第八十六話 育児放棄はただの杞憂

 ひめがご飯をいっぱい食べた。

 そのことを芽衣さんと俺が祝福すると、ひめは照れたようにはにかんだ。愛らしいその笑顔に癒されていたのだが、左隣から不服そうな声が聞こえてきた。


「私は? ねぇ、私もいっぱい食べたけど、芽衣ちゃんは褒めてくれないの? ねぇねぇ、もっと甘やかしてよ~」


 聖さんはちょっとだけ拗ねていた。

 10歳も年が離れた妹に対抗するのはどうなんだろう、とはもちろん言わない。まぁ、聖さんの方がむしろひめよりも子供っぽいところがあるので、ふてくされるなんて日常茶飯事である。


「私だって褒められたいのにっ」


 そう言いながらも、やけ食いするように四枚目のステーキを食べている。俺の倍食べているんだけど、この人の胃袋はどうなっているのか。


 気持ちが良いほどの食べっぷりである。

 そう感じているのは俺だけでなく、芽衣さんも同様みたいで。


「……聖お嬢様も、毎日いっぱい食べてくれて嬉しいわ。作り甲斐があるもの」


 今度はちゃんと聖さんのことも褒めていた。

 これも本心ではあるのだろう。芽衣さんがなんだかんだ聖さんのことを可愛がっているのが伝わってくる。


「え? 芽衣ちゃんがデレた!? やだ、かわいい♪ なでなでしていいの!?」


「ダメよ。触らないで……やっぱり褒めるんじゃなかった」


 ただ、聖さんが一瞬で調子に乗ったので、芽衣さんはすごく後悔したようにため息をついた。


 やっぱり、聖さんは調子に乗りやすい性格みたいだ。

 機嫌を曲げるのも、直すのも早い。表情がコロコロ変わるところは聖さんの魅力だと思う。


 ひめと芽衣さんは物静かなタイプなので、聖さんみたいに明るい人がいたら場が賑やかになる。きっと、二人とも言わないだけで聖さんのことはすごく頼りにしているし、愛しているのだろうなぁ……と、感じた。


 芽衣さんも含めて、星宮家はすごく暖かい。


(……ご両親がいないって聞いてたから心配していたけど、杞憂で良かった)


 要らない不安だったと、内心で安堵の息をこぼした。

 今日、星宮家に来たのは巡り合わせもあるのだが……実は、星宮家のことを気にしていた、という思いもある。


 だって、ひめはまだ幼い上に、聖さんだって高校生の子供だというのに、ご両親が多忙でほとんど家にいないというのだ。育児放棄、とは言わないが他人から見るとそれに近い状況に見えてしまっていたのである。


 ひめが寂しい思いをしていないだろうか。

 聖さんも無理をしていないだろうか。

 そんなことを不安に思っていなかったと言えば、嘘になる。


 もちろん、ご両親がいないことが全く不安ではないというわけではないとは思う。でも、その代わりに芽衣さんという頼りになる大人がいると知れて、良かった。


 芽衣さんがいるからこそ、星宮姉妹のご両親も安心して家を出ているのかもしれない。もちろん、理想は子供たちのそばにいることだが、各家庭には事情がある。星宮家は裕福だからこそ一般人の俺には分からない問題だってたくさん内包しているのかもしれない。そもそも、よそ様の家庭環境は他人が気軽に口出ししていい問題ではない。


 それを分かっている上で、しかしどうしても心配はしていたのだが……安心した。

 芽衣さんはひめに似て感情表現は得意ではないと本人は言っていたが、ちゃんと愛情深い人であることは伝わっている。


 ひめのことも、聖さんのことも、心から大切に思っている。

 こんなに優しくて暖かい人が保護者として面倒を見てくれているのだ。星宮姉妹の私生活が不幸になるわけがない。


 そう確信できただけでも、今日という一日はすごく有意義なものになった気がした――。

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