第百九十話 まるで何事もなかったかのような、間の話

 ――驚いた。

 世月さんに呼び出された翌日のことである。この日もひめと聖さんと一緒に出かける約束があったので、二人の母親についての話をしようとしたのだが。


「母ですか? 母とは一ヵ月くらい前に少し話しただけで、それ以来会っていませんが」


「なんかいつも忙しそうだよね~。会っても食事して終わり、とかそんな感じだし?」


 車での移動中のことだ。

 星宮姉妹と並んで座りながら、それとなく世月さんの話題を出してみたのだが……話を聞いた感じ、どうも昨日は会っていないようだ。


 まさか、娘たちに会わずに家を出たのだろうか。

 そんなこと想定もしていなかったので、驚かされたのである。


「今はヨーロッパの方にいるとお聞きしました……もしかしたらまた別の場所に移動しているかもしれないので、居場所はわたしたちも把握していませんね」


「お母さんって変な人なんだよね~。どこにいるかも分からないし、どんな仕事をしているのかも分からないもん」


「わたしたちを仕事に巻き込みたくない、と言ってましたよ」


「うーん。もうちょっと構ってくれると嬉しいのになぁ」


「母はそういう方ですから、仕方ないです」


「それもそっか。一年に一回しか会わないお父さんよりマシだしね~」


 姉妹の会話は、決して暗いわけじゃない。

 両親に対しても理解があるようで、この状況にも不満があるわけじゃないようだ。


「それに、お世話は芽衣さんがしてくれますから、生活に不安はありませんよ」


「そうそう。芽衣ちゃんがなんでもしてくれるから、生活は楽だよ~」


「奥様に、お二人を任せられているもの。そのあたりは心配不要よ」


 運転していた芽衣さんも、話はちゃんと聞いていたらしい。名前が出るとすぐに反応してくれた。

 ……一応、芽衣さんは世月さんがいたことを知っているはずだが、そんな素振りは見せない。昨日、俺を送迎したのはこの人なのだ。だというのに、知らないふりをしているということは――そういう通達があった、と考える方が自然かもしれない。


(世月さん、あえて会わなかったのか)


 感情的には、娘たちに顔だけでも見せてほしかったと思った。

 しかし、状況的に考えると――娘たちに会わないという選択肢は、俺にかなり効果的だった。


(これだと、二人に世月さんの話ができない)


 娘に会わず、俺にだけ会った……それを聞いて、当の娘たちは何を思うのか。

 世月さんの人間性を把握している二人なら、そこまで落ち込むことはないかもしれない。しかし、少なからず『なんで会ってくれなかったのか』と思うかもしれない。


 少しでも二人が傷つく可能性があるのなら、俺には何も言えなかった。

 たぶん、そういう俺の性格も把握した上で、あえて娘たちに会わなかったのだと思う。


(……世月さんに交友の許可をもらったと、そう言わせてもらうこともできないんだ)


 本当に、甘えさせてくれない。

 もしその一言が伝えられたなら、二人との距離を詰める理由にできたかもしれない。

 同時に、二人の気持ちに応えられなかったのは、家柄を気にしてのことだった……という言い訳もそれとなくできた。


 もちろん、そんな打算ばかり考えていたわけじゃない。ただ、後々になって冷静に考えてみると、伝えることによるメリットがかなり大きかったと思ってしまっただけである。


 つまり、昨日の出来事はひめと聖さんにとって『なかったこと』と同義である。

 俺一人で、世月さんの言動を背負えということだろう。


 なるほど。出会いに何の脈絡もなければ、前振りもなく、唐突に現れたのはそういうことかもしれない。

 まるで、間話のようなイベントだった。メインのストーリーに大きな影響はないが、知っていたらそれはそれで意味のあるような、そういう距離感のイベントだったのだろう。


 ……そういうことなら、それでいい。

 もちろん、甘えるつもりなんてない。世月さんに言われずとも、俺はちゃんと向き合っている。


 そしていつか、みんなが幸せになれるような答えを導く。

 改めて、そんなことを決意するのだった――。

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