第30話 王都へ

 二人の気持ちが通じ合った、その翌日。

 夕食の席で本当の婚約者になると決意したことを報告すると、辺境伯はたいそう喜んだ。

 浮かれているとすら言えるほど上機嫌になり、「我が息子ながらやるな」「若いというのはいいものだ」などと、ずっと喜びの言葉を口にしていた。

 アレクシアとレニーは顔を見合わせて苦笑する。


「ほんとうの婚約者ってなんですか?」


 フィオナが愛らしく首をかしげる。


「ああ、フィオナ。アレクシア嬢はレニーと結婚してずっとこの城にいると決意してくれたということだ。婚約期間中にレニーが馬鹿なことをしなければだが……まあしないだろう」


「わぁ、うれしい! アレクシアさまとずっと一緒にいられるなんて。じゃあ、アレクシアさまのことお姉さまってよんでいいのですか?」


「ええ、もちろんですわ」


 アレクシアが慈愛の目で隣のフィオナを見つめる。

 幼い頬が林檎のように色づいた。


「お、お姉さま……えへへ」


 照れ笑いを浮かべるフィオナに、アレクシアの笑みが深まる。

 一途に慕ってくれる彼女が、愛しくて仕方がなかった。


「アレクシア嬢のような女性がレニーの妻になってくれるなんてなぁ。あらためて、心から歓迎するよアレクシア嬢」


「ありがとうございます閣下」


「もうお義父様って呼んでくれてもいいんだぞ?」


 ニヤニヤしながらヴァージルが言う。


「そちらは正式に籍を入れてからにいたしますわ」


「そうか残念だ。で、婚約届はどうするんだ? 直接王都に行かなくても出せるが」


 アレクシアとレニーが再び視線を合わせる。


「そのことですが、父上。アレクシアとも話し合いましたが、来月王宮で開かれる建国記念パーティーに出席しようと思っています。王都に着いたらまずはブラッドフォード家にご挨拶に行き、それが済んだら二人で婚約届を提出してこようかと」


「ああ、それがいいな。領内のことは私に任せて行ってこい」


「はい。ありがとうございます」


「レニーは服装にも無頓着だからなぁ。王宮の舞踏会にふさわしい装いになるよう、いろいろと見立ててやってくれアレクシア嬢」


「承知いたしました」


「父上も無頓着だと思いますが」


 あきれたようにレニーが言う。

 ヴァージルは鼻で笑った。


「普段は無頓着だが気合を入れるときは入れている。私のワイルドかつセクシーな着こなしを理解していないとは、まだまだだな。マダムたちの視線を集めすぎて困ってしまうほどだというのに。対するお前は服も髪もいつも適当だ」


 その言葉にレニーがむっとする。


「レニーは素敵なのですから、服装や髪型を少し整えれば会場で一番注目される存在になるでしょう」


「それは無理だと思いますが……」


「あら、わたくしがついているのですからそうなりますわ。ねぇ閣下?」


「もちろんだ。レニーはどちらかといえば妻似だから素材はいいはずだ。カッコイイ息子を私に見せてくれアレクシア嬢」


「かっこいいお兄さま、楽しみです!」


「承りました。楽しみになさっていてくださいね」


「……」


 とにかく上機嫌なヴァージルと、うれしそうなフィオナ。会話の中心にいるアレクシアと、苦手な分野を攻め込まれて無口なレニー。

 今日もガードナー家の食卓は平和である。



 夕食後。

 レニーの本当の婚約者になったアレクシアは、堂々と彼の部屋を訪れていた。

 だが、二人の間に流れる空気に甘さは微塵もない。


「本当にこれをお召しになろうと?」


「いけませんか?」


 彼が建国記念パーティーに着ていく予定だという服を見せてもらったが、地味としか言いようがない。

 彼の体格に明るめのグレーのジャケットというぼやけた色は合わない上、黒い蝶ネクタイも似合わない。


「レニーは体格が立派なのですから、このようなうすらボンヤリした色ではたくましいを通り越して太って見えてしまいます」


「うすらボンヤリ」


「ジャケットは黒か黒に近い濃いグレーがいいですわね。財政状況が厳しいわけではないのですから、大きな催しに参加する前には服を新調されたほうがよろしいかと。あとこの蝶ネクタイも雄々しい首には小さすぎて似合いません。ヒラヒラしすぎていないクラバットにしましょう」


「よくわかりませんが、わかりました」


「それと……髪型も少し整えましょう」


 さすがに口に出しては言わなかったが、短い髪が伸びかけて少々モッサリしている。


「たしかに最近諸々忙しくて散髪もしていませんでした。ではサッパリと切ることにします」


「いいえ、切らないでください。出立直前にわたくしが整えます」


「う……わかりました。では切るのはそれまで我慢します」


 レニーは考えることを放棄した顔で返事をする。


「服装や髪形なんてどうでもいいのに、とお考えですか?」


 からかうような笑みを浮かべて、アレクシアが言う。

 彼が首を振った。


「俺自身がそこに興味もセンスもないのは否定できません。ですが、アレクシアが重視していることですから、無意味だとは思っていません。王宮においては特に意味を持つのでしょう」


「そうですわね。顔立ちだけでなく、着る服一つで与える印象は変わります。他の貴族と関わりの多くないヴァンフィールドではありますが、良い印象を持たれて悪いことはありません」


「そうですね、そう思います。それに、アレクシアがセンスの悪い男を選んだと笑われるのは耐えられません」


「そんなことを言う人間がいたら、わたくしが黙らせます。ですが、レニーはこのわたくしが選んだとても素敵な男性なのですから、その魅力を存分に知ってもらいたいという気持ちはありますわね」


「アレクシア……」


 愛しくてたまらないという顔で、白く柔らかな頬に触れる。

 そのまま、壊れ物でも扱うようにそっと頬を撫でた。


「あなたのような女性に好きだと言ってもらえたなんて、夢のようです」


 指先が頬から髪に移り、するりとひと撫でして離れていく。


「だから、俺は本当は夢を見ているだけなのではないかとふと不安になります」


「夢などではありませんわ。わたくしはちゃんとここにいるでしょう?」


 アレクシアもレニーの頬に触れる。

 レニーはその手をとって、手のひらに口づけた。そのまま彼が視線を合わせてくる。


「俺は、おそらく独占欲が強いと思います」


「それが行動制限や暴力的なことにつながることはないでしょう?」


「もちろんです」


「ならお互い様ですわ。わたくしもレニーを独占したいのですから」


 彼は微笑すると、アレクシアをそっと抱きしめた。


「幸せです。いろいろ頑張ってよかった」


 そんなことを言うレニーがかわいくて、アレクシアは彼の背中に回した腕にぎゅっと力を入れる。

 二人の間に、穏やかで少しだけ甘い時間が流れた。

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