第6話【怖くないわ】1

 汗で貼りつく布、じわじわと蝕む暑さが本格的な夏の訪れを告げていた。

 屋敷のガーデンにあるお気に入りのガゼボが日差しを防いでくれているが、風が既に生温かくて黙っていても汗が噴き出た。

 

「う~~~~暑い……」


 パタパタと無意味に手で仰いでいたら、サッと侍女のメアリーがグラスを渡してくれた。

 

「エヴァ様、冷たいレモン水をどうぞ」

「ありがとうメアリー。頂きます」


 ぐびぐびと一気に飲み干し、周りにいる騎士達にも水分補給を進めた。


「メアリーも遠慮なく水分補給してね」

「はい、ありがとうございます」

 

 いつもと変わらない日常。平穏、お昼休み。

 けれどここに彼だけがいない。

 読みかけの本の内容も頭に入ってこない程に、エヴァの頭はクライムでいっぱいだった。


(あれからまともに話せてない……)


 父の命令で直ぐに野良吸血鬼の討伐に駆り出されており、しばらく会話どころが会うこともできなかった。

 正直寂しい。ずっと傍にいてくれて当たり前の存在だったから。

 父は父でお祭りの吸血鬼騒ぎの後始末に追われていて、連日留守にしているので状況があまりわからないのだ。


(完全に私の護衛を外れた訳じゃないから良かったけど……また話せる機会があるよね?)


 ちゃんと謝りたいと思っていた。彼を拒絶してしまったことを。

 ”人間でいたい”と言っていた彼の心を傷つけてしまったことを。

 

(自分を責めてないか、きっと私に気を遣って避けてるんじゃないかって考えてしまう)


 エヴァは無意識に母の形見のネックレスをぎゅっと強く握っていた。

 

「とにかくまずは謝らなくちゃ」


 

 

◆ ◆ ◆




 夕方部屋に戻り、冷たいタオルで身体を拭いた後新しいラフなドレスに着替えていると、メアリーが慌てた様子で入ってきた。


「お嬢様! クライム様がお戻りになりましたよ!」

「! すぐ行くわ」


 地方まで聖騎士団の一人として派遣され、野良吸血鬼を狩る任から帰って来たらしい。

 クライムは他の騎士と違い宿舎ではなく屋敷内に一人部屋をもらっており、幼い頃から何度も押しかけていたので慣れた足取りで向かう。

 コンコン、とノックをするとすぐに顔を出してくれた。


「エヴァ様……」

「クライム、久しぶりね。お疲れのところ申し訳ないんだけど、今いいかな」


 少し躊躇ためらったあと、それでも「どうぞ」と入れてくれたので今まで通り遠慮なく入らせてもらった。

 

 扉を半開きの状態でこちらを振り向いたクライムの顔は、心なしかやつれて見えた。

 任務から帰って来たばかりだから当然かもしれなかったが案の定疲れが色濃く出ていて、エヴァはますます申し訳なくなる。


(早く要件を済ませて休ませてあげなきゃ)


「あの……こないだのことなんだけど……」

「?」


 無表情で首をかしげるクライム。罪悪感を感じながらもお祭りの夜に助けてくれたことを説明すると、「ああ……」と少しぼんやりした様子で返事をした。


「気にしないで下さい。あの時は私も……自分自身に戸惑っていましたから。それにエヴァ様の幼少の頃の出来事を思えば、吸血鬼に対する恐怖は至極当然のことです」

「そ、そうかもしれないけど……違うの! ごめんなさい、私はあなたを傷つけたかった訳じゃなくて……」

「いえ、謝る必要はありません。私こそエヴァお嬢様を傷つけたくないのです。それより、もうこうして気軽に異性の部屋に入ってはいけません。旦那様は私が必要以上にお嬢様のお傍にいることを望んでおりませんので」


 その言葉に、部屋の扉を開けている理由を話しているんだと気付く。確かに今まではクライムなら密室で二人きりなのを許されていた。おそらく最有力な婚約者候補だったから。でも今は――?

 エヴァは自分の意思を無視して話を進めていることに不満を抱いた。


「そんなの……っ、お父様が勝手に決めたことじゃない!」

「いいえ、エヴァお嬢様。これは私も納得していることなのです」


 クライムは真っ直ぐにエヴァを見つめる。その瞳の奥には確固たる決意がうかがえ、どう言ってもエヴァの気持ちは伝わらない気がした。

 

(これ以上無理に私の謝罪を受け入れさせ、今まで通りにしてほしいと言っても困らせるだけ……かな)

 

「…………わかった。疲れているところ急に押しかけてごめんなさい」

「大丈夫です。私の方こそ、ご挨拶に伺えず申し訳ありませんでした」

「もう任務は落ち着いたの? 明日は屋敷にいてくれる?」

「はい。数日で地方の野良は結構片づけたのでしばらくは安全でしょう。明日からまた通常任務に戻っていいと言われました」

「そう……嬉しい。でも無理はしないでしっかり休んでね」


 また明日から一緒にいられると知り思わず笑みがもれる。クライムはそんなエヴァの笑顔に一瞬息を呑んだ後、サッと顔を背けた。

 

「じゃあ、また明日ね」

「はい、必ず」



 


 パタン、と閉じた扉の向こうに消えたエヴァを想いしばらく黙ってたたずんでいたが、ふいにクライムは自身の喉を押さえる。


「…………渇く……」


 懐から取り出したのは今朝支給された血液の入った瓶。

 聖騎士団にも自身がダンピールであることは秘密になっている。エイブラハムが口外を一切禁止したので知っているのはエヴァとクライムとエイブラハムの三人だけ。どのみち太陽が平気なダンピールだから早々そうそう気付かれることはないだろう。

 

 あの夜目覚めたのは吸血衝動だけではない。生まれ持った吸血鬼のみが扱える魔法も使えるようになっていた。

 本来魔法は自然の力を借りて使うものだが吸血鬼の扱う魔法は違う。自身の血を操る魔法だった。

 クライムが無意識に使った魔法は赤黒く輝く血の刃で、知る人が見ればすぐに吸血鬼だとバレるだろう。その為人目につかないよう単独で行動するか、魔法を使わず戦うしかない。

 

 血の摂取もそうだ。

 人目についてはいけない。


 取り出した瓶のコルクを抜き、グイっと仰ぐようにして口に含む。


「……っ!」


 カシャン! と瓶が割れる音が響いた。

 口を押さえてよろめき、おえ、と血を吐き出すと、ベッドサイドにある水差しを一気に仰ぎ水を飲み干す。


「はぁ……はぁ……」


 傍にある鏡を見ると、二つの赤い光。

 青白くやつれた顔、口に見える二本の犬歯。

 それらが間違いなく吸血鬼だと物語っており、クライムは拳を振り上げパリンッと衝動的に鏡を割った。


 喉の渇きが満たされない。

 心が、自分を吸血鬼だと認めていない。

 人の血を飲みたくない。


 それなのに――――。


「…………エヴァお嬢様……」


 彼女を見たら、彼女だけが。



 

 とても美味しそうなのだ。

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