第六十二話 小さな嫉妬と大きな決意

 ひめは小さく首を振った。


「嬉しかったですよ?」


 俺の発言に対して、彼女は少し驚いたような表情を浮かべている。


「わたしのことを特別だと言ってもらえて、すごく嬉しかったです。そのことで謝る必要なんてありません……むしろ、わたしの方こそごめんなさい」


 今度は逆に謝られてしまった。

 もちろん、俺としてはひめが謝る必要なんてないと思っている。しかし彼女の認識はちょっと違うらしい。


「たしかにびっくりしましたけど……それ以上に、嬉しすぎてどうしたらいいか分からなくなっちゃって。陽平くんの顔を見るたびにドキドキして、何も言えなくなっちゃいました」


 お昼休みはあと数分で終わる。

 周囲の生徒たちが早足で戻っているのを眺めながらも、俺たちの足は止まっていた。


 あまり長話ができないのは分かっている。

 しかし、それでもまだ話したりなくて、急ぐ気持ちにはなれなかった。


「でも、お姉ちゃんが陽平くんに『あーん』しているのを見てから……ずるいって感じてしまって」


「ずるい……?」


「わたしも、陽平くんに食べさせてあげたいなぁって思いました」


 聖さんの策は、ひめとのぎくしゃくした関係を修復してくれた。

 ただ、どうしてこの子がいつも通りになったのかは謎だったのだが。


 どうやら、ちゃんとした理由があったようだ。


「その時に、気付いたのです。どうしていいか分からずに何もしないでいると、こうやって物足りない気持ちを感じることも増えるのかな……って。これから先も同じような気持ちを抱くのはイヤなので、ちゃんとお話した方がいいんだって切り替えました」


 ……やっぱりこの子は賢い。

 自分の感情の理解も、切り替えも、論理で思考して結論を出している。


 俺の前では子供っぽい一面を見せることも多い。ぎくしゃくしたのも、ひめが自身の感情に振り回されたが故のことだと思う。しかしそれではダメだと気付いて改善するところが、子供離れしていた。


 久しぶりに、感じた。

 ひめはやっぱり、飛び級している天才幼女なのだ――と。


「つまり、やきもちです」


「やきもち、か」


「はい。ちょっとだけ、お姉ちゃんに嫉妬しちゃいました」


 それからひめは、小さく笑った。

 愛らしい笑みは、やっぱりかわいくて……つられて俺まで笑うほどだった。


 こんなに小さくてかわいい嫉妬を俺は初めて見た。


「えへへ……お姉ちゃんと結婚してほしいと言っておきながら、おかしな話です。もっと喜べば良いはずなのに、妬いちゃうなんて」


 そして、同時に気付いた。

 ひめの感情が、少しずつ変化していることにも。


 なんとなく……俺も、感じていなかったと言えばウソになる。

 ひめの好意が、無邪気な子供っぽいものではなくなっていることに。


 気付かないわけがない。

 こんなに純粋に、まっすぐに、無邪気に懐いてくれた少女の思いが、日に日に熱を帯びていることを、分からないような鈍感な人間ではないのだ。


「……あ。もうお昼時間も終わりますね。陽平くん、急いで戻りましょうか」


 ただ、ひめはまだそこまで意識していない。

 まだまだその領域にまでは達していない。しかし、今日のようにこの子は近いうちにその思いに気付くことだろう。


(その時までに、俺も自分の気持ちを整理しておかないと)


 ちゃんと、年上としてこの子を導いてあげられるように。

 俺もまた、しっかりしようと決意するのだった――。

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