第6話【怖くないわ】2

 ※吸血シーンがあります。

 

 次の日からクライムは再びエヴァの騎士の任務に就いた。

 エヴァは嬉しくて堪らず二人きりになれるいつものガゼボに行く。暑いから隣に座るよう進めるも、クライムは頑なに座ろうとせず太陽の下いつもどおり無表情でたたずむばかりだ。


「クライム、さすがに暑いでしょう? 無理しないで日陰に入って」

「いえ、お構いなく」


 いくら灰にならないといっても人間でも暑いと感じる季節。それなのにクライムときたら全く言う事を聞いてくれないのでエヴァは困ってしまった。

 エヴァと違い何故か汗ひとつかいた様子はないが、確実に具合が悪そうだ。昨日帰宅してすぐと同様、下手したらそれ以上に顔が青白くこけて見える。


(これは……なんとかして休ませないとダメかもしれないわね)


 エヴァの護衛の任を真面目に全うするつもりでいる彼は、素直に休んでと言っても休んでくれないだろう。となればエヴァが涼しいところに行くしかないのだが、距離を取られるのでそれもあまり意味がなさそうだ。


(ひょっとしてクライムが私との距離を取りたがっているのって……)


 父が言っていた言葉を思い出す。

 

 ”半分とはいえ吸血鬼。いつお前に牙を向くかわからんのだ”


 ぎゅっ、と無意識に母の形見のネックレスを握る。

 

 他の吸血鬼とは違いエヴァの血に当てられ発狂する様子がないだけで、ひょっとしたら血が欲しいのかもしれない。人間の血を支給されていると聞いたけど、ちゃんと飲めていないのかもしれない。

 でも――”人間でいたい”と言っていた彼にそんなことを確認したら、また傷つけないだろうか。


(クライムがダンピールでも……私は…………)


 彼がヒーローであることには変わりない。いつだってエヴァを助けてくれた。

 それは吸血鬼として目覚めてからも、何も変わらなかった。

 それなのに彼を拒絶してしまった。


 このままでは倒れてしまうかもしれない。彼自身も自分で自分を否定しているのかもしれないから。

 

 エヴァは伏せていた顔を上げ、遠くを眺めているクライムを見つめ決意した。


(もう、迷わない)

 

 

 

◆ ◆ ◆




 夜も更けた頃。こっそり部屋を抜け出したエヴァは、薄い寝間着のままクライムの部屋へ向かう。

 既に緊張で胸が張り裂けそうだった。

 昨夜クライムに異性の部屋に入るなと注意されたばかりで、追い返されるかもしれないという不安もある。それでもエヴァはどうしても行かないとダメだと思った。


 コンコン、となるべく静かに扉をノックするが返事がない。

 心配になったエヴァは恐る恐るノブを回すと鍵が開いていたので静かに入った。

 

 室内に充満する血の匂い。思わず「うっ」と顔をしかめる。

 苦し気な吐息が聞こえる方へ向かうと椅子にもたれかかったまま口を押さえる彼の姿。


「……クライム……?」


 彼の足元には血液が入っていたであろう瓶が転がっていた。中身は全て床にぶちまけられている。

 

(あれが……お父様から支給された……)


 ショックだった。けれど仕方ないのだ。

 彼には今最も必要なものだから。

 

(大丈夫、怖くないわ)


 胸の前で拳を握りしめ、深呼吸をひとつ。

 静かに近づくと、震える彼の肩に触れる。

 一瞬ビクッとした彼は顔を向けぬままエヴァの存在を認識した。


「…………あれ以来……誰の血も受け付けないのです」

「…………ええ……」


 床に広がる大量の血と、彼が口元を隠す手に付着する血がそれを物語っていた。


「俺は……人間でいたいです」

「あなたは今までと変わらないわ」

「……いいえ」


 ゆっくり顔を上げエヴァと目が合うと、その目はいつもの金色からすぐに赤い輝きへと変化した。

 エヴァが大嫌いな、吸血鬼の。

 

 でも彼は違う――――。


「俺は、化け物です……エヴァお嬢様の血だけが欲しい。貴女の血だけが」


 そう言ってエヴァの細い肩を包み込むように抱きしめる。

 吐息が首にかかると、ゾクっとした何かが駆け巡った。

 悪寒ではない、初めての感覚。


「……っあ」


 ぴちゃっと首元を舐められゾクゾクとしたものが駆け上がる。


(恥ずかしい……けど)


 嫌じゃない。

 エヴァは彼を抱きしめ返した。


 はぁ……と熱い吐息をかけられる。


(彼に――クライムに求められている)


 全身が歓喜で満たされた。

 ちゅ、ちゅ、と繰り返し首元にキスをされる。

 いくらエヴァを求めていても主の許可なしに傷つけようとはしない。

 心臓がバクバクうるさいなか、耳まで真っ赤になったエヴァは、首元を愛撫する彼に求める言葉を与えた。


 

「私の血を――――飲んで、クライム」


 

 瞬間、ぶつり、と引きちぎられる柔肌。

 痛いのは一瞬だけ。

 

 じゅる、じゅるる、と自分の血が啜られる音を聞きながら、エヴァは彼が触れる全ての場所から快感が駆け巡るのがわかった。

 唇や舌の感触、肩から腰をギュッと抱きしめる腕や手の感触が愛しい。

 

(大丈夫……怖くないわ)


 彼だけは特別だから――――。




 唇を離すと既に血は止まっていた。

 エヴァはクライムに体重を預けた状態でくたっとしており身体も心なしか熱い。

 暴力的な渇きが治まり頭が冷静になると、クライムは雇い主の娘を腕に抱いているこの状況がとてもマズいことに気付く。


「すみません……無理をさせてしまいました」


 回していた腕を離し肩に手をかけようとすると、離されまいとエヴァの方からギュッとしがみ付いてきたので思考が停止した。


「待って、こ、腰が抜けて……立てないの」

「…………」


 見ると耳まで真っ赤にしてぎゅうっとしがみ付いてくる。触れ合う胸からエヴァの心臓の鼓動がこちらまで伝わり、クライムも内心で動揺した。


(別の意味で……このままではマズい)


 エヴァのことは幼い頃から見守ってきたので、異性というより子供だと思っていたはずだったが――――。


(なんだ、この可愛い生物は)


 昔から同じ事を思っていたはずだった。けど今この時は明確に違うとわかる。

 こんなに触れ合ったのは初めてで、先ほどの彼女の反応がもう子供ではなくて。


 薄暗い部屋でも分かるエヴァの白い肌から目が離せない。

 

「きゃっ」

 

 スッと伸ばした腕は理性を総動員してエヴァの膝裏と腰に回すことでなんとか落ち着き、お姫様抱っこをして抱え上げる。

 いつもの無表情の仮面をつけたクライムは、何でもないように扉に向かった。

 

「部屋までお送りします」

「ま、待って」


 少しとはいえ血を吸ったから顔色が悪くなっていないか心配だったが、茹蛸のように真っ赤になるエヴァは慌ててクライムを止める。


「私、同情や責任感でこんな行動に出た訳じゃないからね」

「……!」

 

 エヴァはクライムを真っ直ぐ見つめた。自分の決意を理解してもらうために。


「私の意思で、私があげたいから決めたの。私の血はあなたにだけのものって決めたの」

「エヴァ様……」

「だからもう我慢しないで。もう……離れないで」


 そう言って首に腕を回し再びぎゅうっとしがみ付く。


「…………はい……」

 

 クライムは目の奥が熱くなるのを感じながら、エヴァの首元に顔をうずめた。

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