第9話【もしも人であったなら】(クライム)

 とどめを刺し目の前で崩れる魔物の亡骸を冷たい目で見下ろすクライム。

 ふぅ、と小さくため息をつき乱れた髪をかき上げた。

 深々とした森の中辺りを見渡すと己が倒した魔物の死骸が点々としており、独特の死臭が漂っている。

 

 もうすぐ日が暮れそうだ。

 太陽が落ちて暗くなってきたのでクライムは近くの小川で手を洗ってから無言で拠点へと戻った。


「よ! クライム、お疲れさん! 今日も倒しまくったなぁ」


 川沿いの拠点に戻ると、既に聖騎士団の皆が夕食を作っていた。

 その中の一人、短髪の青年がクライムに話しかける。

 

「……お疲れ」


 親し気に話しかける彼に無表情で返事をするクライムを気にもせず、「ほれ、お前の分」とスープの入った器を渡された。

 礼を言って受け取ると焚火を囲ってる聖騎士団員達の傍に静かに腰掛けた。


「クライムさんクライムさん! 今夜もこれから吸血鬼討伐隊に同行するんですか?」

「ああ」


 キラキラと目を輝かせながら若い団員の一人が尊敬の眼差しを向けてくる。

 クライムは基本的に無口で不愛想にも関わらず、淡々と、しかし確実に討伐する姿が団員達から尊敬を集め、意外にも慕われていた。


「お前疲れないのかよ。昼間は魔物、夜は吸血鬼退治だろ? 働きすぎじゃねーか」

「少し手伝うだけだ。夜中には戻る」

「夜中にはって……まぁお前が一番実践経験豊富で頼りになるから仕方ないけどよ。あんま俺達の遠征任務に付き合ってちゃお前の姫さんに寂しがられるぞ」


 ニヤニヤしながら言う短髪の団員に無言のままでいると、他の団員も興味深そうに話しかけてくる。


「最近よく同行してくれるから俺達は助かるけどなぁ。ひょっとしてお姫様と喧嘩でもした?」

「あ、それ僕も気になります! ブラックフォード団長の娘さん、すっごい美人の深窓の令嬢なんですよね? この間の誕生日会で会ったっていう団員が自慢してました! そんな方とひとつ屋根の下で一緒に暮らしているなんて羨ましいです」


 クライムは無言でスープを食べる。

 そんな様子に彼らは慣れたもので、気にもせず勝手に想像を膨らませながら会話を楽しんでいた。


 

 別に喧嘩はしていない。けれどエヴァから少し物理的な距離を置きたいのは事実だった。

 

 最近彼女を前にして血を欲する自分に抗うことが出来なくなってきたのだ。他の人間の血には食欲をそそられないどころか吐き気までするのに。

 エヴァの血だけがクライムには必要だった。

 

 ふ、と自傷気味に笑う。


(これじゃあ他の吸血鬼と何も変わらない)


 彼女を守る立場のはずの自分がエヴァの血を啜るのだ。いくら理性があり死に至るまで啜らないとはいえ、彼女を傷つけていることには変わりない。

 

 だが心優しいエヴァはそんなクライムを健気に受け入れてくれる。


 温かく柔らかい身体をギュッと抱きしめると速くなる鼓動。

 全身から香る優しい花の匂い。

 首元に口づけ舐めた時の甘い声。

 口内に溢れる甘美な


 そのどれもがクライムの心を掻き乱し身体を疼かせる。

 

 あの熟れた果実のように美味しそうな唇をむさぼってみたい。

 柔らかい身体の隅々まで触れてみたい。

 

 ぞくり、と一瞬全身の血が沸き立つ。


 思わずバッと口元を押さえた。


(今エヴァ様のことを思い出してはダメだ)


 彼女のことを考えると以前のようにもう冷静でいられなくなってしまった。

 胸につかえるような不思議な感覚。甘いような辛い感情。

 守りたい、血を吸いたいというだけではない。凶暴な渇望が確かにある。

 

 

 まるで――”彼女の全てが欲しい”――というような……。



 カタ、とスプーンを皿に置き、その思考を吹き飛ばすように深く息を吐く。

 

 周りに目をやれば、既にクライムの話題をやめ各々楽しい話をしているところだった。

 空になった皿を見て、今日はもうこれ・・で腹を満たす事は無理だとろうと悟った。

 

 討伐に出れば吸血鬼の血を摂取することが出来る。

 人の血よりはマシだと本能的なものなのか、いくらか抵抗がないので食いつないでいる状態だ。

 

(だがそれではいけない。ちゃんと支給された血を飲めるようにならなければ……)


 記憶が無い状態で拾われたのが恐らく十四、五歳くらいの時だったという。

 騎士団でしばらく鍛えられ、その後一年ほどでエヴァに引き合わされてから六年。

 見た目は二十代前半くらいになったが、自分はダンピールだ。本来の年齢ではない可能性も高い。

 

(記憶が無くなる前の俺は……人の血を摂取出来ていたんだろうか)


 思い出そうとするとまだ頭が痛む。

 けれど血を摂取する度に記憶がこじ開けられてくるような気がした。

 それはエヴァの血であったり、戦闘中に摂取した奴らの血であったり。

 

 ふと、思い出すのは以前エヴァとこっそりお祭りに行った時。

 雨の中彼女を迎えに行くと傍にいた黒づくめの男の存在。


(俺と何か関係がありそうだが……思い出せない)


 心がザワザワする。

 黒い感情に支配されそうでどうも引っかかる。

 この件はエイブラハムには報告していないので、一度自分で調べてみようと改めて思った。


 


「な、クライム。お姫さんの相手はどんな奴が相応しいと思う? お前以外だったらの話な」

「そうそう。クライムさんじゃ我々レベルの騎士は敵いませんからね。きっと貴方が選ばれるでしょうがお見合いをしているくらいですから、団長は色んな男性に引き合わせてみたいのでしょう。どんな男性が彼女のお眼鏡にかなうか気になります」

「お姫様の男性の好みが知りたいです!」


 いつの間にか話題が戻っていたのか、非常に応えづらい話題を振られてしまいクライムは困った。


「……エヴァ様の性格は把握しているが、さすがに異性の好みまでは分からない」

「じゃあお前から見てどんな性格なんだ? やっぱり深窓の令嬢って感じの控えめで大人しい女性なのか?」


 クライムは顎に手を添えて普段のエヴァを思い浮かべる。

 自分にとっては好ましい普通の光景だが、女性のことなので勝手に伝えて良いのか迷う。

 

(言葉を慎重に選んで伝えた方がいいか)


「読書が好きで、花は薔薇を好んでいる。特に白と黄色が好きだったはずだ。好物はレモンパイで……」


 興味深く聞き入る団員達は、うんうんそれで? と期待の眼差しを向けてくる。今のところイメージを脱していないらしい。


「あとは……親しい人間以外には結構人見知りをされる」

「普段はどんな感じなんだ?」

「……活発で世間知らずで、でも我慢強いお方だ。そして常に相手を気遣える優しさも持っている」


 皆、おお、と浮足立った。

 

「可愛らしいお方なのですね」

「令嬢っていったら気が強くて我儘なイメージが強いよな」

「お姫様は控えめな女性なんでしょうね! 守ってあげたくなるなぁ~」


 彼女に相応しい男……か。と考えながら彼らを眺める。

 一生大切に守れるほどの強い者であってほしい。

 例え外に出られなくても、彼女を退屈させないような、暗い表情をさせないような者でなくては。


 クライムはグッと拳を握りしめる。


 将来エヴァの隣にいるのが自分ではないというだけで心がえぐられるようだ。

 こんな感情を抱いてはいけないのに。


(俺の存在意義は? もう彼女のヒーローではいられなくなる)


 

 嫌だ――――。



 目の前で楽しそうに談笑している団員達を見て、わずかに虚しさを覚えた。

 

 もしも自分が彼らのように人間で、ダンピールじゃなければ…………彼女に選ばれただろうか――――。

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