第2話【外への憧れと葛藤】

 朝から廊下が騒がしい。

 きゃーきゃー黄色い声が上がっている。


(最近雇った若い侍女たちかしら……その内メアリーに注意されそうね)


 ぼんやりする頭でそう考えていたら、案の定注意する声が響き渡る。

 

「静かになさい! まだお嬢様が寝ているのですよ!」

「も……申し訳ありません」


(ほらやっぱり)


 エヴァはくすりと笑みを漏らしながら自分付きの侍女の到着を待つ。


「お嬢様ー! おはようございます、朝でございますよー」


 ノックをしてから入って来る栗色の髪を一つに結んだ背の高い女性、メアリーは、慣れた様子で室内のカーテンを開けていく。

 エヴァは目をぱっちりとさせ起き上がる。


「メアリー、あなたの声も結構響いていたわよ」

「え! ま、まぁなんということでしょう! 申し訳ありません!」

「ふふ、いいの。おかげですぐに目が覚めたわ。私のために注意をしてくれてありがとう」

「聞こえていたのですね。本当に申し訳ありません」


 照れながら申し訳なさそうに謝る侍女のメアリー。エヴァより七つ年上の彼女は四年前から仕えてくれている。

 

 ブラックフォード家で女性を雇うのは最低限にとどめられている。エヴァがいることにより常に吸血鬼に狙われる可能性が高く、命の危険があるからだ。

 そのため敷地内に従業員用の別邸が用意されており騎士や他の従業員は住み込みで働いてくれる者が多い。


「さっき廊下が騒がしかったのはどうしたの?」


 洗顔用の水をセットしているメアリーに、先ほどの黄色い声について尋ねる。


「ああ、それは……――――」

 

 突如、バタン! という大きな音と共に甲高い声が響き渡った。

 

「エヴァお嬢様ぁ~」


 瞬間、メアリーはサッと身を翻し侍女服のスカートの下に隠していたナイフを手に取り、素早く声の主の左胸目掛けて突き刺そうとする。


「メアリー待って!」


 ピタ、と止まるナイフ。


「ひっ……!」


 甲高い声でエヴァを呼ぶ者は若い侍女だった。真っ青な顔で冷や汗を流し、事の重大さを理解したらしい。

 メアリーはため息をひとつ付き、ゆっくりとナイフを下した。


「勝手にお嬢様の部屋に入ってはいけないと注意したはずよね? 次やったら吸血鬼と間違えて殺すよ?」


 冷たい目で見下ろすメアリーに更に真っ青になり震える侍女。


「だっ……だってメアリーさんだってすぐ入っていったから……」

「あたしはちゃんとノックをしたし、お嬢様付きの騎士の役割も担っているからそもそも特別なの。気を付けなさい」

「ご、ごめんなさぁ~い」


 間延びした声に本当に反省してるのか頭が痛くなるメアリー。エヴァもまた困った顔になる。


「それで? お嬢様にどういった要件ですか? あたしが呼ぶまでドレスの支度はまだのはずですが」

「あ、いぃえ~! クライム様の昨夜のご活躍で盛り上がっていたんでエヴァお嬢様ともお話ししようと思って~」

「クライム?」


 それでさっき廊下がうるさかったのかと納得。クライムは若い侍女に人気があるらしい。

 エヴァはその昨夜の活躍とやらがどういった内容なのか気になった。

 彼はいつも昼はエヴァの護衛、夜は屋敷周辺を巡回しているらしいので、たまに野良吸血鬼を狩るということくらいしか知らない。


 浮かれている侍女の様子にメアリーは頭が痛そうにため息をついた。


「時と場所を考えなさい。それに軽々しく主人の部屋に入り軽々しく会話出来ると思わないこと。弁えなさい」

「え~! そんなぁ……」


 エヴァはメアリーに嫌な役割ばかりさせて申し訳ないな……と思いながら朝の支度をした。


 

 

◆ ◆ ◆




 午前中に家庭教師の先生が来て勉強を終え、一息つく。

 クライムには強制的に休憩を取らせ、サンルームでメアリーと他の侍女たちに囲まれのんびりお茶を楽しんでいた。


「それにしても昨日のクライム様は本っ当にカッコ良かったぁ~!」


 メアリーが少しだけ席を外している間、今朝騒いでた侍女たちがうっとりしながら談笑し始める。

 エヴァはクライムの話題に興味を惹かれつい耳を傾けた。


「あんた下町に忘れ物取りに行ってたんでしょう? 例の騎士の彼氏は一緒じゃなかったの?」

「もちろん一緒だったわ。でも暗くなった頃に急に吸血鬼たちが襲ってきて……彼ってばすごいへっぴり腰だったのよ!? 巡回中のクライム様がすぐに助けて下さらなかったら今頃あんな奴と死んでたわよ!」

「うわぁ~大変だったわねぇ……。それで彼氏と別れたわけ?」

「そうなの。だってクライム様の方が断然カッコいいんだもの! あんな素敵な騎士様が守ってくれるならそれだけでも働き甲斐があるわぁ~」


(クライムって……そんなにモテるんだ……)


 お茶の香りを堪能するフリをしてクライムがそこまでモテてることに衝撃を受けるエヴァ。

 侍女の噂話をここまで直接的に聞いた事がなかったから余計である。

 

 確かに所作も普段の仕事ぶりも騎士として完璧だと思う。

 背もスラっと高いし吸血鬼ハンターとしても一流だし、真面目で誠実だし顔もキリっとしててカッコ良い…………まぁ無表情で何を考えているのかわからないんだけど。


(うん、でも言われてみれば確かにカッコ良い――)


「あ~あぁ。三日後のお祭りにクライム様お誘いしちゃおうかな~」


 ズキン――――。


 あれ? と胸の痛みに違和感を覚える。

 クライムがエヴァ以外の女性と歩いている姿を想像して、嫌な気持ちになるのはなんでだろう。

 

(だって私と行こうって誘ってくれた。私が誘われたんだもの)

 

「あら、クライム様はお嬢様をお守りする騎士よ? そんな暇あるわけないじゃないの」

「ん~そうよねぇ……。エヴァお嬢様ぁ~!」


 モヤモヤした気持ちで考え事をしていたら突然呼ばれハッとして顔を上げる。


「な、なに?」

「三日後のお祭りの日ってエヴァ様お屋敷から出られないんですよね? その日だけクライム様を貸してくれませんか?」

「ク……クライムを……貸す?」


 エヴァはお家の都合上、社交界に出る事がないので人付き合いが苦手だ。もちろん年が近い同性の友達もいない。エヴァにとって人と仲良くなるには時間が必要なのだ。

 だからこうした図々しい態度の侍女の提案に、咄嗟の対処が出来ない。


(クライムは物じゃないわ……)


 きちんと伝えて、ここは主人としてしっかり躾けないと。

 そう思うのにぐいぐい来る侍女の圧についタジタジしてしまう。


「あんたたち、いい加減にしなさい」


 救世主が降臨した。

 軽食を運んできたメアリーが凄く怖い顔で登場し、侍女達は今朝と同じ真っ青な顔になる。


「メアリー!」

「「メ、メアリーさん!」」


 エヴァの目の前に軽食を置き、主人に頭を下げる。


「エヴァ様、侍女たちがご無礼を……申し訳ございません」

「メアリー。いいのよ、この屋敷で働いてくれる女性は貴重なんだし……」

「そ、そうですよね~エヴァ様! 昨日死にかけたんだし、多少優遇してもらわないと」

「お前は黙りなさい」

「ひっ」


 メアリーは吸血鬼に見せるような冷たい顔で侍女を叱りつける。

 普段明るく優しいだけに、本当に怖い。


「弁えなさい。クライム様は旦那様に認められたエヴァ様専属の騎士です。ひいては婚約者になられるかもしれないお方ですよ。誰に懸想するのは構いませんが、エヴァ様のご迷惑になるようなことは控えなさい」

「え、婚約者なんですかぁ!?」

「ブラックフォード家にお生まれになった女性は優秀な騎士、又は他家から婿を取るのが通例です。クライム様も候補であることは間違いないでしょう。ですからエヴァ様のご婚約者が決定されるまでは無暗に騎士と戯れるのは控えなさい」

「はぁ~い…………」


 若い侍女は不満気な様子だ。

 彼女には申し訳ないがエヴァは内心ほっとする。

 

(そっか……やっぱりクライムって私の婚約者候補だったのね)


 ドキドキしながらメアリーの説教を聞いていたら、彼女は呆れた顔で振り向いた。


「お嬢様も、お優しすぎです」

「え、えぇ? 私が?」


 歳が近そうな侍女とどう接していいのかわからなかっただけなんだけど……と戸惑いを隠せない。


「お嬢様が人慣れされていないのは知ってますが、もっと厳しく叱りつけていいのですよ。我々に遠慮や我慢は不要です」

「我慢……」


 クライムも似たような事を言っていた。

 そうなのだろうか……。自分の代わりに犠牲になるかもしれない人たちに気を遣うのは当たり前だと思っていたけれど。

 エヴァが我慢さえすれば、何もしなければ誰も死なないと。

 

「あたしやクライム様はお嬢様にもっと自由でいてほしいのです。その為に騎士がいるのですから」


 騎士。

 エヴァの騎士。

 

(恐れなくていいと、そう言ってくれているの?)


 ”閉じこもっていろ――――”

 ”私がお嬢様を全力でお守り致します”

 ”自由でいてほしいのです”


「…………――――」

 

 唇をキュッと噛みしめガタッと立ち上がると、エヴァは顔を上げた。


「ありがとう、メアリー。私決めたわ」

 

(ごめんなさい、お父様……私は――)

 

 外の世界を諦めない。

 自由でいていい。

 少しの体験でもいいから――。

 

「――まずは三日後のお祭りに行くわよ!」


 グッと拳を握りしめた。

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