第二百三話 八歳の母性

「陽平くんの背中は大きいです」


 そう言いながら、ひめがいきなり後ろからもたれかかってきた。

 ……今日はいつもより甘えたがりに見える。普段よりもスキンシップが多い。


 もちろん、こうやって触れ合うことは嫌いじゃない。じゃれついてくるひめもかわいいので、むしろ嬉しいくらいだ。


 しかし、一つだけ問題がある。


「ひめ、汗かいてるから……」


 俺としては、色々と気になる部分がある。

 ただ、彼女にとってそれは些細なことでしかないらしい。


「運動した後なので、汗はかくと思います。お疲れ様ですね」


 汗をかいているから、触ると気持ち悪いかもよ?

 そう言いたかったのだが、ひめは気持ち悪いだなんて微塵も思っていないようだ。それどころか、俺が気を遣っていることにすら気付いていない様子である。


 まぁ、俺が気にしすぎているだけ――ということもあると思うが。

 滝のような汗をかいているわけでもないし、ひめが気にしないならそれでいいのか。


「肩もみしましょうか? がんばってくれたお返しです」


「いいの? じゃあ、お願いしようかな」


 頷くと、今度は肩に小さな手が触れた。


『もみゅ、もみゅ』


 擬音でたとえると、こんな感じである。

 もみもみ、と表現できるほどの力がないのがまた愛らしい。八歳なので握力がまだ足りないのかもしれない。揉まれているというか、撫でられている感覚に近かった。


「陽平くんの肩、カチカチですね」


「普段、ゲームばっかりしてるからかなぁ」


「合間にストレッチなどすると改善すると思いますよ。筋肉が凝って血行が悪くなると、様々な面で悪影響になりますからね」


「……き、気を付けようかな」


 まだ高校生なので、どんなに退廃的な生活をしたところで体調に変化はないのだが。

 しかし、これから大人になるにつれて、様々な部分に弊害が出てくるかもしれない。もう少し、規則的で健康的な生活を心がけようと、ひめの話を聞きながら思った。


「首筋もカチカチです」


「あ、そこが一番気持ちいいかも


「ここですか? うーん……わたしの力だと、満足にマッサージできませんね」


 と、ここでひめも問題点に気付いたようだ。

 その解決策として導き出されたのは、あの人への助力である。


「お姉ちゃん、陽平くんのマッサージをお願いしてもいいですか?」


「え」


 ひめ、さっきの出来事を忘れてしまったのだろうか。

 いや。この子は一度見聞きしたことを忘れない体質なので、そんなことは絶対にありえない。


 先ほど、聖さんがうっかりミスをしたせいで大変なことになった。

 今回もそうなるかもしれないと思って、俺は怖かったのだが。


「今度こそ大丈夫だと思います。お姉ちゃんにも、成功体験をさせてあげないと……消極的な子供になってしまいますから」


 と、ひめは母親みたいなことを言っていた。君の方がはるかに年下だし、妹なんだけどなぁ。聖さんみたいなダメ……じゃない。手がかかる姉を持つと、母性も芽生えるのかもしれない。


「マッサージ? オッケー、私に任せて~」


 聖さんは二つ返事で了承している。

 なんというか、こっちはすごく能天気そうだった。先程の出来事を覚えていたなら、もう少しためらってもおかしくないと思うけど……聖さんはまぁ、たぶん忘れているのだろう。そういう人である。


『ギュッ!』


「い、痛い……!」


「わっ。ごめーん! つい、力が入りすぎちゃった」


「……やっぱりダメでしたか」


 だからこそ、このオチは予測できたことだった。

 聖さんはマッサージが苦手である。この人、ほんわかした見た目に反して、力が強すぎる――。




///

いつもお読みくださりありがとうございます。

書籍の発売がいよいよ二日後になりました!

ぜひぜひ、よろしくお願いしますm(__)m

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