第21話 王子、レニーの弱点を知る

 アレクシアからの手紙の返事が届かない。

 離宮からずっと出られずストレスがたまる一方のクリストファーは、その事実にさらに苛立っていた。


(なぜ返事が来ない。それほど怒っているのか? いや、どんなに怒っていても、彼女ならたとえ形式的なものであっても返事はよこすはずだ)


 ならばなぜ、と考えながら、ソファに身を投げ出す。

 離宮から出られなくなって何日経つのか、そろそろわからなくなってきた。

 一日がひどく長く感じられる。人と話さない、会わない時間が多すぎる。熊はまだ退治されておらず、庭園にすら出られない。

 ゆっくりと流れる時間の中で、部屋に来るのは無言で食事を運んでくる者、部屋を整え入浴の準備をしていく者。そしてたまに報告だけしに来て忙しそうに部屋を出ていくグレアムと、唯一話し相手になってくれる弟マクシミリアンのみ。

 皮肉にも、弟だけが癒しであり救いだった。

 ノックの音に、身体を起こす。

 部屋に入ってきたマクシミリアンを見て、クリストファーは笑顔になった。


「たった今お前のことを考えていた。この息苦しい謹慎生活の中で、お前の訪問だけが楽しみだよ」


 マクシミリアンの美しい顔に人懐っこい笑みが浮かぶ。


「そう言っていただけてうれしいです。兄上が早く通常の生活に戻れるといいのですが」


「そうだな。いったいいつまでここに閉じ込めておくつもりなんだろう。犯罪者でもないのに、婚約を破棄したくらいでこんな扱いを……」


「ブラッドフォード侯爵の機嫌をとるために、父上も必死なのかもしれません。魔石鉱山をなんとか買い取れないか交渉しているようですから……」


 そう言われてしまっては何も言えないクリストファーである。

 魔石の売買に課せられる税金は高く、魔石鉱山は王家以外が所有していてもあまり旨味がない。

 だからこそアレクシアの持参金がわりにするつもりだったのだろうし、もったいつけていないでさっさと売ってしまえばいいのにと思った。

 先が見えない謹慎生活というのはつらいものである。せめて期限がわかっていたらもう少し希望が持てるのに、とため息をついた。

 母エレノーラを頼ろうにも彼女はこの離宮に近づくことすら許されていないのだという。

 しかも最近は王と不仲であるらしい。


(すべてがうまくいかない。すべてが……。どうしてこうなったんだ)


 顔を覆いたくなったそのとき、再びノックの音が響いた。

 返事をすると、グレアムが静かに入室してきた。


「ああ、ここに来てはさっさと去っていく薄情な私の侍従か」


「申し訳ございません。業務に加え、例の件も調べておりましたので時間がなく」


「! あ、ああ、そうだったな。すまない。それで?」


「情報ギルドを使ってようやく調べることができました。報告は……後ほどいたしますか?」


 グレアムがちらりとマクシミリアンを見る。

 クリストファーは首を振った。


「マクシミリアンは私の味方だし、そもそもレニー卿に重大な欠点がありそうだと教えてくれたのはマクシミリアンだ」


「承知いたしました。レニー卿の重大な欠点というのは、真剣での勝負ができないということでした」


「……どういうことだ?」


 グレアムがテーブルの上に一枚の紙を置く。

 王都一の情報ギルドの印が押されているその書類には、レニーについての情報が書かれていた。


「理由まではわかりませんでしたが、彼は真剣を恐れ、使いこなせないとのことです。もちろん次期ヴァンフィールド辺境伯としては致命的です」


「だから後継者指名されていなかったのか……」


 クリストファーは王宮舞踏会などでおそらく会ったことのあるレニーを思い出そうとしたが、頭の片隅にも印象が残っていないことに気付く。

 つまり目立たない、凡庸な男なのだろうと思った。

 その父親である辺境伯は存在感があり、良くも悪くも人目をひく男なのだが。


「辺境伯子息でありながら剣が怖いだと? なぜそんな情けない田舎騎士なんぞとアレクシアが婚約したんだ」


「年齢的なことを考えても、爵位継承の可能性があり婚約者のいない男性は彼くらいしかいなかったのかもしれません」


 グレアムのその言葉を聞いて、今まで黙っていたマクシミリアンがため息をつく。


「アレクシア嬢は苦労しそうですね。魔獣も出る辺境の地で、そんな男の妻になるとは。下手をすれば辺境伯夫人の地位すら手に入れられず、貧乏騎士の妻で一生を終えてしまうかもと思うと胸が痛みます」


 なぜ、とクリストファーは思う。

 なぜアレクシアほどの女性がそんな目に? ああ、そうだ、自分が彼女を突き放してしまったからだ。

 自分の地位目当てに褒めそやしてくれる女にうつつを抜かし、自分を正しく導こうとしてくれた女性との婚約を破棄してしまった。

 アレクシアは侮辱した人間に対しては容赦しないが、自分に害を与えない人間を見下したり攻撃したりはしない。

 そんなことにすら気づかず、ミレーヌの口車に乗って婚約を破棄してしまった。

 アレクシアと結婚していれば、すべてがうまくいったのに……。

 そんな後悔にさいなまれ、クリストファーは叫び出したくなった。だが、王子としての矜持でなんとかそれを飲み込む。


「アレクシアを……取り戻す方法はないだろうか」


 グレアムが考え込む。


「正式でないとはいえ婚約者がいる状態ですから、厳しいですね。ブラッドフォード家は契約を大事にすると言いますから、並大抵のことでは難しいかと」


「レニー卿は血筋や容姿は言うに及ばず、剣の腕ですら王宮一と謳われる兄上に敵わないでしょう。さらには真剣を恐れて扱えないなど論外です。彼女がそんな男の妻になるのは僕も許せません。ただ……貴族同士の婚約ですから」


「そうだな……」


「アレクシア嬢から婚約解消を申し出て、それをレニー卿が受け入れればと思いますが、彼がアレクシア嬢のような方を手放すとも思えません」


 クリストファーが歯噛みする。

 なんの取り柄もない男があのアレクシアのすべてを手にするのだと思うと、胃のあたりが熱くなった。


「アレクシア嬢を取り戻しさえすれば、兄上のすべてが元通りになるというのに。惜しいことです」


 弟の言葉が、胸に突き刺さる。

 公爵の地位も、父の評価も、金も、自由も、美しい妻も。

 本来自分が手にするはずだったものが、すべて戻ってくる。アレクシアさえ取り戻せば。

 ――そんな考えに、深くとらわれた。 


(どうしたらいい。どうしたらアレクシアを取り戻せる? どうしたら……)


 部屋にいる二人の存在も忘れて、クリストファーは顔を覆った。

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