第百五十一話 思い出したかのような縁談の話
『お姉ちゃんと結婚してください』
その一言を、彼女はずっと忘れていない。
というか、そもそもひめは一度見聞きした出来事を忘れない体質なのだが……それにしても、よく覚えている。
記憶しているだけ、ではない。
ちゃんと定期的に思い返しては、その進捗を確認するかのように俺と聖さんの様子を見ようとするのだ。
「陽平くんはやっぱり、お姉ちゃんとの相性がいいと思います。あんなにポンコツでナマケモノで言い訳ばっかりのめんどくさいお姉ちゃんを見放さないなんて、心から尊敬しました……陽平くんみたいな人は、きっとこの先なかなか出会えないと思います」
……やや、姉に対して言いすぎな気もするが。
まぁ、それだけ苦労させられていると思うことにしよう。それはさておき。
相変わらず、ひめは俺のことを評価してくれていた。
そうやって価値を見出してくれること自体は、すごく嬉しい。でも、少しだけ引っかかる。
(ひめは本当に、聖さんとの結婚を望んでいるのかな)
大きな懸念だ。
彼女は俺に『お兄ちゃんになってほしい』と言ってくれた。それだけ慕われているのは嬉しい。もし叶うなら、そういう関係性になりたいとすら思う。
でも、ひめの愛情の本質が俺はまだつかめていない。
単なる親愛であるなら、それでいいだろう。しかしながら、そうじゃない可能性もある気がしていて、その部分がすごく引っかかるのだ。
「陽平くん以上に素敵な男性と、わたしは出会ったことがありません」
俺だって、そこまで言ってくれる人と出会ったことはない。
ひめは俺のことをこんなにも評価してくれている。だからこそ、ひめの真意が分からない。
「お姉ちゃんのこと、よろしくお願いします。そしてわたしは、晴れて陽平くんの妹ですね」
妹になる、だけでいいのだろうか。
もしそうなら、俺は悩む必要がない。ひめの気持ちに応えられるように努力するだけだ。
でも、もし――ひめは自覚がないだけで、兄妹という関係性で満足できないとしたら?
仮にそうだった場合、俺はちゃんと向きあいたいと思っている。
「うん……がんばるよ」
「はいっ」
迷いはあるが、ひとまずは肯定のために小さく頷いておいた。
少し曖昧な感じはあるだろう。しかしひめは満足したようで、元気に返事をしてくれた。
……正直なところ、俺がひめに抱いている感情が何なのかまだ詳細は分からない。
だけど、この子が一番幸せな選択肢を歩みたい。ただ、それだけだ。
それくらい俺は、ひめのことを可愛く思っているのだから――。
少し話して、すぐに図書館を出た。
聖さんがちゃんと勉強をしているか心配らしい。ひめが先導するように歩いている。
その手元には、先ほど読みかけていた本があった。
分厚くて、少し大きいサイズの学術書だ。小さなひめが片手で持てるような重量ではなかったのだろう。両手で抱えているせいか、少し歩きにくそうだ。
あと、心配なのはもう一つ。
(転んだら危ないかも)
両手がふさがっている状態なのだ。もしつまずいたら、手を地面について衝撃を緩和することもできない。それが心配で、いつもよりひめに近づいて、更に動向を注意深く窺っていた。
自分でも過保護だとは思う。
ただ、今回に限っては……心配性な性格が、功を奏した。
「……わっ」
急にひめが体勢を崩した。
上履きのつま先がリノリウムの床に引っかかって、キュッと音を立てる。
危ない――と思った瞬間には手を伸ばしていた。
「おっと」
気を張っていたおかげだ。
反応も早くて、倒れる前にひめを後ろから抱きとめることに成功した。
地面に落ちたのは、彼女が抱えていた本だけである。
「ひめ、大丈夫?」
転んではいないが、足をくじいている可能性が否めない。
ひねっているかもしれないと思って、彼女の様子を確認してみた。
俺としては、いつも通りと言うか……特別なことをしたつもりはなかった。
転んだら危ないなと思って気を付けていた。たまたま不安が当たったので助けてあげられた、というだけである。
ただ、ひめは……それを特別だと思わなかったらしい。
「――ありがとう、ございます」
お礼の言葉自体は珍しいものじゃない。むしろ礼儀正しいひめにとっては当たり前かもしれない。
しかし、彼女の表情がいつもと違う。
(真っ赤だ……!)
まるで、ゆでだこのように耳の先まで真っ赤になっていて。
その顔を見ると、やっぱりこう思わずにはいられなかった。
(お、お兄ちゃんに、そんな顔するかなぁ……?)
兄のように、慕われているはずだ。
でも、そうは思えないひめの顔を見て、俺は更に苦悩することになるのだった――。
//あとがき//
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