囲気といい、ヴィンセントはそこまで甘党ではない。


「いま王都で人気のある焼き菓子屋があるんだが、そこの菓子だ」

「ふうん、王都の菓子屋ねえ」


 マドカとしてなら外に出ることも出来なくはないが、それはあまりしたことがない。

 わざわざ王都まで買いに行かせたのか。

 菓子をもうひとつ食べながら、マデリーンはちらりとヴィンセントを見る。


「美味しいから、うちの侍女にもと思ったのだけど」

「すぐに用意させる」


 どうやら当たりだったらしく、驚く暇もないくらいの速さで返事があった。なんというか実にわかりやすい。しかもこの手はまだ当分使えそうだ。


「むしろマデリーンお前全てひとりで食べる気か、彼女に持って帰ろうとかそういう心掛けはないのか」

「用もないのに呼び出されて、どうしてわたくしがあなたの恋の手助けを?」


 絶対ここで全部食べてやる。


 どのみちマドカもマデリーンも一緒なのだが、どうしてマデリーンとしてはマドカを思うヴィンセントが面白く感じられないのだろう。


「まったく本当に、面倒な感情だわ」


 自分でやらかしたことなのはすっかり棚に置いて、マデリーンは呟いた。


 それから少し経ち、ヴィンセントの名前でマドカに届けられたのは、綺麗な菓子箱に入った焼き菓子だった。確かにマデリーンの時に出された焼き菓子と同じ店の物のようだったが、綺麗な飾り箱は力の入りようが違っていた。



 マデリーン対する黒い噂はいつものことなので、気にしたらきりがない。それでも視線や聞こえるように囁かれる噂は痛いので、マデリーンが呼び出されない限りはマドカとして過ごしている日は自然に増えていく。


「ありがとうマドカ、そこに置いてくれ」

「はい、承知しました」


 昼食にと用意された軽食を並べている間も、ヴィンセントは厳しい目つきで書類を捲っていた。


 元気がないから一度だけ配膳を引き受けたはずが、ヴィンセントはなにかの味を占めたらしく、それから度々配膳に呼ばれる。


 マドカはマデリーンの侍女なので、マデリーンが引き篭もって出てこなくなると暇が増える。着替えや化粧が必要なくなるからだ。

 確かに手は空いているし自分の仕事ではないと騒ぐ気もないので素直にしたがっている。


「どうしてこうなっているのかしら」


 聞こえないように小さな声で呟く。

 今日はヴィンセントも忙しいらしく、食事も執務室に運ぶように指示された。マデリーンとして来た時も思ったが、嵐の後のようだった執務室はかなり整頓されている。

 ディアンを投入したせいか、仕事がなんとかなっているのかはよくわからない。


 戸を小刻みに何度も叩く音が聞こえた。この叩きかたはマドカも知っている。入ってきたのは、ディアンだった。


「失礼します、陛下っ、陳情書のまとめ終わりました」

「あとで目を通しておく」

「よろしくお願いします」


 気にしなさの擦り合わせでもしたかのような動きで、ディアンはそっと書類をヴィンセントの執務机に置く。

 そしてディアンは戻りがけにマドカの姿を見かけると、細い目をさらに細めて小さく手を振った。ひそひそ声が聞こえるくらいまで寄ってくる。


「やあマドカ、お昼の仕事?」

「そうよ」

「なになに、今日のお昼、なに?」


 国王であるヴィンセントとディアンでは提供される昼食は違うに決まっている。しかし王宮で務めているマドカとディアンでは、似たような物を食べることが多い。


「ニナ鶏をパンで挟んだものだって、芋のスープが付くわ」

「うおお、最っ高じゃないか」


 ひそひそ声なのに目一杯の喜びが表れている。目を輝かせて、小さく握った拳を振る姿は、なんだか微笑ましい。


 マドカが思わずクスリと笑った時だった。


 なにかビリビリするような鋭い視線を感じて、そっと執務机のほうを窺う。


 ずっと書類に目を通し続けていたはずのヴィンセントが、訴えるような視線でこちらを見ている。口を引き結び眉は寄っており、まるで子供が駄々をこねる寸前のような気配だ。

 マドカは慌ててディアンを戸の外へ促した。


「じゃ、じゃあねディアン、わたしまだ仕事があるから」

「ああうん、失礼しました」


 すっかり昼食に夢中なのか、ディアンはそのまま部屋から出ていく。

 マドカも仕事は終わっているのだが、一緒に退室してはいけない空気だというのは読み取れる。


 戸が閉められて執務室が静かになると、ヴィンセントはまた書類へと視線を戻した。

 どうしよう、困った。残りはしたが、マドカではもう出来ることもない。


「なんの話をしていたんだ?」

「たいしたことは、ないです」

「それなら隠すことはないだろう」


 恨めしげに言われ、しどろもどろで返す。


「ええと、昼食、楽しみだねって」

「随分と楽しそうだったな」

「今日はニナ鶏、それから芋のスープなんです、ほら、ヴィンセント様のお食事にもあります」


 そう言って両手をさっと横に動かして食事を示してみせる。

 ヴィンセントはまだなにか納得していないらしい。不満そうな表情で、恨めしげに食事に視線を動かした。

 どう考えても、ヴィンセントへの食事のほうが丁寧に作られているし、品数だって多いのに。


 受け取ったばかりの焼き菓子のお礼は、ヴィンセントにマドカから直接伝えたほうがきっと喜ぶ。そう思っていたのだが、とてもそんな空気ではなくなってしまっている。

 なんだか妙な展開になってしまった。気まずく思っていると扉が叩かれる音が聞こえた。

 扉越しにローレンスの声が聞こえてくる。


「失礼します陛下、グラント侯より報告したいことがあると」

「わかった、入れ」


 さすがにこのまま執務室にいて話を聞くわけにはいかない。入ってくるローレンスとグラントと入れ違いにマドカが部屋から出ようとした時だった。



「マデリーンが部屋にいない」



 ローレンスの緊張を含んだ声が、マドカにも聞こえてきた。


「探させていますが、ちょっと行動が怪しいと思います」


 グラントが続けてそう報告している。

 急いで戻らなければ。そう思ってマドカがさり気なく執務室の扉へ向かっていたときだった。


「知っているか? マドカ」


 ヴィンセントに呼び止められてしまった。

 彼の視線を追いかけて、ローレンスとグラントもマドカを見る。


 背中におかしな汗が流れるような感覚がした。


「ええと、休むから入ってくるなと言われましたが、聞こえてないのかなあ、おかしいですねえ」


 迂闊だった、気が緩んでいたかもしれない。

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