第百十九話 またねっ
「さて、そろそろ帰ろうかな。夜ご飯作らないといけないし」
姉さんはそう言って、未だにぐっすり寝ている心陽ちゃんの鼻先を軽くつまんだ。
「心陽、もう帰るよ。そろそろ起きなさい?」
「んー……あとごふんっ」
「だーめ。起きないなら抱っこしていくけどいいの? よーくんに子供っぽいところ見られちゃうけど?」
「……それはやだっ」
さすが母親だなぁ。心陽ちゃんの扱いが上手だ。
仕方なさそうに体を起こした心陽ちゃんは、まだすごく眠そうである。目も半分しか開いていない。その状態でふらふらとベッドから降りて、姉さんの腕をギュッと握った。
自分の足で立っているとはいえ、半ば姉さんに引っ張ってもらっている状態だった。素直に抱っこされればいいのに……意地を張っているところもかわいいなぁ。
「じゃあ、私たちはもう帰るね。心陽、二人にさよなら言いなさい?」
「うん……よーちゃん、ばいばい」
「心陽ちゃん、また遊ぼう。バイバイ」
「ひーちゃんも、またねっ」
「……はい。また、ぜひ遊んでください」
寝ぼけ眼で手を振る心陽ちゃんに、二人で手を振り返す。
それを見届けた姉さんは、最後にニッコリと笑ってから部屋を出て行った。
しばらくして、玄関の扉が開く音が聞こえてくる。姉さんと心陽ちゃんが家から出て行ったのだろう。
「「…………」」
急に静かになった。
賑やかで明るい二人がいなくなって、ちょっと寂しさを感じてしまう。
ひめも、俺と似たようなことを感じていたらしい。
「なんだか、少し寂しいですね」
そう言って、ひめがそっと手を握ってきた。少し遠慮がちな仕草で……だけど、握らずにはいられないと言わんばかりに。
別にもう二度と会えないわけじゃない。しかし、ひめの気持ちはなんとなく分かる……そういえば幼い頃、友達とさよならするのがやけに寂しく感じていたことを思い出した。
「でも、またねって言ってくれました」
今日限りの縁ではない。
たぶん、心陽ちゃんとひめはこれからも定期的に顔を合わせることになると思う。何せ俺の家によく遊びに来るのだ……そのタイミングに合わせればいいだけの話である。
「今度、心陽ちゃんが遊びに来た時に呼ぶよ」
小さな指を握り返して、そう伝えた。
安心させてあげたかった。寂しく思う必要なんてない。またすぐに会えるよ、と。
その気持ちが、ひめにも伝わっているのだろう。
少し暗い表情をしていたひめが、小さく笑ってくれた。
「はいっ。ぜひ、お願いします」
今度は力強かった。
ギュッと手を握ってくるひめ。寂しさも軽減したようで良かった。
さて……時間もそろそろ頃合いではある。
時間を確認すると、もう17時半を回っていた。結構長い時間お昼寝したらしい……いや、長い時間昼寝をしたのは俺だけで、二人は俺が寝てからもしばらく遊んでいたのかな?
喉が渇いたら飲んでと伝えていたお茶とジュースが結構減っていたので、たぶんそうだろう。
「……同世代の女の子と仲良くなったのは初めてです」
しかしひめは、まだ帰りたそうにはしていない。
もっと聞いてほしいことがある、と言うように手を握りながらも言葉を続けていた。
正直なところ……俺もまだ話し足りない。
今日は心陽ちゃんがいたので、ひめと直接的な会話をあまり交わしていないのだ。
なので、もう少しだけ。
ひめとのお喋りを、続けることにした――。
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